Capítulo 4: 白石希、まだ逃げる気か
Editor: Pactera-novel
よく似ている！
桐生蒼士の氷のように冷たい視線が、その車に突き刺さる。瞳が、ミリ単位で細められた。
「ボス、ターゲットは猛スピードで離脱中」
あの車だ。蒼士は一切の躊躇なく、一言、命じた。「追え」
強い予感があった。さっきのあの後ろ姿は、五年前の、あの女に違いない。
車中、白石希は親友の橘美桜（たちばな みお）に電話をかけた。
「もしもし、希？どうしたの？」
「美桜、私、イギリスに一旦戻る」
「なんだって？イギリスに戻るって、帰ってきたばっかりじゃない！どうしたのよ？何かあったの？」美桜が、焦ったように問い詰める。
希は、事の経緯を美桜に説明した。
聞き終えた美桜は、「マジか！」と三度も叫んだ。「っていうか、うちのベイビーたち、天才すぎない？よくやったわ、颯、楓！この義母は、全力で応援するわよ！」
希は、思わず苦笑した。
「希、いつ発つの？」
「できるだけ早く。今日が理想。絶対に、あの子たちを彼に会わせるわけにはいかない」胸騒ぎがする。桐生蒼士は、自分を見たと。きっと、もうすぐ追ってくる。そんな気がしてならなかった。
「でも希、あなた、帰国したばかりでしょ。森野院長が、あれだけ骨を折ってあなたを引き抜いたのよ。今いなくなったら、院長、イギリスまであなたを縛り上げに飛んでいくんじゃない？」
「かもね。でも、もう戻らないってわけじゃないの。鴻上さんのところに子どもたちを預けて、ほとぼりが冷めたら、また戻ってくるつもり」
帰国して活動する決意は固いし、院長の森野明彦（もりの あきひこ）に病院への就任も約束した。そう簡単に見捨てるつもりはなかった。
この騒ぎが収まったら、また二人を迎えに来ればいい。
「分かったわ。子ども二人も一緒なんだから、くれぐれも気をつけてね」電話の向こうで、美桜が慌ただしく、いくつかの注意を希に言い渡した。
電話を切った後、希はスマートフォンを後部座席の颯に渡した。「颯、ママのために航空券、予約してくれる？鴻上さんのところに、数日泊めてもらわないと」
「イギリスに戻るの？」颯は、運転する希よりも忙しそうに、コンピューターを操作しながら答えた。さっきは一瞬の油断で、自分たちの居場所を突き止められてしまった。幸い、今それに気づいて、すぐさま妨害電波で阻止しているところだ。
「そうよ」希は、子どもたちを緊張させないよう、できるだけ明るく振る舞った。「鴻上さん、ずっとあなたたちに会いたがってたわよ」
「やったあ、鴻上おじちゃんのところに行けるんだ。楓、うれしいな」楓は、くるりと振り返ると、指をしゃぶりながら、不思議そうに希に尋ねた。「でもママ、パパが怖いの？どうして、パパから隠れるの？」
希は、一瞬言葉に詰まった。その瞳に、翳りが差す。「そのことは、楓がもっと大きくなったら、教えてあげるわ。いい？」
颯と楓には、父親にとって望まれなかった子なのだと、そう知ってほしくはなかった。
楓は、ママがパパの話をすると悲しむことを知っていた。だから、ぺろりと舌なめずりをして、それ以上は聞かずに、素直に頷いた。「……うん、わかった」
希は、バックミラーで時折後方を確認する。誰かが追いかけてくるのではないかと、気が気ではなかった。
「ママ、一番早い便は、明日の七時半だよ」
希は頷いた。「分かったわ。それでお願い」
今は、夜の七時。まだ十数時間ある。希は尻に火がついたように、急いで家に帰り、慌ただしく数枚の服をまとめると、翌日、事が延びれば尾鰭が付くので、一分の猶予もなく空港へ向かった。
空港に着くと、希は自分と子どもたちにマスクを着けさせ、保安検査場へと向かった。長い列に並び、ようやく自分たちの番が回ってきたとき、希は安堵のため息をついた。
こんな風に逃げ続けるのが、解決策でないことは分かっている。だが、今はまだ、子どもたちを連れて桐生蒼士と向き合う勇気がなかった。
桐生蒼士の性格からして、五年前、彼の意に背き、黙って国外へ逃げた自分を、許すはずがない。
おまけに、桐生家のような名門が、自分たちの血筋が外に流れることを見過ごすはずがない。
この二人の子は、自分の命だ。失うことなど考えられない。
自分がどうなろうと構わないが、この子たちだけは、誰にも傷つけさせはしない。
希は、手をつないで立つ颯と楓を見下ろし、心の底から、あの日の決断を後悔していないと、強く思った。
「ママ、鴻上おじちゃんのところに行ったら、楓、またここに戻ってこれる？」
楓は、ここが少し名残惜しいようだった。
希は楓の気持ちを察し、優しく微笑んだ。「楓は、ここが好き？」
「うん、好き。ここには、楓のお友達もいるし、義母もいるし、それに……」パパも！楓は指を噛み、その先を言わなかった。
希の眼差しが、暗く沈んだ。子どもたちが口にしなくても、父親を求めていることは分かっている。パパとママが、いつもそばにいてくれることを望まない子どもなど、いるはずがない。
希はしゃがみ込み、楓と颯を抱きしめた。彼らに父親の愛を与えてやることはできない。だが、その分、自分が倍の愛を注ぐのだ。
希の気持ちが沈んでいるのを察して、楓は希をぎゅっと抱きしめた。「ママ、楓は、ママがいればいい」
「颯も、ママだけでいい」颯も、希を慰めようと、力いっぱい抱きしめた。
希は、優しく微笑んだ。この二人の子がいる。自分は、なんて幸せなのだろう。
「安心して。数日したら、ママが必ず迎えに来るからね」
しかしその時、空港の入口に、黒塗りの高級車が一列に滑るように停車した。先頭のロールスロイスから、すらりとした長身の男が姿を現す。
男の整った顔は硬く張り詰め、漆黒の双眸は墨のように、底知れぬ冷たさを湛えていた。
その全身から放たれる冷気が、空港のロビー全体を席巻する。背後の黒服のボディガードたちが、すぐさま散開し、絨毯爆撃のような捜索を開始した。
今度こそ、あの女を逃がしはしない。
「颯、楓、もうすぐ搭乗よ」
「やったあ、もうすぐ鴻上おじちゃんに会えるね」
搭乗券の確認を終え、颯と楓は手をつないで、ぴょんぴょんと跳ねるように先を歩いていく。
希は、微笑みながら二人の後ろ姿を見つめていた。この子たちは、飛行機に乗るとなると、いつも大はしゃぎだ。彼女は自分のビザを受け取った。その、次の瞬間。大きな手が、彼女の手首を鷲掴みにした。
そして、耳元で、あの聞き慣れた、冷たく低い声が響いた。
「白石希。まだ、どこへ逃げるつもりだ」
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