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장 3: 第三話 貴公子の憂鬱

 藤原家の邸宅は、蓮麻呂が想像していた以上に豪壮だった。朱色の門を抜けると、手入れの行き届いた庭園が広がり、その奥に母屋が堂々と佇んでいる。平安時代の寝殿造を忠実に再現したような建築様式に、蓮麻呂は前世の知識と現世の記憶を重ね合わせていた。

「蓮麻呂、起きたのか」

 重厚な声に振り向くと、そこには見覚えのある—正確には、この身体が記憶している—男性が立っていた。

「父上」

 藤原道長。この世界における摂政にして、五大家筆頭である藤原家の当主。威厳のある風貌と、深い知性を湛えた瞳が印象的な中年男性だった。

「体調はどうだ?陰陽寮の見学は延期してもよいが」

「いえ、大丈夫です」

 蓮麻呂は慌てて首を振った。

「ぜひ参らせていただきたく」

 道長は満足そうに頷いた。

「そうか。蓮太郎と蓮次郎も一緒だ。お前にとって良い刺激になるだろう」

 その時、廊下の向こうから二つの人影が現れた。

「おや、三男坊も起きてきたのか」

 軽やかな、しかし微かに侮蔑を含んだ声。18歳の長男・藤原蓮太郎だった。端正な顔立ちに自信に満ちた表情を浮かべ、深い緋色の狩衣を身に纏っている。

「兄上」

 蓮麻呂が頭を下げると、蓮太郎は満足そうに鼻を鳴らした。

「体調不良とは情けない。陰陽師たるもの、常に心身を鍛えておかねばならんのだぞ」

「蓮太郎の言う通りです」

 もう一人の人影が口を開いた。17歳の次男・藤原蓮次郎。兄とは対照的に、どこか陰のある雰囲気を纏った青年だった。表面的には礼儀正しいが、その瞳の奥に冷たい光が宿っている。

「三男といえども藤原の血筋。もう少し自覚を持っていただきたいものですね」

 言葉は丁寧だが、明らかに見下すような口調。蓮麻呂の胸に、この身体の主が長年抱えてきた劣等感がよみがえった。

「申し訳ございません」

 蓮麻呂は深く頭を下げた。しかし、心の奥では別の感情が渦巻いていた。

(この記憶...この身体の主は、ずっとこんな扱いを受けてきたのか)

 前世の記憶がある分、客観的に状況を見ることができる。兄たちの態度は明らかに理不尽だった。しかし、この世界の蓮麻呂は、それを当然のこととして受け入れてきたのだ。

「さあ、出発しよう」道長が立ち上がった。「陰陽寮は国の根幹を担う重要な機関だ。しっかりと見学するように」

 牛車に揺られながら都の中心部へ向かう道中、蓮麻呂は街の様子に目を見張った。整然と区画された街並み、行き交う人々の装束、そして空気に漂う霊的な力の気配。

(すごい...本当に陰陽術が生きている世界なんだ)

 前世で憧れ続けた世界が、今、目の前に広がっている。興奮を抑えきれない蓮麻呂だったが、兄たちの会話が耳に飛び込んできた。

「先日の鬼退治、見事でしたね、兄上」

「まあ、中級程度の鬼では物足りないがな」蓮太郎は得意げに語った。「来月には上級妖怪の討伐に参加する予定だ」

「さすがです。私もいつか兄上のようになりたいものです」

「蓮次郎、お前も充分に優秀だ。この前の式神召喚は見事だった」

 二人の自然な会話に、蓮麻呂は疎外感を覚えた。陰陽師としての実績、父からの期待、周囲からの評価――全てにおいて、三男の蓮麻呂は蚊帳の外だった。

「蓮麻呂はどうだ?」突然、蓮太郎が振り向いた。「最近、何か修行はしているのか?」

「えっと...」

 蓮麻呂は困惑した。この身体の主の記憶によれば、基礎的な術式すらまともに使えないレベルだった。

「まあ、無理はしなくてもいい」蓮次郎が口を挟んだ。「誰にでも得手不得手があります。蓮麻呂には別の道があるでしょう」

 表面的には優しい言葉だったが、その裏に隠された軽蔑を蓮麻呂は敏感に察知した。

(別の道...つまり、陰陽師としては期待されていないということか)

 胸の奥に、複雑な感情が渦巻いた。悔しさ、憤り、そして...闘志。

 前世で研究し続けた陰陽道の知識、そして転生という奇跡。これらを武器に、この世界で新たな道を切り開いてみせる。蓮麻呂は密かにそう誓った。

 やがて牛車は陰陽寮の正門前に到着した。朱塗りの巨大な建物群が、威厳を持って参詣者を迎えている。

「さあ、着いたぞ」道長が牛車から降りた。「心して見学するように」

 蓮麻呂は深呼吸をした。この見学が、彼の新たな人生の転換点になることを、まだ知る由もなかった。


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