目が覚めて最初に視界に入ったのは見覚えのない石造りの天井だった。次に身体にかけられた薄い毛布を手に少しの肌寒さを感じる。
六花は身体全体を覆うように毛布を巻いて身を起こす。辺りを見回してみると、レンガ調の壁に鉄格子で出来た出入り口付きの壁。背後には小さな四角い穴、いや、窓があり、そこから差し込む月光が六花の背中を照らしている。
どこからどう見ても檻、もしくは独房だ。
(捕まったのか?)
六花は鋭く伸びた自分の影を目で追うと、その先である人物と目が合う。
赤い短髪が特徴的な少女。背丈は六花よりも少し高く、暗殺の標的だったローゼよりも頭一個分大きい。
そんな彼女の名を六花は知っている。仮面の集団から事前に受け取っていた情報の中に一致する顔写真があった。
彼女の名はサーニャ・ブランカ。ローゼを守護する親衛隊長である。そこに付け加えるなら、六花の駆る白いジュエルナイトと激闘を繰り広げた赤いジュエルナイトのパイロット――騎操師だ。
サーニャが独房に近づいてくると六花は素早く後退する。と言ってもすぐに独房の壁に背中が辺り、もう逃げられないのだと告げられる。
「これ、アンタの服。汚かったから洗ってあげたわよ」
言ってサーニャは両手に持った衣類を鉄格子の隙間から差し出す。
六花は一瞬受け取るのを躊躇ったが、どうして肌寒さを感じているのか理由が分かったため、少し頬を赤らめながら恐る恐る受け取った。
「向こう向いててあげるから、早く着なさい」
事前情報では気が強く、武に置いては騎操師の中でもトップクラスと聞いていたが、想像していたよりもずっと優しい。
独房に入っているとは言え、背を向けるとは余程のお人好しなのか、それともいつでも殺せるからなのか。
六花は少しの困惑を胸にそそくさと着替える。
この世界に来て以来、何度目かの着替えだ。
最初に目を覚ましたのは廃墟と化した教会のような場所だった。そこで仮面の集団に訳も分からず捕らえられ、体感ではおよそ二、三週間を外の世界が分からない地下施設で過ごした。そこで行われた訓練のほとんどはジュエルナイトの操縦訓練だったが、意外にも簡単で奥深いものを感じ、目的が目的でなければ、好きになっていたと思う。
もしこの世界の住人が皆、仮面の集団のような人物達ならきっとこのまま生きて帰れる訳がない。それなら一層のこと暴れ倒してやろうか。そう思った時、サーニャに呼び掛けられた。
「おい! いつまで掛かって……ってもう着替え終わってるし!」
サーニャは憤りを露にしながら六花を睨みつける。
前言撤回。この人普通に怖い。綺麗な顔して鬼みたいだ。
そんな感想が頭に過るほど、六花の中には余裕が生まれていた。
「貴様、どうしてローゼ様の命を狙った?」
「……」
「なぜ男性騎操師でありながら賊になった?」
まただ。
また『男性』ということを強調して聞いてくる。
六花には知る由もない質問なため黙秘を貫いた。こういう時は何も喋らない方がいい、と六花の五人もいる姉の一人から教わった。
「あくまで何も喋らないというのね。それなら……」
サーニャは右手側にある明かに人工物に見えるレバーを下ろした。すると何かの仕掛けが作動したのか、独房内が揺れ始める。
どんどんサーニャとの距離が開いていく。
六花はまさかと思い勢いよく鉄格子から顔を覗かせる。
六花の入っている独房が宙を浮いている。いや、違う。独房の天井から一本の太い鉄骨が伸びている。つまりこの独房はたった一本の鉄骨だけで繋がれたただ個室となってしまったのだ。
六花は思わず息を呑む。六花が襲った飛空艇『イカルガ』は地上から二百メートル付近を飛行し続けている。鉄格子から先は正真正銘『外』だ。
「お前はローゼ様の命を狙った。即刻死刑のところをローゼ様によって保留にしてもらっているのだ。立場を考えるのだな」
サーニャは冷たく言い残してその場から去っていった。
