息を吸い込む。
ぎゅっと抱きしめ、
顔をすり寄せる。
冷たく整った美しい顔が、感情の解放とともに少しずつ熱を帯びていく。まるで長いあいだ背負っていた重荷から解き放たれたような心地よさだった。呼吸は荒くなり、頬にはうっすらと紅が差していく。
「ついに帰ってきた!」
仕事で張り詰めていた緊張が、その瞬間、一気にほどけた。思わずベッドを抱きしめる。もう二度と離したくない――。
やっぱり、この場所の匂いがいちばん落ち着く。
ウェイと出会ってから、もう何年もの月日が過ぎていた。
前任の教皇が不慮の死を遂げて以来、教廷はかつてないほどの混乱に包まれ、歴史上でも最も危険な暗黒期へと突き落とされていた。
内には教廷からの重圧、外には魔族の侵攻――。
治安が安定していたはずの帝国内でさえ、邪神による災厄が次々と発生していた。
継承の準備などまるでしていなかった自分が、突然アリシア女神に後継者として指名された――。その瞬間から背負うことになった重圧がどれほどのものだったかは、もはや神のみぞ知る。
――討伐隊の失踪事件を調べるため、偶然この小さな町を訪れるまでは。
人気のない川辺。冷たい水面を前に、限界まで張りつめていた心がついに崩れ落ちた。彼女はそのまま川へ飛び込み、水の中に身を隠して、抑えきれない感情を思いきり泣きながら吐き出した。
思いがけず、通りかかったウェイに助け出されてしまったのだった。
そして――感情を抑えきれないまま、涙をぬぐいながら、彼に手を引かれてキャンプ地へと戻ることになった。
「恥ずかしい……」
今思い出しても、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
けれど――彼と出会ったからこそ。彼の突拍子もない発想や行動に支えられて、あの耐えがたい時期を乗り越えることができたのだと思う。
もちろん――最終的に彼と結婚したのは、彼に正当な身分を与え、恩に報いるためだ。特別な事情があってのことにすぎず、決して恋に溺れて彼を好きになったわけではない。
このことを知っているのは、ごく限られた人間だけだった。
かつて、和平協定が崩壊したのち――魔王は魔族の地を離れ、密かに人間界へ潜入したと噂されている。
さらに、邪神教会とも手を組み、裏で何か恐ろしい計画を進めているのではないか――そう囁かれている。
この小さな町を訪れたのも、偶然にも魔王の痕跡を見つけたことがきっかけだった。
だから――ウェイとの結婚も、あくまで調査を円滑に進めるための手段だった。目立たない平凡な身分でこの地に留まるための偽装にすぎず、決して、彼を本気で好きになったからではない。
強いて言うなら――ほんの少しだけ、ウェイのことを好ましく思っているのかもしれない。
けれどそれは、あのとき自分を支えてくれた彼への恩返しのような気持ちであって、純粋な感謝にすぎない。いわゆる「恋愛感情」とは、まったく別のものだ。
私は――恋愛にうつつを抜かすような教皇ではない。まして、好きでもない相手に勘違いさせるような女でもない。彼に冷たく接しているのは、すべて「恩返しでしかない」ということを、きちんと説明しているからだ。
将来、もし魔王と相まみえ、そのまま命を落とすようなことがあっても――ウェイが悲しまないようにと感情を抑えているわけではない。状況が完全に安定するまで、彼が自分に恋しないよう距離を置いているのも、決してそんな感傷的な理由からではない。
「しかし……魔王はいったい、どこへ姿を消したのだろう?」
ヴィアはそっと目を閉じ、思考の渦から抜け出せずにいた。
結婚の前後を通して、この町で調べられるものは、すべて調査し尽くした。
道端の犬にまで目を配ったというのに、結局、何の手がかりも得られなかった。これでは、とても行方を追うことなどできそうにない。
「もう……魔族のもとへ戻ったのだろうか?」
「いや、難しいな……」
意識が次第に霞んでいく。
近くに漂う、心を落ち着かせるあの匂いを感じながら、ゆっくりと眠気が押し寄せてきた。やがて、ヴィアの視界は闇に包まれ、最後に残ったのは――疑問に満ちた、かすかな囁きだけだった。
……
正直に言えば――この意地悪な女、寝ている顔はけっこう綺麗だ。
ウェイはベッドの縁に腰を下ろし、彼女が自分の胸にもたれかかるのをそのまま受け入れ、静かに、その寝顔を見つめていた。
いつもの冷たく高飛車な態度が嘘のように、眠っているときのヴィアは、灰色と白の子猫のようにおとなしくなる。
その冷たさの奥に、ふと垣間見える本能的な甘さと人懐っこさ。――まさに、今の彼女がそうだった。
絹のようになめらかなナイトウェアが、しなやかで美しい曲線を描く体をやさしく包み込んでいた。
淡い金の瞳には、どこか甘やかな気配が宿っていた。彼女は無意識のうちに、自分の胸の前で手を組み、その誇らしいほどの柔らかさと弾むような感触を感じ取っていた。
こんな光景は、これまでにも何度も見てきた。二人の関係は確かに契約結婚ではあるが、日常の暮らしぶりは、普通の夫婦とほとんど変わらなかった。
「もし俺が魔王だって気づいたら、きっと怖がって丸くなって、その場で祈り出すだろうな」
「ふふ……そのときは、どう懲らしめてやろうか」
起きる確率はほとんどないが、そんな情景を想像して、内心どこか期待している自分がいるのをウェイは感じていた。
彼は密かに思い描く――目の前でその“無能なる教皇”を徹底的に懲らしめ、彼女を脅して「言うことを聞かないなら教皇と同じ目に遭わせる」と言い放つ自分の姿を。
教廷の高位聖職者を脅し、彼女を“魔王の威”の下にひれ伏させる――それは、光の女神アリシアに対する、ある種の背徳であり、冒涜でもあった。
ウェイは思わず片手で顔を覆い、指の隙間からそっと覗くその瞳は、抑えきれない高揚にわずかに震えていた。
ああ――脳が震える!
