「ここは勝手に入れません――」
望はもちろん、彼女の正体に気づくはずもなかった。まして警備員が分かるわけもなく、職務に忠実に美咲を止めた。
時田美咲がこの別荘を長期滞在先に選んだのは、静かな環境と厳重な警備のためだった。だが、いまその「厳重さ」が彼女自身の首を絞めていた。
「違うんです、私は望と一緒に来たんです。彼のこと、知ってるんです!」
必死に説明する美咲を、警備員は一瞥し、振り返って歩き去る望の背中を見ただけで、「嘘に決まってる」と言わんばかりの顔をした。
こうして美咲は門の外に締め出され、自分の家の玄関にすら近づけなかった。
その時、ポケットの中の携帯が鳴った。望からだった。
「ほら、望から!これで信じてもらえますよね…!」
慌てて電話に出る。「望、ママよ。警備員に言って、私を入れて――」
だが、返事はなかった。通話は繋がっているのに、信号が途切れた。
「もしもし、望?聞こえる?」
ママと口にした瞬間、例の通信遮断がまた起きたのだ。
どうやら向こうには届かなかったらしい。数秒後、電話は切れた。
警備員は騙されるもんかという表情のまま、彼女を門から十メートル離れたところまで下がらせ、疑いの目で見張っていた。
美咲:「……」
そして、再び望からメッセージが届いた。
『ママ、どうして家にいないの?いつ帰るの?今どこ?さっき電話したけど電波悪かったみたい』
美咲はすぐに返信を打った。『ママは帰ってきたのよ!あなたと一緒に!でも入れてくれないから、早く警備員に言って!』
――しかし、ママがおばあちゃんに自動変換され、送信不能になった。
何度か試した後、彼女は文を打ち直し、穏やかな口調で送った。
『ちょっと急な用事があるから、先にご飯食べててね』送信成功。
美咲(心の声):「……もう、勘弁してよ。」
すぐに返信が来た。『わかった。ママ、用事終わったら早く帰ってね。遅くならないで』
美咲は引きつった笑みで「はい」とだけ返した。
まだ警戒の目を向けている警備員を横目に、彼女は仕方なくその場を離れた。
1時間後。空が群青に沈むころ。スタジオでカードを受け取った美咲は、地下駐車場に回り込み、カードを使って自動ゲートを開け、ようやく敷地内に入った。
直接玄関を開けようとしたが、内側からロックがかかっていた。
結局ノックするしかない。
足音が近づく。美咲は慌ててドアスコープの前から離れた。
望がドアスコープ越しに彼女の服を見て、扉を開けた。
「ママ、帰ってきたの?用事は――」
美咲が振り返った瞬間、望の言葉が凍った。
「……なんでお前なんだ?どうやって入った?警察呼ぶぞ!」
美咲は急いでドアを押さえた。「望、待って!カードで入ったの。あなたに話があるのよ!」
望の目が冷えた。視線は彼女の服へ。その瞬間、怒りがまた蘇った。
今日、その服のせいで二度も騙されたのだ。
「何を言いたいんだ?それに、その服はどこで手に入れた?」
父が言っていた。あの服は限定品、国内に一着しかないと。
「あなたがくれたのよ」思わず口から出た言葉。
望は一瞬で彼女の帽子を掴み、自分の書いた「時田」の文字を見つけた。
これは、ママの服だ。
「どうしてママの服を着てるんだ!」望は美咲の手を掴んだ。
「だって、私があなたのママだからよ!」そう言った瞬間、「ママ」という言葉がまた遮断された。どうにか続けようとしたその時、携帯が鳴った。
「望のおばあちゃん」の表示。美咲は苛立って切った。顔を上げると、望がその携帯をじっと見ていた。
「望……」
彼はそのまま携帯を奪い取り、画面を見た。
待ち受けには、
彼が家で撮った母との写真。
ロックを解除する。間違いなく母の携帯だった。
「なんでママの携帯を持ってるんだ!」
服とスマホ、全てが一致している。望の瞳に怒りが宿り、次の瞬間、美咲を壁に押し付け、首を掴んだ。
「ママはどこだ!お前、ママに何をした!?」
時田望の様子はすっかり変わり、目には殺気が満ちていた。
彼は自分が母親に何かしたと勘違いしている。
自分が自分に何ができるというの?
「望、違う、落ち着いて…私は何もしてない…!」
「ママはどこだ!」
力がさらに強まった。
「早く言え!」
「ごほっ、ごほっ……ママは無事よ、誤解しないで…!」
「無事?ならどこにいるんだ!」
視界が滲む。どう説明すればいい?
老いた自分が若い自分に入れ替わった、なんて。
焦りの中で、美咲は絞り出すように言った。
「私は…あなたのママの伝言を届けに来たの。私は彼女のアシスタントよ!」
その言葉で、手の力が一気に緩んだ。
「アシスタント?」
「ええ。彼女は大事な仕事で忙しくて、私にあなたの世話を頼んだの。携帯は間違って持っていったのよ。あなたも知ってるでしょう?彼女、スマホを2台持ってるから。だから私はプライベートの方を持ってあなたに会いに来たの」
美咲は必死に話を続けた。「彼女は言ってたわ。あなたと一緒に学校へ通って、守ってあげてほしいって。この携帯が、その証拠よ。」
「本当よ。服はね、今日うっかり自分の服を汚しちゃって、あなたのママが代わりにこれを着て行けって言ったの。これは七夕の日にあなたがくれたプレゼントだから大事にしてるって」
望の手がゆっくりと離れた。
確かに、あの服は父が彼を通じて母へ贈ったものだ。
毎年、七夕のプレゼントを彼が代わりに届けていた――母はそれを知らなかったけれど。
望はまだ疑っていた。だが、目の前の彼女を見ていると、完全に否定できない自分がいた。喉に赤い痕が残るほど掴んでしまった彼女を見て、なぜか胸の奥が痛んだ。
複雑で、説明できない感情だった。
「じゃあ、なんで今まで黙ってたんだ?今日のあれは何なんだ?」
(それはずっと言おうとしてたからよ!)
美咲は首をさすりながら答えた。「前は、あなたが聞いてくれなかったの。今日言ったのはね、昔からあなたのことを知ってたから。あなたは覚えていないかもしれないけど、私はちゃんと覚えてる」
「さっき、あなたのママに会いに行って、あなたに私を受け入れてもらえるよう頼もうとしたの。その時に携帯を間違えたの」
望は黙って聞いていた。
美咲はさらに畳みかけるように言った。「あなたのママの言葉はこうよ。私があなたと一緒に学校に通って、一緒に住んで、あなたを見守る。彼女はあなたのことを心配しているの」
「何を心配することがあるんだ」そう言いながらも、望はドアを開け、彼女を中に入れた。
美咲は胸をなでおろした。――ようやく、家に戻れた。
「座ってろ。ママに確認する」
言われるままソファに腰を下ろす。
望はベランダへ行き、仕事用の携帯へ電話をかけた。
その隙に、美咲は素早く仕事用の携帯を取り出し、望からの電話を切り、すぐにメッセージを打った。
『ママは今、電話に出られないの。望、私の服を着た女の子、もう見つけた?彼女の言っていることは全部本当よ。詳しいことは、あとでママが説明するわ』