こんな少年は、数年後に父親によって海外で治療を受けるために連れて行かれる前まで、存在感がゼロだった。
彼は決して話さず、人の言うことも聞かない。
ただ自分の世界に浸っているだけ。
そのため前世では、時雨は彼女と彼がかつて短い間同級生だったことさえ全く知らなかった。
松本翔は颯が一言も話さず、本ばかり見ていることに気づいた。
彼はますます腹を立て、歯を食いしばりながら、颯の手から本を引き抜いた。
そのまま後ろに投げた。
パン——
その教科書はまっすぐ時雨の机の上に落ちた。
時雨を驚かせた。
その時、教科書は開かれ、真新しく一文字も書き込まれていない英語の教科書は、彼女の本よりもさらに綺麗だった。
颯は本を奪われ、ようやく気づいて顔を上げ、翔を見た。
視線はまっすぐで、感情は全くない。
「お前は馬鹿か耳が聞こえないのか?オレはずっと話しかけてるのに、なんで一言も返事しないんだ?」翔は言った。
颯はやはり黙ったままだった。
まるで綿に拳を打ち込むようで、無力感と極度の怒りを感じさせた。
元々気性の激しい翔は、普段から7組のボスで、誰も彼の言うことに逆らえなかった。
突然カッとなり、颯の襟首をつかみ、殴りかかるような構えを見せた。
時雨の胸はドキドキと鳴っていた。彼女は知っていた、見て見ぬふりはできないと。
未来の颯がどれほど残酷になろうとも、今の彼はまだいじめられる可哀想な子だった。
彼は何も分かっていない。
前回、彼は無意識のうちに彼女を助けてくれた。今回はもし彼女が怖がって立ち上がらなければ、きっと彼はがっかりするだろう。
そして彼女も、良心が咎めるだろう。
この時、時雨は颯が彼女のことをもはや覚えていないかもしれないとは思わなかった。
そこで、翔が颯を殴ろうとしているのを見て、時雨は急いで前に飛び出し、翔の手をつかんだ。「やめて!」
少女は自分でも分からないほどの力で、翔の手を颯から引き離した。
翔は一瞬固まり、時雨だと分かると笑い出した。「転校生、お前がオレに逆らうのか?」
彼は豪快に笑ったが、その表情は陰鬱で、まるで毒を塗った短剣のように人を殺しかねないようだった。
時雨は彼の視線の中で、非常に不安だった。
前世では、彼女はクラスメイトにあまり印象がなかったが、翔の印象は深かった。なぜなら彼はクラスで最も悪質な生徒で、よく授業をサボって喧嘩し、詩織に好意を持っていたからだ。
問題児が優等生を追いかけるストーリーは、ほとんどの学校で上演されていた。
だから彼のことについて、彼女は少し知っていた。
時雨は唇を噛み、できるだけ怖がらないようにした。
彼女は二度目の人生を歩んでいるのに、なぜ翔を恐れる必要があるのだろう?
「クラスメイトをいじめてると、先生に知られたら良くないよ」
翔はそれを聞いて、最初は少し驚き、それから大笑いした。「お前、オレが先生を恐れると思ってるのか?」
周りのクラスメイトも笑い始めた。
時雨の天真爛漫さを笑うのだ。翔がどんな立場か分かっているのか。最近、彼の父親が学校に寄付して新しい図書館を建てたばかりだ。先生が彼に口出しできるだろうか?
時雨は初めてクラス全員に笑われ、顔を赤らめ、涙があふれそうになった。
まるで前世の屈辱がもう一度繰り返されているようだった。
彼女は拳を強く握り締めた。一度立ち上がった以上、もう後には引けない。
翔は今、腹が立って仕方がなかった。
颯一人ならまだしも、馬鹿だからしょうがない。
しかし、この横から出てきた邪魔者は何なんだ?こんな外見も普通で普段は無口な女までが彼に挑戦するだって?!