「ん……?」
そのとき、澄みきった金色の瞳がゆっくりと開かれた。
その光は、まるで夜明けの一瞬を閉じ込めたかのように、美しく冷たかった。
「やっと起きたか」
完全に目を覚ましたヴィアを見て、ウェイは何事もなかったように表情を整えると、片手を上げ、彼女の頬をそっとつまんだ。
なめらかで繊細な肌触り――そしてほのかな弾力。この女の肌は、いつだって驚くほど完璧だった。
「……何をしているの」
声はいつもどおり冷ややかだったが、
目覚めたばかりのけだるさが混じり、その響きにはどこか柔らかさが宿っていた。
「もちろん、食事に呼びに来たんだよ。どうした?そんなに元気がないじゃないか」
ヴィアの顔には、まるですべての力を使い果たしたかのような、どこか無気力な表情が浮かんでいた。
ウェイはそう言いながら、彼女の唇を軽くつまみ、あごをなでてからかうように笑った。
「仕事で疲れただけよ」
ヴィアはわずかに眉をひそめる。――この人、私のことを猫か何かと勘違いしているのかしら?
相手の手がそっと頬をなでるのを、そのまま受け入れながら、ヴィアはわずかに眉を寄せた。けれど、不思議と拒む気にはなれなかった。
要するに――長く家を空けていた負い目があるから、その埋め合わせとして受け入れているだけのこと。決して、こんな近い距離にいるからといって心が和らいだわけではない。
「なるほど、仕事で疲れてるのか……」
そう言った直後、ヴィアはふと違和感を覚えた。
先ほどまで自分のあごをなでていた彼の指が――いつの間にか、別の場所に移動していたのだ。
ウェイが話している間に、その指はすでに驚くほど手慣れた様子でボタンを外し始め、一方では真面目な顔で頷きながら、大きな決断をしたかのように見せていた。
「それなら……少しでもリラックスできるようにしてあげよう」軽い冗談めかした声に、どこか本気の響きが混じっていた。
こういうときのヴィアは、もっとも隙が多く、からかいやすい。
――帰宅してから積もり積もった恨み、今返さずしていつ返す?ウェイの口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「そんなことで、気分が良くなるわけないでしょ」
しかし――もう手遅れだった。
状況を悟ったヴィアは、慌ててその手から逃れようと身を引く。
だがその瞬間、澄んだ金色の瞳に浮かんだのは、はっきりとした恐怖の色だった。
しかし、話している間に、ボタンはすでにウェイによって完全に外され、軽く蹴っていた足も彼に捕まり、彼女の体はすぐに極めて不自然な姿勢になった。
「ご、ご飯! ご飯を食べれば元気になるわ!」
――死ぬ!本当に死んでしまう!
帰ってきたばかりで、体に力なんて残っていないのに……!
ヴィアは必死にもがき、後ずさりしながら、相手の手から逃れようとした。
顔を真っ赤に染めたヴィアは、必死にその言葉を叫んだ。相手が何をしようとしているのか、瞬時に理解したのだ。だが、思いがけないことに――彼女の叫びは、暴走しかけた相手の理性を、ぎりぎりのところで引き戻した。
「ご飯……?」
ウェイは考え込むように頷き、そして、直接彼女を抱き上げ、顔に喜びの笑みを浮かべた。
細く柔らかい腰を手に握り、自分の妻を抱えて階下のキッチンへと向かった。
「それは悪くないアイデアだね。じゃあ、食事をしながら――君の気分をもっと上げてあげようか?」
「そういう意味じゃないわっ……ウェイ!!!」ヴィアの声が部屋中に響き、その後には、困ったような笑い声だけが残った。