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장 5: 小さな英雄

森の緑が薄くなり、土の匂いが乾いた。木立を抜けると、土壁と木の屋根が並ぶ小さな村。

柵の向こうで畑が揺れ、井戸のそばで女の人が桶を持ち上げている。

昼の陽がのぼり切る前の静けさだ。

「……静かな村だな」

「うん」

エリカが小さく頷く。

スミオは俺の肩でぷるぷる震え、陽に透けた。門の前に立つと、近くの男たちが警戒の目を向けてくる。

「入っていいですか」

声をかけると、男の一人が眉を寄せた。

泥に塗れた服、折れた木剣。

エリカの場違いなドレス。

「旅の者で。少し休ませて——」

言い終える前に、スミオが肩から「ぽん」と飛び降りた。

ころん、と着地して見張りの足元で「ぷるん」。柵の陰から男の子が顔を出す。

目が合うと、スミオはもう一回「ぷるん」。

男の子が笑った。空気が少しやわらぐ。

「……かわいいな、それ」

見張りの男が口元をゆるめる。エリカが会釈。無理のないやわらかい笑み。

俺は背筋を伸ばした。

「俺は……歓迎されないだろ」

独り言が漏れる。エリカが小声で返す。

「大丈夫だよ」

それだけ言って、俺の背を押した。

門がきしんで開く。

広場に入った瞬間、納屋から怒鳴り声。

「おい、閉めろ! また入ったぞ!」

人がばたばたと集まる。半開きの扉から小柄な影が飛び出した。

灰色の毛、長い尾。ネズミ型の魔物が3匹。

口にチーズを含み、小袋を引きずっている。

「子どもが! 奥に残ってる!」

泣きそうな声。見ると、奥に小さな女の子がいた。

膝を抱えてしゃがみ込み、目を真っ赤にしている。ネズミが横を通るたび、肩が跳ねた。

「俺が行く」

足が勝手に出た。折れた柄を構える。

掌にささくれが刺さる。エリカに任せれば一瞬で済む。けど——守るのは俺だ。

「ユウキ」

「わかってる」

俺が走るのと同時に、肩で「ぷるん」。

「スミオ?」

返事の代わりに地面へ着地。納屋の入口へ低く跳ぶ。

スミオが跳ねて、先頭のネズミの顔に「ぺとん」と張り付いた。

視界を塞がれたネズミが慌てて頭を振る。

次の瞬間、スミオが「ぽん」と弾けるように離れ、足がもつれたネズミが転んでチーズを落とした。

「俺もいく!」

女の子の前に膝をつき、体で庇う。

右から来た個体を折れ柄で横払い。

当たりは弱いが、進路は逸れる。

「大丈夫。ここにいて」

「……うん」

女の子が袖を握る。手が震えている。

ネズミが木片を口でくわえ、投げつけた。

スミオはそれを吸い込み、「ぽん」と吐き返す。木片は元のネズミの額に当たり、小さく跳ねた。

「ナイス、スミオ」

「ぷるっ」

別の個体が袋を引きずって逃げる。スミオが追いつき、体当たり。袋が転がる。

「外まで下がるぞ」

女の子を抱き上げ、しゃがんだまま出口へ。エリカが扉脇で手を構え、視線で全体を追う。

「ユウキ、子どもを先に」

「ああ」

外の女の人に女の子を渡す。女の子は俺の袖を離す前に、納屋の中へ小さく手を振った。スミオが「ぷるん」と返す。

最後の一匹が棚の上に逃げた。スミオは見上げ、ころりと落ちていたチーズを体に取り込む。

スミオがチーズを体に取り込み、頭上に掲げて走る。

ネズミが釣られて棚から飛び降りた。

スミオは狭い柱の間をすり抜け、わざと速度を落として後ろへ誘う。

距離が詰まったその瞬間——

「今だ」

俺が折れ柄で横から叩き足を止める。

スミオが放り投げたチーズに、ネズミは思わず食いついた。

