「あの男の声を聞いた時、谷川美咲は身体中に電流が走るような感覚を覚えた。全身がしびれるようだった。
この声は彼女にとってあまりにも馴染み深く、たった一言聞くだけで相手が誰か分かるほどだった。
彼女はようやく陸奥がなぜあのような質問をしたのか理解した。藤井彰が『霧』の投資家であり、柳田文乃の追加シーンを入れたのは彼だったのだ。
柳田が藤井の反対側に歩み寄った時、美咲はただじっとその場に立ち尽くしていた。藤井が顔を向けた瞬間、二人の目が合った。
藤井は彼女を一瞥すると、すぐに視線を逸らした。その冷たい眼差しは、まるで見知らぬ人を見るようだった。
柳田は甘えた声で言った。「私だって一度くらいヒロイン役をやってみたいじゃない」
その後の会話を美咲は聞かなかった。自分のメイクポーチを見つけると、急いで外へ出た。
藤井と柳田はどういう関係なのか?彼がここに来たのは柳田のためなのか?二人はどういう関係なのか?
これらの疑問が洪水のように彼女の頭に押し寄せた。
藤田秋穂はずっとドアの外で待っていた。美咲が出てきた時の表情がおかしいのを見て、尋ねた。「美咲さん、どうしたんですか?」
美咲はようやく我に返り、深呼吸をして落ち着こうとした。「行きましょう。メイクポーチは取れたから」
メイクを落とした後、美咲は撮影所の近くで借りている部屋に戻った。部屋は広くはないが、居心地の良い空間だった。
ことわざにもあるように、小さくても必要なものはすべて揃っている。
一日中仕事をして汗をかいたので、美咲は熱いシャワーを浴びた。身支度を整えると、疲れ果ててベッドに横たわった。
頭の中に藤井の冷たい視線が浮かび、外は暖かくなってきているのに、この瞬間、美咲は体が冷え切るような感覚に襲われた。
今日の柳田と藤井の会話の光景を思い出し、美咲は突然、過去の日々を恋しく思った。
大学三年の時、美咲は人生で初めての仕事、雑誌の表紙撮影の依頼を受けた。
そのことで何日も興奮していた彼女は、撮影が終わった夜、鹿鳴学院にいる藤井を訪ね、自分の喜びを分かち合おうとした。
当時藤井は既に村上グループの業務に精通し始め、頻繁に出張に出かけていたため、彼に会えるのは彼の住まいだけだった。
ドアを開けた青年の短く整った髪からは水が滴り、明らかにシャワーを浴びたばかりだった。
美咲は藤井の上半身に目をやると、八つに割れた腹筋とアンダーラインが目に飛び込んできた。幸い、下半身にはバスタオルが巻かれていた。
「どうしてきたの?」男の声音には少し驚きが混じっていた。
美咲は顔を横に向け、言った。「あなた...先に服を着て」
藤井は自分を見下ろし、からかうように尋ねた。「まさか恥ずかしいの?」
美咲は彼を押し、先ほどの言葉を繰り返した。
男の唇が美しい弧を描き、黒曜石のような瞳に柔らかな光を宿していた。彼は実際に言われた通りに服を着に行った。
彼は黒いゆったりとしたパーカーを着ただけで、全体的に怠惰で優しい印象を与えていた。
出てくると、美咲のために一杯の水を注いでくれた。
「ありがとう」
美咲はカップを手に取り一口飲むと、それが牛乳だと気づき、しかも温かいことに胸が温まった。
男はソファに座り、抱き枕を膝に抱え、テレビをつけてチャンネルを適当に選んだ。
「村上くん、私今日雑誌の撮影したの」美咲の瞳が急に輝き、表情には少し甘えた様子が見られた。
藤井はリモコンを持つ手を一瞬止め、美咲を見て、少しふざけた口調で言った。「本当にスターになりたいの?」
美咲はすぐに言い返した。「もちろんよ。私は映画学院に通ってるんだから、将来はスターになるのよ。そうでなければ何ができるっていうの」
「それもいいな」
「どういう意味?」
藤井は意味ありげに言った。「そのうち分かるさ」
彼のこの言い方は美咲の好奇心を掻き立てたが、美咲が一晩中彼にしつこく聞いても、彼は答えを教えてくれなかった。
あの夜の藤井は優しく、辛抱強く、親切だった。時々美咎は昔の藤井は実際には存在しなかったのではないかと考えることさえあった。そうでなければ、どうして今の彼とこれほど違うのだろうか。
考えていると、美咲の目がだんだんと潤んできた。彼女は手で拭おうとしたが、拭けば拭くほど涙が溢れてきた。
そのとき電話が鳴った。
美咲は少し感情を落ち着かせてから、電話に出た。
「美咲、もうすぐ撮影クルーのパーティーがあるから、準備して早く来てくれ」陸奥の声だった。
美咲はこのパーティーが藤井のために開かれるものだとはっきり認識していた。クルー全員が参加するなら、彼女が行かないのはまずいだろう。
「分かった」
美咲は起き上がり、鏡の中の目の赤く腫れた自分を見てため息をついた。この顔でパーティーに行けば、みんな驚くだろう。
仕方なく、美咲は薄化粧をした。
個室に到着すると、美咲はすぐに中央に座っている藤井を見た。隣の陸奥は彼と話し続けていたが、彼は口を開かず、ただ視線を落として黙々と煙草を吸っていた。
「美咲さん?」秋穂は美咲に手を振り、彼女を呼んだ。
しかし彼女が一歩も踏み出す前に、陸奥の声が聞こえた。「美咲、遅れてきたんだから、罰杯一杯だな」
こういう飲み会ではよくあることだ。
美咲はテーブルの上のグラスを取り、一気に飲み干した。
テーブルの人々が笑いながら言った。「さすがの飲みっぷりだ!」
藤井は目を上げて美咲を見つめ、美しい眉間を少し寄せた。
陸奥は満足げに頷き、笑って言った。「美咲、こっちに来て村上社長につきあってやれよ」
今朝の出来事があり、美咲は今や藤井との接触を強く嫌がっていたが、こういう場では陸奥の顔をつぶすわけにもいかなかった。
そして彼女は藤井の横に押しやられた。
近づいたため、美咲は藤井の体から漂う微かなタバコの香りさえ嗅ぐことができた。
この状況を見て、柳田は少し不満そうに、甘えた声を出しながら藤井の腕に手を添えた。「村上若旦那、歌を一曲歌わせてください」
藤井が答える前に、柳田は率先して自分で曲を選んだ。
柳田の選んだ曲は彼女の声質によく合っていた。彼女は感情を込めて歌い、終始藤井を見つめていた。その意図は明らかすぎるほど明白だった。
しかし当の本人はまったく動じず、一曲終わっても藤井はまぶたさえ上げなかった。
「村上若旦那、私の歌、良かったですか?」柳田はまばたきし、甘えた声で尋ねた。
藤井はタバコの灰を弾き、「まあまあだ」
「まあまあってだけ?」
「本当のことが聞きたいか?」藤井はようやく柳田をまともに見た。
なぜか、柳田は突然藤井の視線に寒気を感じた。
「うん...」
「お前の歌、結構下手だと思うよ」彼の声は磁性的で耳に心地よいのに、発した言葉は心が凍るようだった。
この言葉が出た瞬間、部屋は水を打ったように静かになった。
美咲さえも思わず息を呑んだ。
しかし藤井は話を止める気配はなく、続けて言った。「それに、お前の香水の匂いを嗅ぐと本当に吐き気がする」
言い終わると、彼はわざと横にずれた。