第6話:愛人の同居宣言
[影宮詩織の視点]
夕食を終えて、ようやく一息つけると思った時だった。
玄関のドアが開く音が響く。怜が帰ってきたのだ。でも、足音が二人分聞こえる。
「ただいま」
怜の声に続いて、聞き慣れた女性の声が響いた。
「お邪魔します」
美夜だった。
リビングに現れた二人を見て、私は箸を置いた。美夜は大きなスーツケースを引きずっている。
「詩織」
怜が私を見る。
「美夜は帰国したばかりで、まだ部屋を借りられていない。だからしばらく家に泊まってもらうことにした」
一方的な宣言だった。相談ではない。通告だった。
「そうですか」
私は静かに答えた。
三日後には家を出る。それまでの辛抱だ。
「ありがとう、詩織」
美夜が甘い声で言う。
「お邪魔しちゃってごめんね。でも、怜がどうしてもって」
まるで自分が遠慮がちな客人であるかのような演技。でも、その瞳には勝利の光が宿っている。
使用人たちが美夜の荷物を運び始めた。まるで女主人の帰還を迎えるような慌ただしさだった。
「あ、そうそう」
美夜が手を叩く。
「雫のお迎え、一緒に行きましょうか?怜」
「ああ、そうだな」
怜が頷く。
私は黙って二人を見つめていた。まるで私が存在しないかのような会話。
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使用人たちは美夜の指示に従って、客間に荷物を運び込んでいた。美夜は慣れた様子で家の中を歩き回り、まるで自分の家であるかのように振る舞っている。
「この部屋、前より綺麗になってるわね」
美夜が客間を見回しながら呟く。
「詩織が毎日掃除してくれてるからな」
怜が答える。
「へえ、マメなのね」
美夜の声に皮肉が込められている。
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[影宮詩織の視点]
「それじゃあ、雫を迎えに行ってくる」
怜が立ち上がる。
「私も一緒に行く」
美夜が怜の腕に絡みつく。
「雫、ママに会えるって喜ぶわ」
ママ。その言葉が胸に突き刺さる。
「詩織は疲れてるだろうから、ゆっくり休んでてくれ」
怜が私に向かって言う。
気遣いのふりをした排除だった。
二人が出て行った後、私は一人でリビングに残された。
静寂が重くのしかかる。
私は二階の寝室に向かった。ベッドに横になり、天井を見つめる。
三日後。
三日後には、この家を出る。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
しばらくして、玄関のドアが開く音が聞こえた。怜と美夜が戻ってきたのだ。子供の笑い声も混じっている。
「パパ、おかえり!」
雫の声が響く。
「雫、ママもいるよ」
美夜の声。
「ママ!」
嬉しそうな雫の声。
私は枕に顔を埋めた。
夜が更けて、家の中が静かになった頃、廊下から声が聞こえてきた。
怜と美夜の会話だった。
「今夜は一緒に寝ましょう」
美夜の甘えるような声。
「それは……」
怜が躊躇する。
「詩織は法律上の妻だ」
建前だった。心のこもらない言い訳。
「でも、私たちの方が先に結婚してるじゃない」
美夜の声が涙声になる。
「お願い、怜。私、一人じゃ寂しくて眠れない」
「美夜……」
怜の声が優しくなる。
「じゃあお願い、私がここにいる間は、あの人には触れないで」
「ああ」
即答だった。
私は暗闇の中で、静かに微笑んだ。
もう何も感じない。
心が完全に死んでいた。
翌朝、私が食卓に向かうと、既に怜と美夜が朝食を取っていた。
「おはよう、詩織」
美夜が振り返る。
「私、朝早くから味噌汁作ったの。飲んでみて」
美夜が椀を差し出してくる。
私は椀を受け取り、中を覗き込んだ。
底に沈んでいるのは、間違いなく栗だった。
私の命に関わるアレルギー食材。
「ごめんなさい、私、栗にアレルギーがあるんです」
私は椀を置いた。
「え?そうなの?」
美夜が驚いたような顔をする。でも、その瞳には計算された光が宿っている。
「ひどい!」
美夜が突然泣き出した。
「せっかく朝早くから作ったのに!」
「美夜、泣くなよ」
怜が慌てて美夜を慰める。
「詩織、早く飲んでくれよ。美夜は朝早くから作ってくれたんだ」
私は信じられないという目で怜を見た。
私が栗にアレルギーがあることを、怜は知っている。
それなのに。