「颯太、今の私たちの立場を考えると、あなたの行動は不適切よ」
彼女は昔と変わらず、断るときでさえ優しかった。
「もしあのことがなければ、君は本来俺と結婚するはずだった。由美、本当にあの人が好きなのか?叔父さんは冷たい人間で、畑中家でも誰に対しても滅多に笑わないだろう。みんなが彼の前で気を使っているのを見ただろう。そんな彼と一緒にいて、本当に幸せなのか?」
小林由美の瞳にわずかな悔しさが浮かんだ。確かに、この数年、畑中彰はほとんど彼女に声をかけることもなかった。もし渉という子どもの存在がなければ、彼の屋敷に足を踏み入れることさえ難しかっただろう。
俯いて肩を震わせる姿は、畑中颯太の目にはあまりに痛々しく映った。彼はすぐに由美を抱きしめた。
「由美、あの人と離婚してくれないか?俺はもう離婚した。君をちゃんと妻として迎える。胸を張って歩けるようにしてやるから」
「颯太、こんなの良くないわ……」
由美は口ではそう言いながらも、ほんの少し身をよじっただけで、結局は涙があふれ出した。「ごめんなさい、颯太……あなたには本当に申し訳ない。私のせいで、瑠那だって傷ついた。あの時も私のことで、あの子を失ったのよ」
畑中颯太は石川瑠那の名を聞いた途端、顔に嫌悪を浮かべた。「もしあの出来事がなければ、彼女が俺と結婚して資産家の妻になることなんてなかった。由美、君は優しすぎるんだ。何でも自分のせいにする必要はない」
彼は鼻先に漂う香りに酔いしれ、抱く腕に力を込め、ついには由美を柱に押し付け、そのまま唇を奪った。
「颯太、落ち着いて!」
由美は荒い呼吸の合間に声を絞り出した。しかし、そのか細い声には艶めかしい響きが混じり、かえって颯太の理性をさらにかき乱した。
「由美、叔父さんは君を大切にしていない。俺と一緒になろう。もう瑠那とも縁は切れた。君が俺と一緒なら、もう苦しい思いはさせない」
由美は彼の胸に身を預けながら、泣き続けた。「颯太……あなたの気持ちはわかってる。だからもう少しだけ時間をちょうだい……ちゃんと考えるから」
彼女はその言葉で五年間、颯太をなだめ続けてきた。そして彼は毎回、それを信じてしまう。
「……わかった」
唇を名残惜しそうに離し、颯太は満足げに答えた。
こうした場面を、石川瑠那はこれまでに何度も目撃してきた。そのたびに彼女の心は冷めきり、颯太への想いは完全に潰えていった。――林由美を好きになれない理由はそこにあった。
既に人妻でありながら、颯太に曖昧な期待を抱かせる。そのせいで自分の夫に五年間も冷たく扱われてきたのだから。
石川瑠那は振り込まれた金を確認すると、すぐに滞っていた入院費を支払った。
祖母が再び病室に戻る姿を見て、ようやく少し心が軽くなった瑠那は、疲れ切った体で病院を後にした。
離婚したばかりで、多くの貯えも治療費に消え、今は行くあてもない。
途方に暮れていたその時、畑中家本邸から電話が入った。畑中家の当主、畑中老翁からの直々の呼び出しだった。
電話を受けた瑠那は一瞬、体が強張った。この数年、本邸に足を踏み入れたことなど数えるほどしかない。畑中家では完全に透明な存在だった自分に、老翁から直に声がかかるなんて、思いもよらないことだった。
畑中家から迎えの車がすぐに到着した。濡れた服のままの自分を見下ろし、瑠那は少し気恥ずかしくなった。
「石川さん、大旦那様がお待ちです。どうぞお乗りください」
「……はい」
瑠那はうなずき、後部座席に乗り込むと、緊張から衣の裾をぎゅっと握りしめた。