半年。
地獄のような孤独な研鑽の果てに、オレはついに、力の『抑制』という概念をその身に刻み込んだ。
その高揚感のままバリケードを外して、部屋の外にでたときだった。
「――っ!?」
その瞬間、オレは心臓が凍りつくのを感じた。
いた。
扉のすぐ目の前に。まるで、オレが出てくるのを待ち構えていたかのように。
将来、オレの寝首を掻き、その命を奪う張本人――メイドのイオが、静かに佇んでいた。
「……な、ぜ」
声が、喉に張り付いて出てこない。
なぜ、ここにいる。いつからだ。まさか、部屋の中から聞こえる音で、オレの特訓の成果に気づいたのか?
まずい。最悪のタイミングだ。半年間の特訓で心身ともに疲弊しきった今こそ、暗殺を実行するには絶好の機会だろう。
イオが、心配そうな、あるいは何かを窺うような目で、じっとオレの顔を見つめてくる。
その瞳が、オレには「隙はどこだ」と探る、冷酷な暗殺者の目にしか見えなかった。
忘れるな。この少女は、ただのか弱いメイドじゃない。
ゲームの知識によれば、彼女は過酷な幼少期を生き抜くため、暗殺者としての技術をその身に叩き込まれている。特定のルートでは、その隠された才能が開花し、王国騎士団すら手玉に取るほどの使い手へと成長する。
もちろん、これまで必死に彼女のご機嫌取りをしてきた自負はある。
だが、そんな付け焼き刃の優しさで、長年積み重ねられた恨みが消えるものか。
きっと、オレを心配そうに見つめるその表情も油断させるための演技。いつ牙を剥くか、その機会を虎視眈々と狙っているに違いない。
オレは本能的に、彼女より先に口を開いていた。
虚勢を張れ。主導権を握れ。カイゼル・フォン・リンドベルクとして傲慢に振る舞うんだ。
「……イオ」
喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、冷たく響いた。
オレは彼女の緑色の瞳を真っ直ぐに見据え、覚悟を決めて、言葉を続けた。
「少し、付き合え」
オレが内心で息を殺して身構えていると、イオはきょとんとした顔で、小さく首を傾げた。
「……え?」
その、あまりにも間の抜けた返事。なるほど、まだ演技をつづけるというか。そう簡単にボロを出さないというわけか。
さすがは未来の暗殺者。そのポーカーフェイスは見事なものだ。
「……行くぞ」
オレはそれだけ告げると、彼女に背を向けて歩き出した。全神経を背中に集中させる。
向かったのは、屋敷の裏手にある見晴らしの良いテラスだ。内心の恐怖を押し殺し、オレは歩きながら、探りを入れるように何気ない質問を投げかけた。
「……最近、仕事の調子はどうだ。何か困っていることはないか」
「は、はいっ。特にございません……!」
「そうか。……他の者たちとは、うまくやっているか」
「はい、皆様、とてもよくしてくださいます……」
当たり障りのない答え。やはり、こちらの腹の内を探っているということか。
テラスに着くと、オレはまず自分が席に着いた。そして、背後に控えようとするイオを、顎でしゃくって示す。
「貴様も座れ」
「め、滅相もございません! カイゼル様と席を同じくするなど、私のような者が……!」
背後に立たれると、その気になればいつでもオレの首をかっ切れるということだ。そんな危険な状況、許容できるか。
「ダメだ」
オレはそういって、彼女の言葉を遮る。
「イオ、これは命令だ。頼む、座ってくれ。お前をずっと立たせたままなんて、オレが我慢ならない」
「は、はい……! わ、わかりました」
イオはしぶしぶといった様子でオレの向かいの椅子に腰を下ろした。
よし、これで少なくとも、イオが不審なことをすればすぐわかる。
「セバス。紅茶を二つ。なるべく早く頼む」
やがて運ばれてきた紅茶を前に、イオはますます恐縮して体を小さくしている。オレはそんな彼女の様子を、油断なく観察していた。
気まずい沈黙が流れる。
何を話すべきか。どうすれば、彼女の真意を引き出せるのか。
オレが思考を巡らせていると、不意に、イオが意を決したように顔を上げた。その真剣な緑の瞳が、まっすぐにオレを射抜く。
「あの……カイゼル様」
か細いが、凛とした声だった。
「なぜ、私などに、これほどお優しくしてくださるのでしょうか?」