もちろん独房はそのままで。
おそらく脱獄しようものなら自動的に天井から伸びている鉄骨が外れる仕組みなのだろう。でなければ、こんな状態で放置する訳がない。
独房の位置はイカルガの右下の端っこである。仮に脱出できたとしてもそれから先どうしていいか分からない。
「あそこに戻っても……良いようにはならないよな……」
六花の心中に不安の霧が立ち込める。
「あ、間抜けな六花、見ぃつっけた!」
六花は突然の声に動じることなく、鉄格子から外を見る。するとそこには肩まで伸ばした薄紫色の髪を風でなびかせた一人の少女がいた。その場所はと言うと独房とイカルガを繋ぐ鉄骨の上だった。
薄紫色の髪の少女はふざけた様子で鉄骨に腰掛けていた。
「フェイ」
六花はむっとした表情を浮かべ少女の名を呼ぶ。
フェイ。それが彼女の名前である。素性はよく知らないが、歳も背丈もほとんど一緒で、地下施設で行われた操縦訓練では馴染みの相手である。
だからか、彼女と話す時だけは心が落ち着く。
友達とまではいかないものの、それに近いものを感じる。
「そこ、危ないよ」
「へー。こんな状況でも心配してくれるんだ。やっさしー!」
フェイはケタケタ笑いながら足をバタバタさせる。
「ホントに落ちるよ」
「大丈夫、大丈夫。その時は助けてくれるんでしょ?」
「まあ、見過ごせないからね」
六花は相手が仮面の集団の一員ということもあって複雑な面持ちで答える。
「それで、扉は自分で開ける? それとも私が開けようか?」
「いいよ。自分で開けるから。それよりどうやって施設に戻るの?」
「ここの予備のジュエルナイトを奪取する予定」
「予定って……」
六花はやれやれと言った面持ちで靴の中敷裏に仕込んでいた針金を取り出す。
フェイの気まぐれな性格は仮面の集団も手を焼いている様子だった。それでも誰も彼女を咎めようとしないのは、それだけ彼女の実力が確かなものだからだ。
「相変わらず盗人みたいだね」
「人聞き悪いこと言わないでよ」
言いながら六花は針金を扉の外側にある鍵穴に刺し込む。そのまま手慣れた手つきで数回カチャカチャと動かすと開放的な鉄の音が聞こえ、開錠したことが分かる。
僅か五秒の出来事である。
流石に早過ぎたからか、フェイの顔が引きつっていた。
「ちなみにだけど、俺が戻らないって言ったらどうする?」
「その時はこの船を破壊して墜落させる。元々、殺す予定だった奴しか乗ってないからね。仮面の集団的には問題無し」
六花はフェイの返答に思わず彼女を睨んでしまう。
「そんな怖い顔しないでよ。アンタがついて来たらいいだけの話でしょ」
フェイが呆れたように言う頃には、六花はフェイの隣、つまり鉄骨によじ登っていた。扉を開けた音は無かった。鉄と鉄が擦れ合う音など一切しなかった。耳にはただ風が吹き抜ける音しか入ってきていない。
六花は何も言わずフェイに早く行くよう促す。
フェイは大きく溜め息をついてから立ち上がり鉄骨の上を颯爽と駆け出すのだった。
☆☆☆☆☆☆
「お! 動き出したようじゃな!」
ローゼはまだ痛む頭を押さえながら窓の外をしたり顔で見る。
そんな主をサーニャは心配そうに見つめる。
「本当によろしいのですか? いくら泳がせると言っても、道中で口封じのために始末される可能性もありますよ」
「それなら最初からジュエルナイトで独房を壊すか、下に落とせばいいからな」
ローゼの顔がどんどん悪くなっていく。顔色ではなく、顔が悪くなっていく。
こういう時に考えるローゼの企みはいつも突拍子もないもので、相手を叩き潰すために危険と隣り合わせになることが多い。
頼むからこれ以上は無理をしないでほしい。
サーニャの懇願は虚しく夜空にさまようのだった。
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