장 8: なぜトレンドに？
에디터: Pactera-novel
咲は晶の様子をそっとうかがい、あの冷たい冗談にも彼がまるで動じていないと気づいた。
晶の視線が、咲の手にあるスキンケアセットへとすっと流れる。その瞬間、ようやく彼女の表情にかすかな変化が走った。手を差し出しながら、低く言う。「……それ、私に渡して」
咲は思わず目を見開いた。――あの大物の彼女が、スキンケアセットなんて必要とするの？
咲が一瞬ためらったのを見て、晶は涼しげな瞳を細め、ひとつ嘲るように笑った。「どうしたの？その程度のスキンケアも惜しいって？それでいて“岡本家のお嬢様”の座は譲るつもりなの？」
咲は晶をまっすぐ見つめ、そっと問いかけた。「……姉さん、そのスキンケアに何かあるって気づいたんじゃない？」
ピアノの白鍵をなぞっていた晶の細い指が、ふっと止まる。それでも漆黒の瞳だけは、相変わらず一滴の揺らぎも見せなかった。
晶はほとんど表情を変えない。けれど――転生前は国際的な心理学者だった咲の第六感が、静かに告げていた。そのわずかな“止まり”は、決して見逃していいものじゃない。
そして、その勘が囁いていた――自分の読みは間違っていない、と。
そう、岡本家の令嬢という肩書きさえ鼻で笑うような彼女が、こんなスキンケア一式を欲しがるはずがない。
ただ――咲がこのスキンケアに問題があると知っているのは、原作の展開を覚えているからだ。それなのに晶は、箱越しにその異常を見抜けるというのだろうか？
晶は立ち上がって窓辺へ向かい、窓枠に腰を下ろして外の庭園に視線を投げた。「ピアノの練習じゃなかったの？」
咲は晶の出方をうかがうように視線を向け、それ以上は逆らわず、静かにピアノの前へ座った。「……うん」
小説では、晶が霞から原作の咲に贈られたスキンケアセットを欲しがることもなければ、わざわざ口を挟むような真似もしなかった。
彼女の打った手が、もう効き始めているのだろうか？
咲の口元が、わずかにほころんだ。
真夏の陽射しがきらめき、窓の外では木々が空を覆っている。明るく転がるピアノの音が軽やかに響き、木立の間で鳴いていたセミの声さえ遠のいていった。
陽光が枝葉の隙間から彼女の頬にこぼれ、まだらな光の影を浮かび上がらせた。
晶のまつ毛がかすかに揺れた。差し込む陽射しが眩しくて、彼女は手でそっと目元を覆う。そこで初めて、はっとした――自分は咲のピアノの音と蝉の声に包まれながら、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。
彼女がこんなにも穏やかに眠れたのは、久しくなかった。
咲は一曲を弾き終えると、そっと手を止めた。
彼女の腕前は原作の咲ほど巧くはなく、せいぜいアマチュアの域だった。けれど心理療法の一環で弾き慣れていたせいか、その音色には柔らかなぬくもりがあり、聴く者の心をそっと癒やした。
その頃、階下で窓辺にもたれていた哲也も、ゆっくりと目を開けた。澄んだ瞳には真夏の光が溶け込み、まるで一筋の陽が、底なしの氷の淵に差し込んだように見えた。
咲は晶をちらりと見た。大物の前で拙い演奏を披露したようなものだが、評が気になって思わず尋ねる。「姉さん、私の演奏……どうだった？」
晶は咲を軽く一瞥すると、眠たげな気だるさを残したままピアノ室を出ていく。すれ違いざまに、淡々と言った。「悪くないわ。もっと練習しなさい」
咲は心の中で「……」と呟いた。自分から恥をさらしに行ったようなものだ。
その夜、別荘にいた数人は珍しくぐっすり眠れた。夢の中でも蝉の声はやさしく響き、夏の風はひんやりと心地よかった。
翌朝、咲はスマホのひっきりなしの振動で目を覚ました。眠い目で画面を開くと、目覚ましではなく、LINEをはじめとするアプリの通知が「99+」とずらり並んでいた。
未着信も十数件、溜まっていた。
ちょうどそのとき電話が鳴り、咲は相手も確かめないまま出た。受話口から、少年の少し冷えた詰問が飛んできた。「咲、ネットで急上昇してるニュース、あれ何なんだ？」
声は悪くなかった。けれどその言い方が、寝起きの咲の機嫌を一気に損ねた。
彼女はぷつりと通話を切ってから、今さら相手が雪村正明（ゆきむら まさあき）だと気づいた。
電話の向こうで、正明は画面を見つめたまま言葉を失った。――咲が、自分の電話を切った？
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