翔は不機嫌になった。
彼は時雨をにらみつけ、険しい目つきで見た。
時雨は少し緊張し、翔が本当に彼女を殴るのではないかと心配した。
しかし彼女はそれでも颯の前に立ち、彼を守った。
彼女は翔が実際に彼女を殴ることはないだろうと思っていた。結局、彼が女性を殴ったという話は聞いたことがなかった。
でも、殴られてもいい。
後でやり返せばいい。
後ろの少年は、その時目を前の少女に向けた。
彼女はとても小柄で、彼の胸元までしかなかったが、彼女は彼の前に立ち、まるで強者のように彼を守っていた。
彼は彼女を覚えていた。あの日、彼と一緒に部屋に閉じ込められた人。
あの時、彼が彼女のために秘密を守ったから、今度は彼女が彼のために立ち上がるのか?
颯はただ少し可笑しいと思った。
彼は彼女が固く握り締めた拳を見て、理解できないと感じた。
明らかに死ぬほど怖いのに、無理に立ち上がる。
しかし彼は声を出さず、静かに芝居を見るように立っていた。
最終的に、翔は彼女を殴らず、彼女に言った。「いいだろう、オレは女は殴らない。だが、今日の日直はお前がやれ!」
そのとき、ベルが鳴り、翔は自分の席に戻った。
時雨は少し唇を噛んだ。これが最良の結果だったのかもしれない。
日直をやるのも、大したことはない。
青木家に来る前は、彼女は小さい頃から家事をするのに慣れていた。
時雨は教科書を颯に渡し、優しく慰めた。「彼を恐れないで、大丈夫だよ」
颯の視線は教科書、そして時雨が教科書を渡したその手に落ちた。
その弱々しい手は、長年の労働で多くのタコができ、傷跡もあった。
彼が見てきた他の人々の手とは違っていた——おそらく彼の周りはいつも贅沢に慣れた人ばかりだからだろう。
颯はいつものように黙っていたが、時雨は気まずく思わなかった。彼女もそれに慣れていた。
自分の席に戻り、真面目に授業を受けた。
一日が終わり、時雨はため息をつかずにはいられなかった。おそらく基礎が弱いせいで、授業はわけがわからなかった。
しかし、それでも彼女は先生のノートを全て書き写し、夜に帰って復習して消化するよう努力した。
時雨が真面目に授業を聞く姿は、当然担任の注意を引いた。
このクラスに入る生徒は皆特殊で、基本的に勉強せず、卒業証書だけ取って留学する。
だから授業を聞く生徒はほとんどいなかった。
時雨のような勤勉な生徒はあまり多くなかった。
以前も彼はこの転校生を観察したことがあったが、毎回授業中はぼんやりして何を考えているのか分からなかった。
思いがけず、今は彼女がこんなに勤勉になったとは。
授業が終わると、彼はわざわざ時雨を職員室に呼んだ。
時雨は不安な気持ちで、自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ名指しされたのかと考えた。
「青木時雨さん、今日の授業中に観察したが、君はとても勤勉だね」
褒められたのか。
時雨は笑顔を見せた。「基礎が弱いので、頑張るしかないんです」
担任は非常に嬉しそうだった。「今後、わからない知識があれば、いつでも職員室に来て各教科の先生に質問していいよ」
「本当ですか?」時雨は喜びに満ちた表情を浮かべた。
「もちろん。学期末に良い成績を取って、もっといいクラスに入れるよう願ってるよ」
高校1年生は中学の試験の成績でクラス分けされ、2年生と3年生は学期末試験で次のクラスが決まる。
「先生、頑張ります」時雨は明るい笑顔で、とても素直そうに見えた。
教師は誰でも、こういう向上心のある生徒が好きだ。
基礎が少し弱くても構わない。頑張りさえすれば、問題はない。
職員室から教室に戻ると、時雨の表情はすぐに崩れ落ちた。
目の前のゴミ場は何事だ?!
教室の床には、お菓子の袋やティッシュが散らばり、オレンジジュースさえ零れていた。
とにかく汚かった。
「おい、転校生、絶対にきれいに掃除しろよ!」翔はティッシュを引きちぎって床に投げながら、ニヤニヤと時雨に言った。
彼の表情は非常に殴りたくなるものだった。