「池田彰仁(いけだ あきひと)――!!」
美咲はその名前を叫んだ瞬間、足がふらつき、ほとんど立っていられなかった。
彰仁のあの顔が、自分の目の前にこんなにもリアルに現れたのを見て、美咲は後ろで手をばたつかせ、何かにつかもうとしているかのようだった。瑠璃は慌てて美咲の手を握り、小さな声で励ました。「怖がらないで、怖がらないで。おじさんは、人を食べたりしないから」
その言葉を、美咲はこれまで何百回と聞いてきたことがあった。
彰仁は確かに人を食べたりはしない――だが、それでも彼は怖い。
美咲は小さい頃から、ずっと彼を恐れていた。大人になった今も、その恐怖は消えず、一目見ただけで腰が引けてしまうほどだった。
瑠璃は美咲の手をそっと引き、頭を下げて挨拶した。「おじさん、こんにちは」
その様子を見て、美咲も空気を読み、目を伏せて従順に頭を下げた。「おじさん、こんにちは」
部屋の中に立つ彰仁は、風呂上がりのままで、ホテル提供のワッフル生地のバスローブを羽織っていた。帯はゆるくだらしなく結ばれ、半乾きの髪が前髪に垂れ下がっている。
その優れた容姿の奥には、満足感に浸った後の怠惰な雰囲気が漂い、普段の鋭さはわずかに和らいでいた。
彼は余裕たっぷりに戸口に立つ美咲を見下ろし、薄い唇をわずかに上げた。「用事かい?」
「い、いえ……」プレッシャーに押され、美咲は反射的に答えた。
彰仁は淡々と問い返す。「じゃあ、なぜドアをノックした?」
美咲は答えに窮し、どうしていいかわからなくなった。
呆然としながら、目の前に立つ彼の顔を見つめ続けた。
彰仁――
燕川で名を轟かせる[天応ホールディングス]の舵取り役。
そして、一人の力だけで燕川全体を血で血を洗う争いに巻き込むことさえできる男。
今や三十歳にして、すでに成功を手にしている。彼が築き上げた経歴と生み出した伝説は、誰も追いつくことができない。
しかし――どうして、五一二二号室の人物が、彼なのだろう?
まさか――昨晩、うやむやに眠ってしまった相手が、彰仁だったのだろうか――!?
いいえ!
これは、幻覚に違いない――。
美咲はゆっくりと深呼吸し、冷静になるよう自分に言い聞かせた。しかし、目を閉じて再び開けても――そこには、彰仁の無表情な顔があり、五一二二の数字も何ひとつ変わっていなかった!
彼の黒く深い双眸が、美咲をじっと見下ろしていた。「何か用事があるから、ドアをノックしたんだろう?」
その声は、普段の冷たさとは違い、どこか穏やかさを帯びていた。
美咲が自分の手をつねると、瑠璃の悲鳴が響いた。「美咲、痛いよ!」
美咲は瑠璃の声など気にしていられなかった。どうせ彰仁は彼女のおじさんだし、瑠璃ほど怖がることもない。焦りながらその場を離れようとし、つまらない言い訳を口にした。「おじさん、ドアを間違えました。お邪魔してすみません」
「ドアを間違えた……」その言葉を、美咲は頼りなげに吐き出し、何度も唾を飲み込んだ。「おじさん、絶対に怒らないでください。すぐに行きます、すぐに……」
言い終えると、美咲は踵を返し、足早にその場を立ち去ろうとした。
「待て!」
たった一言で、美咲はまるで体のツボを押さえられたかのように、その場で立ち止まり、足も動かせなくなった。
彰仁の視線は、美咲の繊細な後ろ姿に向けられていた。薄く閉じた唇、柳の葉のようにしなやかな輪郭――彼は彼女が自ら振り向くのを静かに待っていた。数秒後、美咲は覚悟を決めたように、大人しく振り向いた。
彰仁が静かに手を差し伸べ、ゆっくりと手招きした。「こっちに来い」
美咲の心の中で、ただひたすら同じ言葉が反響した。「死ぬ……死ぬ……死ぬ……」
彼は知っているはず……だよね?
昨晩、二人で寝たんだから……絶対に知っているはず!
だから、今、彼は昨夜のことについて話そうとしてるの……?
違う、本当は私が彼に問い詰めるはずだったのに!
美咲は無意識に、瑠璃に助けを求める視線を送った。昨晩の混乱――決して故意に彰仁と寝たわけではない。もし、あの夜の相手が彰仁だと早く知っていれば……頭を壁に打ちつけてでも、自分を目覚めさせていたはずだった。
彰仁の黒く深い瞳は、美咲の顔に浮かぶ一瞬の表情すら見逃さなかった。閉じていた唇がわずかに動き、やがて口を開く。「まだ、俺を恐れているのか?」
「い、いいえ!」美咲は反射的に否定し、頭を小さく振った。「おじさんを怖がるなんて、ただ……尊敬しているだけです!」
彰仁の声は静かだが、底知れぬ重みを帯びていた。「美咲、俺を尊敬する必要はない」