「ああ、そうだな。お前はまだ言葉を覚えたばかりで、うまく話せないかもしれん……」
高橋浩はちらりと彼女に視線を投げた。
「ならば練習だ。一万回、呼んでみろ」
その一言に、
渡辺水紀の顔は一瞬で引きつった。
慌てて弁解するように言う。「お父……パパ、できるから」
「うん?」――紫の冷たい瞳に、かすかな殺気が宿った。
「パパ……パ……パパ……パ……パパ、パパ……パパ……」
なんとも美しくも不気味な空気が漂う中。
幸いにも、
侍従たちが料理を運び込んできた。
机の上に並んだのは、山のようなラムチョップと、新しく醸したばかりの酒一杯。
たちまち、
濃厚な香りが室内に広がった。
水紀はラムラックを指差し、無邪気ふりに尋ねた。
「パパ、パパ……これ、なに?」
だが、問いかける彼女の瞳には、すでに期待の色が滲んでいた。
今日の浩は、どうやら上機嫌らしい。
珍しく短く答えを返した。
「ラムラックだ」
「お前には食わせん。これは僕のものだ」
……思わず叫びたかった――どうしてよ!?
だが、生き延びるために、そんな勇気は出せなかった。
それでも水紀の視線は、ラム肉に未練たらたら。
ついに、手を伸ばし、そっと取ろうとした。
だが浩は止めることもせず、ただ冷ややかな眼差しを向けただけだった。
その沈黙の中に、圧倒的な威圧感が漂った。
「……っ」水紀は怯えて、慌てて手を引っ込めた。
浩は氷のように冷たい男だった。
だが、その冷たさすら、彼の完璧な容貌を損なうことはなかった。
――『兄弟たちは皆絶世』の記述によれば、
万年の効能を持つ霊丹「雪凝丹」が存在する。
それを服すれば、最も若く美しい姿を永遠に保つことができるという。
だからこそ――誰も気づかなかった。
浩がすでに千年を生きた獣であることを。
……そして、その美貌は、女でさえ劣等感を抱くほどだった。
水紀の瞳には思わず賞賛の光が宿った。
しかし同時に、残念でならなかった。
――彼は、決して溶けることのない氷のような人なのだ。
じっとその端正な横顔を見つめていると、水紀は息を詰めてしまった。
そのとき気づいた。浩の目の下にうっすらと影があることに。
彼女は思わず心配して、小さくため息を漏らした。
小説で語られていた――浩が病弱で、常に不調を抱えている――というのは本当だったのだ。
なぜなら、彼の本来の姿は蛟龍。
水を司る獣であり、
水辺にこそ力を発揮できる存在。
だが今、龍の一族は、乾ききった砂漠に暮らしているのだから……
「……悪くない味だ。飲め」
目の前に差し出された酒盃に、
水紀ははっと我に返った。
――こんな小さな子供に酒を飲ませるなんて、この人はどれだけ残酷なんだ。
慌てて首を振り、
小さな声で断った。
「パパ……わ、私は飲みたくない……」
だが浩の目は、
拒絶を許さぬ光を宿していた。
そして
観念した水紀は、
大きな両手で盃を抱え込み……一気に飲み干した。
「んっ……!」
舌に広がるのは、予想していた辛さではなく――
ふんわりとした甘さ。
まるで果実酒のように、
心を蕩かす味わいだった。
思わず、もう一口、と手を伸ばしたその瞬間。
酒盃は浩の手に奪われ、するりと没収されていた。
「……飲みたくなかったんじゃないのか?」
「……っ」
水紀は心の中で叫んだ。完全に弄ばれてた!