闇の中、三つの影が同時に飛び込んできた。
銀、黒、褐色の毛並みの異なる獣人たち。
低い姿勢から爪と牙を剥き出し、獲物を仕留める獣そのものの速さで迫る。
「チッ──!」
拳志は反射的に身をひねり、最初の一撃を腕で受け止めた。
骨と骨がぶつかり、腕に鈍い衝撃が走る。
次の瞬間には別の影が背後を狙っていた。
振り返りざまの蹴りを受け止めると、体が地面にめり込む。
「速いな……!」
思わず吐き出した声と同時に、三人目の爪が肩口を裂いた。
赤い線が皮膚に浮き、鉄の匂いが広がる。
「拳志!」
アリシアが駆け寄ろうとするが、獣人のひとりがその動きを狙った。
牙をむいて横合いから飛びかかる──
だが、アリシアは両腕を広げ、目の前に結界を展開する。
透明な膜が鋭い爪を受け止め、火花のような魔力が散った。
「ぐっ……!」
アリシアは結界を維持しながら歯を食いしばる。
押し込まれるたびに靴が土を削り、結界の膜に亀裂が走りそうになる。
「姫様、下がって!」
「姫って言うな!」
レインが叫び、印を結ぶ。
だがその手を狙って別の獣人が突進する。
レインは慌てて身を翻すが、追撃が容赦なく迫り、木の幹に背中を叩きつけられた。
「はぁ……っ、ちょ、待って!」
冷や汗をにじませるレインに、獣人の影が覆いかぶさる。
その光景を見た瞬間、拳志の眼に怒気が走った。
「……何、弱いもんばっか狙っとんねん……!」
拳志の拳が地面を叩き割った。
衝撃が大地に走り、土が揺れて石が跳ねる。
地面は唸りを上げるように波打ち、足を踏ん張っていた獣人たちの体勢がわずかに崩れた。
「止まったな……!」
拳志はその隙を逃さない。
最も近くにいた獣人の腕を掴み、振りほどく間もなく顔面めがけて拳を引き絞った。
筋肉がきしみ、拳に熱がこもる。
あと数寸で獣人の顔を砕く──その時。
「やめて!!」
甲高い声が闇を裂いた。
拳志の拳は寸前で止まる。
振り返った視線の先、助け出した獣人の子どもが震えながら立っていた。
頬を涙で濡らし、両手を広げて必死に叫んでいる。
「この人たちは……助けてくれたのっ!」
拳志の腕に、張り詰めた筋肉が震える。刹那の沈黙。
やがて、拳志は鼻を鳴らし、獣人の腕を放した。
獣人たちの表情に動揺が走る。
互いに目を合わせ、やがて先頭のひとりが深く息を吐き──頭を下げた。
「……すまない。我らの早とちりだ」
アリシアは結界を解き、荒い息をつきながら首を振る。
「仕方ないわ。私たちが無断で森に入ったのも事実だから」
レインも肩を押さえつつ苦笑した。
「誤解が解けたら……それでいいですよ」
しかし拳志だけは、納得していなかった。
血のにじむ拳を握り締め、低く唸る。
「お前ら……獣人としての誇りはどないしてん」
言葉に鋭さが宿り、獣人たちは顔を歪める。
「俺らだって必死なんだ。子供を守るために……」
「……だとしてもや」
拳志は吐き捨てるように言った。
「弱いもんばっか狙うんは、筋ちゃうやろ」
静かな空気が流れる。
やがて獣人のひとりが深く頭を垂れた。
「……礼を言う。だがこれ以上は、俺たちの問題だ。子供は我らが里まで連れて行く。お前たちは引き返せ」
そう言い残し、獣人たちは子供を守るように囲んで立ち上がる。
振り返った小さな獣人の子が、涙で濡れた顔を拳志たちへ向けた。
「……ありがとう」
か細い声とともに、小さな手が振られる。
アリシアはそっと頷き返し、レインは胸に手を当てて見送った。
拳志は無言のまま腕を組み、その光景を目に焼きつける。
やがて獣人たちは影に紛れ、姿を消した。
残されたのは、静けさと湿った土の匂いだけだった。
拳志は深く息を吐き、額を拭った。
「……どうするの?」
アリシアが静かに問う。
拳志は前を向き直り、拳を軽く鳴らした。
「決まっとるやろ。行くで」
レインが慌てて声を上げる。
「ま、待ってください!帰れってはっきり言われましたよ!これ以上は本当に危険です!」
「そんなん分かっとる。せやけどな──」
拳志は暗い森の奥を睨む。
「ガキが攫われとるねん。無視して帰れるか」
一瞬、沈黙。
アリシアは目を細め、やがて肩をすくめた。
「ほんっと、バカね。……でも、そういうとこ嫌いじゃないわ」
レインは大きくため息をついた。
「……分かりましたよ。どうせ止めてもムダでしょうし」
三人は足をそろえて、再び森の奥へ歩みを進める。
月明かりを遮る木々の中、空気はさらに濃く重くなっていた。
月明かりも届かない世界。
だが、拳志の背中は迷いなく前を切り開いていた。