詩織は顔を横に向け、車窓の外に流れる夜景を見つめながらつぶやいた。
「私と彼?何があるっていうのよ」
その声が消えるころ、車はすでに会場を離れていた。
運転席の唐沢がバックミラーを覗き込み、ぼそっと言う。
「後ろ、なんか一台ついてきてますね」
詩織は眉ひとつ動かさず即答した。
「どうせパパラッチか、ファン崩れのストーカーよ。振り切って」
唐沢は首をかしげる。
最近、ストーカーでもパパラッチでも、マイバッハに乗って追跡するものなのか?
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車は詩織の住むマンションへと向かっていたが、通りに差しかかった時点で異変が見えた。
遠くからでも、エントランス前に複数の車が止まっているのがわかる。
「……あー、まただ。」
言わずとも察した。
どうせまたパパラッチたちが押しかけてきたのだ。
静香が即座に判断する。
「唐沢くん、Uターンして!」
夏目詩織はここ数年、常に世間の渦の中心にいた。
「炎上してでも話題になる」タイプで、黒か白かではなく、ただ“目立つ”という一点でトップに立っている。
ひとたび何か起これば、パパラッチもストーカーもアンチも、蚊の群れのように四方八方から群がってくる。
詩織はそんな連中にうんざりしており、この数年だけで引っ越しを七、八回は繰り返している。
今のマンションも、数か月前にようやく落ち着いたばかり。
まだ半年も経っていないのに、また居場所を嗅ぎつけられたようだ。
車は行き先を変更し、所属事務所・輝星エンターテインメントの社員寮へ向かう。
その途中、静香がスマホを開き、何気なくSNSをチェックした。
……一瞬で顔色が変わった。
トレンド上位十件のうち、四つに「夏目詩織」の名前が並んでいる。
しかも朝からランクインしていた二つのタグに加えて、
「#薄井弦夏目詩織#」「#夏目詩織不合作#」の二つが一気に一位と二位を独占していた。
さらに「#弦は望まない#」「#弦 カップルを拒否#」というタグも急上昇中。そこには名前こそ出ていないが、内容はすべて――
詩織と薄井弦の「共演拒否事件」。
ランキングの上位十個のうち、六つが夏目詩織関連、七つが薄井弦関連。
もはや完全に二人の独壇場だった。
そして本来の主役――主演女優賞を取った森山彩――は、
わずかに第八位に沈んでいる。
薄井弦は惜しくも最優秀男優賞を逃した。
たった一票差。
前年度に同賞を取っていたため、審査基準が厳しく、
今回は別のベテラン俳優に譲る形になっただけだ。
実力的には誰も文句を言えないほどの完璧さ。
本来なら、今夜は森山彩と薄井弦がスポットライトを浴びるはずだった。
だが、またしても「話題体質」の夏目詩織が全てをかっさらってしまったのだ。
静香はため息をつきつつコメント欄を開く。
リプライ三万、リポスト十万超え。
地獄のような罵詈雑言が画面を埋め尽くしていた。
彼女を恥知らずだと罵るもの:
──「夏目詩織、ほんっとに恥知らず!自分が誰だと思ってんの!?うちの弦さまに何様のつもり!?」
話題にしがみついていると非難するもの:
──「トレンド買い占めて楽しい?その金で実家帰れ!寄付でもしろ!」
さらに単純で乱暴なものも:
「くそ、ある物」
「しね、ある動作」
「消えろ、ある姿勢」
……
静香は読めば読むほど心臓に悪くなり、隣の詩織がのぞき込んでくる。
ちらっと見ただけで、彼女は鼻で笑った。
「他人の人生に首突っ込む暇があるなんて、ヒマ人ばっかね」
その瞬間、詩織はすっと静香のスマホを奪い取り、
視線を一点にとめた。トレンド第十位――
「#薄井弦、フラれる#」
タップして開くと、そこにはレッドカーペットでの薄井弦のインタビュー映像。真剣な表情で語る彼の言葉が再生された。
「これは僕自身の体験です。
好きだった人に、フラれたんです」