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夜明け前の薄明かりが差し始め、眠っていた街が徐々に目を覚ましていく。
靄の中から一筋の細い人影が現れ、通りの角にある屋台の前で足を止め、揚げパンと豆乳を一つずつ買った。
小さな飲食店が立ち並ぶ通りを抜けると、道路を隔てた向かい側には洛城の高級住宅街、錦繍湾がある。
家の門前に着くと、奥村遥(おくむら はるか)はゆっくりと最後の一切れの揚げパンを口に運び、包み紙を入口のゴミ箱に捨てた。
銀色のブレスレットが細い手首に沿ってずり落ちる。
ブレスレットを軽く叩くと、何の素材かわからない細い糸が一瞬で飛び出し、正確に二階のバルコニーの手すりに絡みついた。
手首を返すと、その糸が彼女を一気に引き上げた。
まるで大きな猫のように、彼女はバルコニーに音もなく着地した。
部屋に戻ろうとした瞬間。
「お母さん、私たちがこんなことをして、松本家は同意するの?」隣の部屋の窓から奥村志保(おくむら しほ)の声が聞こえてきた。
「あの健斗様は今や生死もわからない。松本家に選択の余地はないわ。
「それに、昔、松本家と婚約を交わしたのは、元々彼女だったの」
「でも姉さんは数日前にこのことで手首を切って自殺を図ってたわ。彼女が……」
「死ぬにしても松本家で死んで、健斗様と死後の結婚すべきよ。
安心して志保。あなたは私の実の娘ではないけれど、私の心の中ではあなたが実の娘なのよ。
「お母さんは絶対にあなたを松本家という地獄に飛び込ませたりしないわ……」
遥はこれ以上聞かずに、足を踏み入れて部屋の中へと歩いていった。
彼女たちの口にしていた「彼女」とは、この身体の持ち主、つまり現在の自分、奥村遥のことだ。
17年前、奥村家の家政婦だった高橋凛(たかはし りん)と近藤詩織(こんどう しおり)はそれぞれ娘を産んだ。
自分の娘に良い暮らしをさせるため、高橋は病院で二人の娘をこっそり取り替えた。
そして遥を連れて山に逃げ帰った。
二ヶ月前になってようやくその事実が露見した。
詩織は遥が田舎育ちであることを嫌い、彼女を引き戻すと恥をかくと思った。
そのため間違いをそのままにして、母娘の関係を切ってしまった。
しかし一ヶ月前、奥村家と婚約していた健斗様が突然奇病にかかり、どの病院でも原因を特定できない。
松本家はありとあらゆる方法を試したが、病状は急速に悪化していた。
松本健斗(まつもと けんと)の病気は良くなるどころか、ますます深刻になっていった。
松本の祖母は藁にもすがる思いで、誰かの言うことを聞き、古人のように健斗のために婚約して厄払いをすることにした。
松本家の株式の10パーセント、現金2億円、そして複数の不動産を奥村家への結納として直接差し出した。
トップクラスの名家である松本家の株式1パーセントだけでも人を億万長者にするのに十分なのに、一度にこれほど出せば、どんな家も羨むだろう。
ただし、業界では密かに噂が広まっている。実は松本家が何か大師を見つけ、婚約者の命を使って健斗の命を延ばそうとしているというものだ。
詩織は志保を人の命を延ばすために差し出すのも惜しいし、松本家からの結納も惜しい。
機転を利かせ、山から高橋遥を連れ戻して名前を奥村遥に変え、彼女を健斗の命を延ばすために差し出し、巨額の結納と引き換えにしようと考えた。
彼女がこの世界に来た日、遥はちょうどこのことで手首を切って自殺を図っていた。
彼女がまた何か騒ぎを起こさないよう、詩織はこの数日間、遥を部屋に閉じ込め、毎日食事を運ぶ以外は、ドアをしっかりと施錠していた。
しかし、彼女が持ってくる食事はあまりにも不味かった。
遥は先ほどの甘い揚げパンの味を懐かしむように思い返しながら、ベッドに戻って仮眠を取ることにした。
ほんの少し眠ったところで、「カチャリ」とドアの鍵が開く音がし、すぐに部屋のドアが外から押し開けられた。