さらに数年たち、オレは十二歳になった。
イオとの奇妙な剣術稽古は、もはや日課として完全に定着していた。
カキンッ!
鋭い音を立てて、木剣が弾かれる。
以前のように、一瞬で懐に入られて終わり、ということはなくなった。彼女の動きの癖、踏み込みのタイミング、呼吸のリズム。その全てを、この数年間で嫌というほど体に叩き込んできたからだ。
それでも、まだ勝てない。
オレが三手先を読んで剣を振るえば、彼女はそのさらに二手先で待ち構えている。まるで、掌の上で踊らされているかのようだ。
「……くそっ!」
体勢を崩したオレの首筋に、寸分の狂いもなく木剣の切っ先が突きつけられる。
ひんやりとした感触が、敗北を告げていた。
「……まいった」
「また、私の勝ちですね」
涼しい顔で剣を下ろすイオに、オレは息を切らしながら尋ねた。
「今のはどうだった? 少しはマシになったか?」
「ええ。最初の頃に比べれば、別人です。ですが……」
イオは少しだけ考えるそぶりを見せると、的確なアドバイスをくれる。
「カイゼル様は、少し考えすぎです。もっと、ご自身の感覚を信じてみては?」
「感覚、か……」
オレは懐の手帳にその言葉を書き留める。確かに、オレは頭で色々と考える癖があるかもしれないな。
そんなことをしていると、イオが訝しげな目でオレことを見ていた。
「ずっと疑問に思っていたんですが、カイゼル様って、どうして私が剣術をそれなりにできると知っていたんですか?」
言われてみれば、確かにおかしな話だった。
普通の貴族の子供が、そこらのメイドに剣術の稽古を頼むなんて、どう考えても不自然だ。今まで、どうしてこの矛盾に気づかなかったんだ!
前世のゲーム知識で知っていた、なんて言えるはずもない。どうする。どう言い訳する……!
オレが冷や汗を流して言葉に詰まっていると、イオが怪訝そうな顔でこちらを覗き込んできた。
「カイゼル様?」
まずいまずいまずい! ここで不審な態度を取れば、悪魔憑きの疑いが再燃しかねない!
オレが内心でパニックに陥っていると、イオは何かを思い当たったように、ぽつりと呟いた。
「……もしかして、見ていたんですか?」
「……え?」
オレが思わず聞き返すと、イオは少し気まずそうに視線を逸らした。
「私が、この屋敷に来る前……森で、魔物相手に剣で倒したところを」
その言葉に、オレの脳裏で稲妻が閃いた。
そうだ! あった! そんなイベントが!
ゲーム『グランドクロス』の序盤、カイゼルが領地の視察中に、森でゴブリンに襲われていた商人を助ける少女と遭遇するサブイベント。その少女こそが、後のイオだった。
もちろん、原作のカイゼルは彼女を助けるどころか、ゴブリンごと魔法で吹き飛ばそうとするクズムーブを見せるのだが。
助かった……! これだ、この設定を使えば辻褄が合う!
「……ああ、そうだ」
オレは内心の安堵を押し殺し、さも当然といった風に頷いてみせた。
「あの時の動きを見て、お前がただのメイドではないと見抜いた。だから、師匠として稽古をつけてやっている」
「……やっぱり、そうだったんですね」
イオは、はぁ、と深いため息をついた。
「フードを被っていたので、顔を見られていないと思っていたのに」
そして、少しふてくされたように、じっとりとした目つきでオレを見上げてくる。
「カイゼル様って、ホント、私のことをよく見てますよね」
「――っ!?」
その一言に、オレの背筋が凍りついた。
な、なぜだ!? なぜそれを知っている!?
そうだ、オレは四六時中、彼女のことを見ている! いつ暗殺者の本性を現すか分からないから、恐怖のあまり一日たりとも監視を怠ったことはない!
だが、まさか、そのことに気づかれていただなんて……!
終わった。完全に警戒されている。もう、終わりだ。
恐怖で血の気が引き、オレの顔はみるみるうちに真っ青になっていったに違いない。
「ま、まさか……嫌だったか?」
震える声で、なんとかそれだけを絞り出す。
もし、ここで「ええ、気味が悪いです」なんて言われたら、オレはもう立ち直れない。
すると、イオはなぜか顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「べ、別に……い、嫌とは、言ってないですけど……」
……え?
嫌じゃない? 監視されてるのに?
よく分からないが、彼女がそう言うのなら、そうなんだろう。
オレは、イオの反応の意図をまったく理解できないまま、ひとまず彼女に嫌われてはいないらしいという事実だけに、心の底から安堵するのだった。