章 2: 彼女、爆発して歪んじゃったのかも
編集者: Pactera-novel
忠彦は肋骨を押さえ、顔をしかめた。詩織はあの細身の体のどこに、あれほどの力を隠していたのか。
さっきはただ気を抜いただけだ。まさか詩織に蹴り倒されるとは――。
その瞬間、忠彦は手を振り上げ、詩織を殴ろうと身を乗り出した。
詩織はさっと身をひねり、負傷した肋骨めがけて拳を叩き込み、その勢いのまま容赦なく蹴り上げた。
忠彦は悲鳴を上げ、そのまま地面でのたうち回った。
「この生意気な娘！」夫と息子がやられるのを見た千恵は、詩織の顔を掴もうと勢いよく飛びかかった。
「ドンッ！」
千恵は詩織の蹴りを受け、そのまま吹き飛ばされた。
元の持ち主の記憶で、この家族が彼女を日常的に殴ったり怒鳴ったりしていたと知っている。だから詩織も、一切容赦しなかった。
「生活費を使ったのは事実よ。でも、お父さんに言いつけるつもり？あの人、あなたを十一年もここに放りっぱなしで連絡ひとつ寄こさないのよ。好きに言えば？相手にしてくれるかどうか、見ものだわ」千恵は腹を押さえながら吐き捨てるように言った。
「たしかに、彼は私のことなんて気にも留めていない。でも――外の人間が彼の利益を侵して、黙って見逃すと思う？」元の持ち主は信彦への記憶はぼんやりしていたが、詩織には彼の性格だけは読み取れていた。
もし能力がなかったら、どうやって軍で頭角を現し、小隊長として部下をまとめられるというのか。
彼女はただ腕っぷしだけの人間ではない。
案の定、忠彦も千恵も顔を強張らせ、言葉を失った。
詩織は二人を完全に無視し、大きめのどんぶりを取り出すと、テーブルの豚の角煮も東坡肉も焼き鶏も、全部その中へ放り込んだ。
そして、大きな鶏スープの椀も抱えて、そのまま寝室へ引き上げた。
忠彦は痛みに顔をゆがめ、「あの生意気な娘、なんで急にあんな強気になったんだ？十一年も殴られようが怒鳴られようが、肉のひと口すら口にしなかったくせに」と吐き捨てた。
大志はある言葉を思い出した。「沈黙のまま爆発するか、沈黙のまま歪んでいくか……彼女、爆発して歪んじゃったのかもな」
忠彦は「……」と黙り込んだ。
千恵も「……」と口をつぐんだ。
ドアを閉めると、詩織は鶏スープをひと口すすり、焼き鶏をつかんで大口でかぶりついた。
こんなに美味しいものがあったなんて――思わず泣きそうになるほどだった。
終末の世界では、肉なんてそう簡単に口にできなかったのだ。
あの世界では、どんな動物の体にもゾンビウイルスが潜んでいる可能性があったからだ。
「宿主さん、次はどう動くの？中村家に戻って一発かましてくれるの？」システムの声には、何か企みを期待する色がありありと滲んでいた。
詩織はうんざりしたように目をそらし、「戻る必要なんてないでしょ。信彦は元の持ち主の父親であって、私の父親じゃないの。それに、あの人は元の持ち主に全然優しくなかったし、戻って何をしろっていうの？せっかく平和な世界に来たんだから、わざわざ企む気なんてないわ」と返した。
システムは「……」と固まった。
どうして自分は、よりによってこんな無関心な宿主にあたってしまったのか。
システムは淡々と告げた。「宿主さん、一つ言い忘れていました。運命が定めた軌道では、本来の持ち主は今年の大学入試前に中村家へ迎えられるはずでした。自分の幼い頃の暮らしと、美月の恵まれた生活がまるで違うことを知り、宝石や絹に囲まれて “王女様” のように育てられた妹を見て、強い怒りと嫉妬を抱くことになっていたんです。本来なら、その恨みを美月にぶつけ、家の中で美月を困らせ続け──婚約者まで奪おうとし、最後は二人の策略によって命を落とす運命でした。二十歳の若さで。けれど今は、予定より早く本来の持ち主が亡くなってしまった。だからあなたが、元の持ち主が辿るはずだった “中村家に戻る運命” を完了しなければなりません。もし定められた時期に中村家へ戻らなければ……あなたは終末世界に送り返され、ゾンビに噛まれて死ぬことになります」
詩織は思わず身を震わせた。ゾンビになどなりたくない──人でも幽霊でもない、あの半端な存在には。
