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장 5: 5話 孤独な研鑽

 やるべきことは明確だ。

 この有り余る才能を、原作のカイゼルのように腐らせはしない。ゲーム知識を応用した、誰よりも効率的な訓練で、破滅の運命を覆す力を手に入れる。

 そうと決まれば、行動は早かった。

 オレは早速、リンドベルク家の広大な書庫へと足を運んだ。目的は、魔法の基礎に関する教本から、訓練の足掛かりを得るためだ。

 原作のカイゼルは本など読まなかっただろうが。

 しかし、何冊もの専門書を読み漁ったオレは、早々に壁にぶち当たっていた。

「……使えねえな」

 思わず、悪態が口をついて出る。

 どの教本に書かれていることも、内容はほとんど同じだった。『いかにして少ないマナを効率よく増やすか』『瞑想による魔力総量の増強法』――。

 つまり、この世界の魔術理論は、才能のない者が努力で這い上がるためのものが大半なのだ。

 オレのように、生まれつき規格外の魔力を持つ人間が、その力をどうやって制御すべきか、その答えはどこにもなかった。

 手詰まりか、と頭を抱えたその時。

 オレは、前世でプレイしたゲーム『グランドクロス』における、カイゼルの数ある無様な死に様の一つを、鮮明に思い出していた。

 確かあれは、突然現れた盗賊に、胸を剣で貫かれたルートだったか。

 薄れゆく意識の中、原作のカイゼルは、血反吐を吐きながら、こう後悔していたのだ。

『ああ……クソ……。あの時、あの老人の言葉を……聞いておけば……』

 あの老人。

 そうだ、そんなイベントがあった。

 カイゼルが王立魔術学院に入って間もない頃、彼は気まぐれに訪れた広場で、一人の旅の老人と出会った。杖をつき、みすぼらしいローブを羽織った、どこにでもいそうな老人。だが、その男こそ、大陸最強と噂される伝説の『大賢者』その人だった。

 もちろん、傲慢なカイゼルが、そんなことに気づくはずもない。

 みすぼらしい老人を侮蔑の目で見下したカイゼルに対し、大賢者は、その深く澄んだ瞳で彼のうちに秘められた、荒れ狂う魔力の奔流を見抜いた。そして、哀れむように、こう語りかけたのだ。

『――坊主。お主の内には、国をも滅ぼしかねん大河が流れておる。そのお主の課題は、洪水を起こすことではない。その激流から、一滴の水を掬い取ることじゃ。大魔法の練習など、今すぐやめい。そんなものは、ただ魔力を垂れ流すだけの、猿の芸と変わらん。お主が真に為すべきは、ただ一つ。最も単純で、最もか弱い魔法を、赤子が手を握るように、そっと形作ること。力の『行使』ではない。力の『抑制』こそが、お主を真の道へと導く唯一の術じゃ』

 当然、原作のカイゼルはその忠告を鼻で笑い、老人の前から立ち去った。

 そして、その忠告の意味を理解した時には、もう手遅れだったのだ。もし、大賢者の話を聞いていれば、盗賊ごときに負けるはずがなかった。

「……感謝するぜ、大賢者様」

 オレは、前世の自分と、そしてカイゼルの愚かさに、心から感謝した。

 おかげで、最強への道を、オレだけが知ることができた。

 オレは書庫から自室へ駆け戻ると、内側から厳重にバリケードで封鎖した扉に、さらに念入りに鍵をかけた。

 これからする特訓は、絶対に誰にも見られてはならない。

 人間不信のオレは、この世界の誰一人として信用していない。

 特に、この莫大な魔力量は、絶対に悟られてはならない秘密だった。

 ゲームには、無数のバッドエンドが存在する。その中に、ひときわ陰惨なものがあるのだ。

 カイゼルの膨大な魔力に目を付けた闇の結社に捕らえられ、死ぬまで魔力を吸い尽くされる生きた道具にされる――通称『魔力電池エンド』。

 今のオレの魔力量が外部に知れ渡れば、いつそのルートに突入してもおかしくない。今はまだ、カイゼルの力が周囲に知られていないのが、唯一の救いだった。

 だから、この莫大な魔力は、絶対に知られてはならない秘密なのだ。誰にも。たとえ、この屋敷の人間であってもだ。

 オレはセバスに、これから他の使用人も含めて部屋には勝手に入るなと厳命して、魔法の特訓は部屋の中だけですることにした。

こうして、誰にも邪魔されない環境を手に入れたオレの、地獄の特訓が始まった。

 最初の数週間は、ただの苦行だった。

 大賢者の教え通り、最も単純な魔力弾『マナバレット』を生成しようと試みる。だが、体内の魔力は、意志を無視して指先から溢れ出し、制御不能の塊となって暴発した。

 そのたびに、脳を直接殴られたような衝撃が走り、鼻からは血が吹き出した。

 一ヶ月が経つ頃には、気絶することも日常茶飯事になっていた。

 深夜、魔力制御の反動で意識を失い、冷たい床の上で目を覚ます。そんな日々が続いた。

 たまに部屋から出れば、従者たちが心配そうな視線を送ってくる。特に、筆頭格であるメイドのイオは、オレの顔色の悪さを見逃さなかった。

「カイゼル様、お顔の色が優れませんが……」

 ここで無下に扱って彼女に嫌われるわけにはいかない。だが、馴れ合えば中身がカイゼルでない別人、まさかの悪魔憑きだ、なんてことにもなりかねない。

 オレは仏頂面を崩さぬまま、彼女から視線を逸らしてぶっきらぼうに答えた。

「……ふん、オレなんか無視して、自分の心配でもしていろ」

 それは、彼女からの気遣いを真っ向から否定するのではなく、その矛先を彼女自身に逸らすことで受け流す、苦肉の策だった。

 乱暴な物言いだが、彼女自身を貶める意図はない。カイゼルという仮面を被ったまま、相手に不要な恨みを買わせないための、これがギリギリのラインだった。

 イオは一瞬怯んだが、やがて「申し訳ございません」と静かに頭を下げて去っていく。他のメイドたちにも、似たような態度で接し、最低限の距離を保ち続けた。

 三ヶ月目。オレはやり方を変えた。

 いきなり魔力弾を作るのではなく、まずは指先に、針の先ほどの小さな光を灯す練習に切り替えたのだ。

 それは、想像を絶する精神の消耗を強いた。全身全霊をかけて、体内で暴れる龍のような魔力を、その首根っこを掴んで無理やり押さえつける。その感覚は、終わりなき拷問に等しかった。

 半年が過ぎた。

 オレの身体は、骨と皮だけのように痩せこけていた。だが、その瞳の奥には、狂気にも似た光が宿っていた。

 もはや、指先に小さな光を安定して灯し続けることなど、造作もない。

 その夜、オレは半年ぶりに、『マナバレット』の生成に挑んだ。

 暴れ龍と化していた魔力は、今やオレの意のままに動く、忠実な僕と化していた。

 意識を集中させ、指先から、極限まで絞り込んだ魔力を撃ち出す。

 シュン。

 音は、なかった。

 ただ、オレの指先から放たれた、髪の毛のように細い光の筋が、部屋の対角にある壁に突き刺さり、小さな穴を開けていた。

 威力はない。派手さもない。

 だが、オレは、痩せた頬を歪めて、確かに笑っていた。

 半年間の地獄。その成果が、この一撃に詰まっている。

 これは、破滅の運命に抗うための、孤独で、確かな一歩。

 オレは誰にも気づかれることなく、最強への道を、静かに歩み始めた。


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