その真上に、エリカの指先がひと振り。

光の輪が落ちた。

「眠って」

小さな光の輪が「ぱん」と開く。ネズミをすっぽり包む。焼かない。締めつけない。

輪の内側だけが少し重くなる。二、三歩走って、静かに倒れた。

「毒は使っていないわ。少し眠るだけ」

「もう一匹は?」

「藁の影」

スミオが「つん」。

立ち上がった瞬間、もう一つの光の輪。納屋が静かになった。

外から拍手。少しずつ大きくなる。

子どもたちが駆け寄り、入口に並ぶ。

さっきの女の子がスミオの前へ。

「ちいさいの、すごい!」

「ぷるるん!」

今日いちばんの声。スミオは二度跳ね、手のひらに「ぺとん」と頭を乗せた。子どもたちが笑う。

「助かった。本当に助かった。いい仲間を連れてるな」

門の見張りが俺の肩を軽く叩く。からかいではない、まっすぐな声。

「……ああ。自慢だ」

口が先に動いた。喉が熱い。——こんな言葉、もう聞けないと思ってた。胸の内で付け足して飲み込む。

「宿を用意する。今夜は泊まっていけ」

「助かります」

エリカが会釈。スミオは俺の肩に「ぴょん」と戻り、どや顔でぷにぷにしていた。

「スミオのおかげで、居場所がひとつできた」

エリカが撫でる。続けて、風に紛れるくらいの小さな声。

「……でも私には、まだないのかな……」

聞こえた。言葉が出ない。代わりにスミオの頭を人差し指でこつんと弾いた。

「今日のヒーロー。頼りにしてるぞ」

「ぷるっ」

エリカが少し笑い、空気が軽くなった。

空がゆっくりと赤く染まり、村に夜が近づいていた。

広場の端に長い机。パン、煮た豆、野菜のスープ。

子どもたちが交代でスミオを撫でていた。

昼間の女の子がパンを差し出す。

スミオは半分だけ取り込み、半分を押し返した。

「わけっこ、だってさ」

「ぷる」

笑いが起きる。

椅子に腰を下ろし、器を受け取る。

温かさが喉を通り、腹が静かになる。

「……悪くないな、こういう歓迎も」

「ええ。きっとまた見つかるよ。私たちの居場所」

「ぷるるん!」

スミオが胸を張る。偉そうでいい。

今日の主役だ。

やがて村の長が来て、今夜の宿を申し出てくれた。納屋横の空き部屋に藁を敷いてくれるという。

「世話になる」

「明日の朝、東の街道へ出るなら川沿いがいい。上の橋が一本、流されててな」

「助かる」

短いやり取り。

焚き火が石を照らし、影が伸び縮みする。

子どもたちは目をこすり、家へ帰る。

最後に女の子が来て、ぺこり。

「ありがとう、お兄ちゃん。お姉ちゃん。ちいさいの」

「どういたしまして」

エリカが微笑む。

夜風が少し冷たくなったころ、用意してもらった部屋に入る。

藁は乾いて柔らかい。窓から月。

スミオは胸の上で丸くなり、呼吸に合わせて揺れる。エリカは窓辺に座る。髪が白く光る。

「ユウキ」

「なんだ?」

「今日は、ありがとう」

「いや。走って、抱えて、ちょっと振っただけだ」

「それが大事だよ」

天井を見上げる。藁の匂い。遠くで犬が吠える。瞼が重い。

「明日、どうする?」

「川沿い。東の街道。いろんな街を見てまわる」

「そうだな」

「二人と、一匹で」

「……ああ」

目を閉じる前に、胸の内で短く言葉を置いた。——居場所が欲しい。なら作る。誰かに決められる前に、自分たちで。

「おやすみ」

「おやすみ」

「ぷるん」

村を包む夜は、やさしく穏やかだった。


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