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章 10: 誤解

編集者: Inschain-JA

谷川美咲はすぐに電話をかけ直した。

「どこにいる?」藤井彰の低くて心地よい声が受話口から響いた。だが、その声音は氷のように冷たかった。

美咲は思わず身を震わせ、声も少し震えた「わ、私は……まだホテルにいるの。午前中ちょっと体調が悪くて、部屋で少し休んでたの」

「なぜ僕の電話に出なかった?自分で見てみろ、俺が何回電話したと思ってる!」その声は荒々しく、怒りを帯びていた。

美咲は驚き、体をすくめた。「ご、ごめんなさい……」

一瞬の沈黙のあと、彰は強い口調で言った。「どこにも行くな。今すぐ行く」

「うん」

美咲は本当にどこにも行かなかった。ただホテルのソファに座り、彰をじっと待っていた。

ほどなくして、ドアをノックする音が響いた。

美咲は服の乱れを整え、ドアへ向かった。

「昭彦さん?」来たのは、彰ではなかった。

佐藤昭彦は柔らかく微笑んだ。「お客さんはほとんど帰ったのに、ロビーで君を見かけなかったから。まだ休んでるのかと思ってね。邪魔じゃなかったかな?」

「いいえ、もう起きた」美咲は体を少し横にして昭彦を中へ通した。

「それなら良かった。ああ、これは君のものじゃないかな?」昭彦はポケットから房飾りのイヤリングを取り出した。「スタッフが届けてくれたんだ。今日、君がつけていたイヤリングに似てたから」

その日来ていた客たちは皆、名のある人々ばかりだった。身に着けている装飾品の一つひとつが高価なものかもしれない。スタッフはホールの片付け中にそれを見つけ、軽々しく扱うわけにもいかず、昭彦に渡したのだった。

美咲は耳に触れてみた。確かに片方がなくなっていた。「ありがとう」

「つけてあげるよ」昭彦が美咲のそばに来て、手を伸ばした――その瞬間、鋭い声が響いた。

「何をしてる?」冬の氷のように冷たい声だった。

彰の声を聞いた瞬間、美咲の心臓が止まりそうになった。慌てて一歩下がり、入口の方を見た。「彰さん……」

彰は思っていたよりずっと早く来ていた。

彼はドア口に立っていた。濃い色のスーツに白いシャツ。ネクタイはせず、襟元は少し開いている。服はきっちりとアイロンがけされ、まるで完璧なお金持ちの坊ちゃんのようだった。

「僕が邪魔をしたみたいだな?二人のいい時間を」

美咲は自分と昭彦の間に何もないことを知っていた。けれど、心は乱れ、無意識のうちに言い訳を探していた。

だが、彰は彼女に口を開く隙を与えなかった。冷たい声がもう一度落ちてきた。「谷川美咲。お前を見くびってたらしい。まさか既婚者にまで手を出すとは……本当に感心するよ」

その言葉は、鋭い刃のように美咲の胸を刺した。

昭彦は眉をひそめた。「彰さん、言い過ぎだ。私と美咲は――」

「ふん」彰は冷たく鼻を鳴らし、勢いよくドアを閉めた。その音は、扉が壊れそうなほど激しかった。

彰は去った。何一つ、説明の余地を与えぬままに。

昭彦はしばらく黙って美咲を見つめた。慰めの言葉を探したが、それより早く美咲が口を開いた。「昭彦さん、大丈夫だから。先に戻って。沙耶さんが心配するわ」

「送っていくよ」

「いいえ、結構」なぜか今の美咲は、昭彦と一緒にいることがたまらなく嫌だった。

昭彦は短くため息をついた。「……わかった。でも安心して。私がきちんと彰さんに説明するから」

美咲はかすかに笑ったが、その笑みには力がなかった。彼女と彰の関係はもともと脆いものだった。そこにこんな誤解が加わったのだ。彼がもう、優しい顔を見せてくれないだろうことぐらい、わかっていた。

彰は終始険しい顔のまま、ホテルを出た。車を走らせ、京市の道路を飛ばす。スピードはどんどん上がり、窓も開けたまま、冷たい風を顔に浴びせていた。そうすれば少しは冷静になれる――そう思ったのだ。

だが、効果はなかった。胸の奥の怒りは、逆に膨らむばかりだった。

彰は鹿鳴学院には戻らず、京市でも名の知れたクラブへと向かった。

彼が姿を見せると、支配人がすぐさま駆け寄り、媚びた笑みを浮かべて迎えた。

彰は大量の酒を注文し、黙って飲み続けた。支配人は考えを巡らせ、そっと耳元で言った。「藤井坊ちゃん、お一人で飲むのも退屈でしょう。話し上手な女の子を呼びましょうか?」

彰は酒をもう一口飲み干し、目を細めた。「ああ、いい」

支配人が手を叩くと、すぐに濃いメイクの女性が入ってきた。支配人は彼女に言った。「こちらは藤井坊ちゃんだ」

「藤井様、こんばんは」女は緊張した笑みで挨拶した。

彰は眉を上げ、隣のソファを軽く叩いて座るよう促した。

支配人はそれを見て、空気を読んで退出した。出る前に、ドアを静かに閉めていった。

「藤井様、一杯どうぞ」女がグラスを差し出した。手がわずかに震えていた。

彰は淡々と尋ねた。「僕が怖いのか?」

「い、いえ……」

彼女が言葉を詰まらせる様子を見ながら、彰は視線を落とした。片手でスカートの裾をずっと引っ張っている。

そのスカートは短く、少し動くだけで危ういほどだった。

「新人か?」

女は少し驚いたように頷いた。「はい。今日が初出勤です」

「学生か?」その声には、興味のないような響きがあった。

「はい、大学生です」

彰は一本のタバコを取り出して口にくわえた。すぐに女がライターを差し出した。

彰はわずかに笑い、頭を傾けて火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出した。

「どこの大学だ?」

女はライターをしまい、正直に答えた。「京市映画学院です」

彰の指先がわずかに止まった。「……そうか」

短く呟くと、彼は言った。「化粧を落としてこい」

女は理由がわからず戸惑ったが、言われた通りに洗面所に行き、顔を洗って戻ってきた。

戻ると、彰は足を組んでタバコを吸っていた。すでに二本目の煙草だった。

小林直子(こばやし なおこ)は、自分の鼓動が少し早くなるのを感じた。この男は、煙草を吸う姿さえも絵になっていた。

彼女は慎重に彰の隣に座り、空になったグラスに酒を注いだ。

「名前は?」

「小林直子です」

彰は軽く頷き、また酒を口にした。直子は黙って隣で注ぎ続けた。彼は、何か嫌なことがあったのだろうか。

だが、そんなことを聞ける立場ではなかった。支配人に言われていた。余計なことは言うな。黙って笑っていればいいと。

どれほど時間が経ったのか、気づけば彰はすっかり酔い潰れ、ソファで眠りこんでいた。

直子は支配人を呼びに行こうとしたが、その時、微かな声が聞こえた。彰が、何かを呟いたのだ。あまりに小さな声で、内容は聞き取れなかった。

彼女は少し身を寄せた。ようやく、その言葉をはっきりと聞いた。

「美咲さん」彼の大好きな女?

――美咲? 彼の、好きな人の名前……なの?


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