Capítulo 3: スキャンダル・クイーン_3
Editor: Pactera-novel
男はわずかにまぶたを持ち上げた。
淡い琉璃色の瞳が、静かに夏目詩織の上をなぞる。
その視線は一見、何の感情もないようでいて――
実は、嵐の前の静けさのような不穏さを秘めていた。
ほんの一瞬の対峙。
けれど次の瞬間、彼はあっさりと視線を外した。
まるで、さっきの眼差しは彼女の錯覚にすぎなかったとでも言うように。
……
遅すぎる登場だったため、詩織はレッドカーペットの撮影もインタビューもすべてスキップされた。
けれど彼女自身、それを気にする様子もなく――
司会に軽く会釈だけすると、そのまま会場の内側へと足を進めた。
入場してすぐ、クラッチバッグの中でスマホが震える。
画面に映った差出人を見て、さっきまで無表情だった詩織の唇に、にやりと笑みが浮かんだ。
──親友の周防美保（すおう みほ）からだ。
《レッドカーペット見た！あんた、今日も最高に綺麗！》
詩織は指を滑らせ、誇らしげに返信する。
《私が綺麗じゃなかった日なんてあった？》
数秒後。返ってきたメッセージを見た瞬間、彼女の指が止まる。
《でもね、あなたの旦那も、めちゃくちゃカッコよかったわ♡》
――スマホが手から滑り落ちそうになった。
**
授賞式が始まっても、詩織の意識はどこか上の空だった。
今日の彼女も、自身が主演した映画のノミネートで呼ばれたのだが、
受賞する気などさらさらない。
「どうせ私じゃない」
そう思っている。
マネージャーの秦野聡（はだの さとし）がどうしてもと言うから仕方なく来ただけ。
本音を言えば、家で寝ていた方がましだった。
だが、中盤の休憩時間。
カメラが最前列にパンすると――空気が変わった。
前列の席から、一人の女優がすっと立ち上がる。
ショールを外すと、背中まで大胆に開いたドレスがあらわになる。
そのまま微笑を浮かべ、視線を薄井弦の方へ。
木村静香（きむら しずか）。
官能的な役柄ばかりを演じる、いわゆる「セクシー女優」。
詩織も彼女のことは知っていた。
以前、自分をライバル視する宣伝記事をネットで見たことがある。
「夏目詩織に劣らぬ美貌、そしてそれ以上のスタイル！」
……はあ？と当時、鼻で笑ったのを思い出す。
一方、薄井の隣では森山彩が微妙に姿勢を変え、
木村静香に負けじと距離を詰める。
二人の女優が一人の男を挟んで火花を散らす。
しかも観客も審査員も全員注目中の生修羅場。
詩織は完全に目が覚めた。
足を組み、顎を手に乗せ、
「うんうん、続けて続けて」と言わんばかりの笑みで見物を決め込む。
薄井弦、モテるわね。
……昔からそうだった。
昔、という単語が胸に浮かんだ瞬間、
彼女の表情が少しだけ曇る。
けれど、その思考も、すぐに目の前の小劇場に引き戻された。
静香と森山彩が互いに視線を飛ばす中、薄井はただ静かに座っていた。
瞳は清明で、どこまでも冷静。
ただ、李イールが胸元を強調しながら身を寄せたその瞬間――
彼はわずかに眉をひそめた。
「お久しぶりです、薄井さん……」
その媚びた声を、薄井は途中で断ち切った。
「……俺たち、知り合いだったか？」
静香の笑みが固まる。
「い、以前……薄井さんのデビュー作で、私、ダンサー役で出てまして……覚えていらっしゃらないかも」
「そうか。じゃあ――」
薄井は淡々と立ち上がり、冷ややかに言い放った。
「悪いが、光を遮ってる」
「ぷっ……」
森山彩がこらえきれずに吹き出した。
木村静香の顔が一瞬で赤くなり、唇を噛みしめて退散する。
ちょうどそのとき、休憩が終わり、司会者が舞台に戻ってきた。
空気を察したのか、わざとらしく笑いながら話題を振る。
「薄井さんは、今夜もっとも注目を集めているお一人ですね！特に女性陣の人気がすごいとか。次の作品では、どの女優さんと共演したいですか？」
会場のカメラがゆっくりと動く。
森山彩。
木村静香。
ほかの女優たち。
――そして、最後に、カメラが止まった先。
それは、夏目詩織の顔だった。
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