「じゃあ戻ればいいんでしょ？中村家でのんびり過ごすだけなら、別に困らないし」詩織はそう言いながら、焼き鶏を平らげたばかりなのに、すでに東坡肉へと箸を伸ばしていた。
システムは一瞬言葉を失い、それから低い声で続けた。「運命の軌道では、いま中身が誰であろうと “あなた＝元の持ち主” として扱われます。つまり、あなたは元の持ち主の運命をそのまま辿ることになる。二十歳で死ぬ結末も例外ではありません。功徳値を積んでタスクを解放し、 “寿命の報酬” を得ない限り、あなたは二十歳で命を落とし、終末世界へ戻され、ゾンビに噛まれた瞬間からウイルスに感染する運命です」
詩織は「……」と固まり、東坡肉を持つ手を止めた。
彼女はタスク画面を開き、そこに灰色で潰れたタスクが並んでいるのに気づいた。
【初級タスクを開放するには、功徳値20が必要です】
詩織は豚の角煮をかじりながら、気の抜けた声で尋ねた。「で、その功徳値ってどうやって手に入れるわけ？」
システムは途端に声に勢いを取り戻し、まるで営業のような口調で説明した。「誰かが自分の過ちをちゃんと自覚して、心から謝罪するたびに──功徳値が1増えるんです」
「なんでそれを先に言わないのよ！」詩織は叫ぶなり、手にしていた角煮を放り出し、勢いよく立ち上がって部屋を飛び出した。
忠彦の家族三人は、苦い顔で葉物を噛みしめていた。詩織が肉という肉を全部さらっていったせいだ。
詩織が突然戻ってくるのを見て、三人はビクッと身を震わせた。
まさか、今度は野菜まで奪いに来たのか――？三人の頭にそんな不安がよぎった。
詩織はずかずかと歩み寄り、大志の襟首をつかんだ。「あんた、私に謝りなさい！」
「ご、ごめんなさい……？」大志は何を怒られているのかまったく分からず、目を白黒させた。
詩織は目を細め、功徳値がまったく増えていないことに気づいた。
詩織は大志の頭をぺしっと叩きつけた。「心がこもってない！私の生活費を使った上に、殴ったり蹴ったりしてきたこと――それを謝る気はないの？」
「ご、ごめんなさいっ！」大志は叩かれた勢いで泣き出した。
【功徳値+1】
詩織は満足そうに大志を放し、次に忠彦へ視線を向けた。「あなた、私に謝りなさい！母方の叔父なのに、妻が私をいじめるのを黙認して、挙げ句には一緒になって加担していた。……私の母に恥ずかしくないの？」
「すまない」忠彦はぶっきらぼうに言ったが、意外にもその声には心からの謝罪の気持ちが込められていた。
【功徳値+1】
「それとあなた」詩織は冷たい目で千恵を見据えた。
今回は詩織が言う前に、千恵が先に言った。「ご、ごめんなさい！」
【功徳値+1】
「これからはおとなしくしていなさい！」詩織はそう言い終わると、何事もなかったかのように再び寝室へと戻った。
大志は青ざめた顔をして、力なく椅子に座り込んだ。
まるで家に夜叉が現れたかのように、彼はただ震えて座っていた。
システムが軽く告げた。「宿主さん、頭の怪我も功徳値で修復できるわよ」
「え？」詩織は朝から頭の怪我が気になっていた。早く体を鍛えたかったのに、その邪魔をされたくなかった。しかし、システムの詐欺師のような顔を見て、物事はそう簡単にはいかないだろうと感じた。「 いくら必要なの？」
システムは軽く答えた。「多くはないわ、たったの3功徳値だけよ」
詩織は冷たい目でシステムを睨みつけた。「あなた、わざとでしょ？私がやっと3功徳値を手に入れたばかりなのに、すぐに取り上げるつもり？」
こんな調子では、最初のタスクを始めるのはいつになるのか、全く見当もつかなかった。
システムは楽しげに言った。「明朗会計よ、老若男女問わず同じ価格！それに、功徳値がなくなったって、また稼げばいいじゃない！」
詩織は口をゆがめ、渋々言った。「わかったわ、交換するわ」
システムは満足そうに言った。「いいね！」
そして、詩織は画面上で哀れな3功徳値が再び0に戻るのを見つめた。
システムは明るく告げた。「宿主さん、あなたの怪我は治りました」
詩織は頭から包帯を取り外すと、確かに怪我は完全に治っており、痛みも全く感じなかった。
詩織は食事を終えると、迷うことなく訓練を始めた。
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