第4話:五回のチャンス
[竜ヶ崎詩の視点]
「刹那の世話が落ち着いたら、検診に迎えに行くよ」
蓮の軽い口調が、病院の廊下に響いた。
まるで、私が風邪で寝込んでいるかのような。
まるで、私たちの赤ちゃんが死んでいないかのような。
涙が頬を伝って落ちる。
「蓮」
「何だ?」
「五回のチャンス、もう全部使い切ったよ」
蓮の眉がひそめられた。
「また、その話か。詩、冗談はやめろ」
冗談?
私たちの子供が死んだのが、冗談だというの?
「冗談じゃない」
声が震える。でも、はっきりと言った。
「もう、終わり」
蓮は刹那を支えながら、私を見下ろしている。
「詩、お前は疲れてるんだ。家で休んでろ」
そして、刹那と一緒に歩いていく。
私の方を振り返ることもなく。
二度と、傷つけられない。
心の中で、静かに誓った。
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蓮は刹那を個室に案内しながら、妻のことなど頭から消えていた。
「痛みはどう?」
「蓮くんがいてくれるから、大丈夫」
刹那の甘い声に、蓮の表情が緩む。
「明日の撮影、大丈夫かな」
「手のことなら心配いらないわ。でも……詩さんのこと、どうするの?」
「詩のことは気にするな。どうせまた、いつものように機嫌を直すさ」
病室の窓から見える夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
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[竜ヶ崎詩の視点]
支払い窓口の列に並んでいる時、めまいが襲ってきた。
足元がふらつく。
「大丈夫ですか?」
看護師が慌てて支えてくれた。
「ご家族の方は?」
家族。
「いません」
「え?でも、お一人で入院なんて……」
看護師の心配そうな表情が、私の孤独を際立たせる。
蓮は同じ病院にいるのに。
同じ建物の中にいるのに。
私は一人だった。
三日間。
蓮から連絡は一度もなかった。
退院の日、医師たちの雑談が聞こえてきた。
「暁刹那さん、軽い火傷だったのに三日も入院するなんて」
「でも、旦那さんが付きっきりで看病してたからね」
「羨ましいなあ、あんな美人の奥さんがいて」
旦那さん?
蓮のこと?
「あの、すみません」
医師が振り返る。
「お一人で退院準備ですか?ご家族は?」
「いません」
また、同じ答え。
でも、今度は本当の意味で。
家に帰る途中、タクシーの窓から見える景色が、全て灰色に見えた。
玄関の鍵を開けて中に入ると、台所からいい匂いが漂ってきた。
蓮がエプロン姿で立っている。
珍しい。
一瞬、期待してしまった。
もしかして、私のために?
「おかえり。どこをほっつき歩いてたんだ?」
期待は、一瞬で砕け散った。
「妊娠四、五ヶ月にもなって、そんなに出歩いて大丈夫なのか?」
四、五ヶ月?
私は三ヶ月にも満たなかった。
そして、もう妊娠していない。
蓮は、何も知らない。
何も、気にしていない。
「蓮、私は——」
「詩さん、お疲れさま」
リビングから、聞き慣れた声。
暁刹那が、まるで自分の家のようにソファに座っていた。
「どうして、刹那さんが?」
「家のリフォームをしてるの。蓮くんが泊めてくれるって」
リフォーム?
私の家で?
「蓮」
夫を見つめる。
「気にするな。ここは俺の家だ。彼女の許可なんか、いらないさ」
その言葉が、胸の奥深くまで突き刺さった。
俺の家。
彼女の許可なんか、いらない。
私は、この家の住人ですらないのか。