一歩足を踏み出す度に口から吐しゃ物が出そうになる。
六花は口を押さえ、虚ろな目をしながらローゼの下へ辿り着いた。彼女は寝室から一人で小城横にある庭園まで逃れていたのだ。
月光で煌めく金髪。その美しさを阻害するように赤い液体が付着している。おそらく寝室の爆発で負傷したのだろう。六花はその現場を見ていないため知る由もないが、やはり彼女は華奢な少女だった。
情報通り十二歳の少女。白い夜着の袖が血で汚れている。今から六花はその夜着をさらに赤く染めなければならない。
六花は仮面の集団から渡されたナイフを引き抜く。
「ん? お主、男の騎操師なのか⁉」
六花にはなぜローゼが驚いているのか分からなかった。
ローゼはもう一度六花のことを足の爪先から頭のてっぺんまで観察するように凝視して言う。
「見事な戦いぶりであったぞ、騎操師殿。まさかサーニャを倒すとはのう。それにルーナまで撃退したとは。天晴じゃ」
ローゼは薄っすらと笑みを浮かべながら素直に六花の実力を称賛する。そして、同時にある一つの仮説を立てる。目の前の少年の能力が異常に高すぎる。それは異世界から召喚された者の特徴と一致する。
「お前、何を言って……ぅぷッ!」
六花は命を狙われているというのに、あまりにも平然としているローゼの姿に困惑しかなかった。そこに頭痛と嘔吐感が合わさって視界も意識もぐちゃぐちゃだ。
「アンタを、殺さないと……元の世界に帰れないんだ。だから、ごめ……ッ!」
「なんじゃお主、相当滅入っておるようじゃな?」
ローゼが言うと六花はナイフを落とし両手で頭を押さえ膝から崩れ落ちる。
もう限界だ。頭が割れそうだ。嘔吐感も治まらない。でも、ローゼを殺さないと元の世界に帰れない。
六花は残った気力をかき集め足に踏ん張りを利かせて立ち上がる。
「お前を……あそこへ、連れていく……」
それが六花の出した答えだ。自分で殺すことができない以上、このまま足踏みしていても仕方がない。
「ほほう? そんな状態で我を攫うと言うのか? お主、なかなかの骨太だな。そう言う男と駆け落ちできるのなら悪くない申し出じゃな」
六花の様子とは裏腹にローゼは悠然と話し続ける。
その時、葉音や風が吹き抜ける音とは別の音が六花の耳に入った。小さいが軽快な足音が凄い勢いで近づいてくる。
六花が振り返ると視界いっぱいに短剣の刃が肉薄する。しかし、臆することなく短剣を握っている右腕を掴み、そのまま相手の勢いを利用して投げ飛ばす。もちろん短剣は奪取した。
六花に投げ飛ばされた少女は背中から地面に打ち付けられる前に受け身を取り、すぐさま立ち上がってローゼの前に立つ。
親衛隊長のサーニャだ。
「サーニャ、無事だったのか!」
「はい」
サーニャはローゼを一瞥してから六花を見る。ローゼが負傷している。軽傷だと一発で見抜けたが、怪我をさせてしまったことに強い怒りを覚える。それもこれも目の前にいる暗殺者のせいだ。そう思い暗殺者の姿を見て驚愕する。
「貴様、男の騎操師で……どうして賊に!」
まただ。
また男だと言うことで驚かれた。
六花はサーニャの登場に奥歯を噛みしめる。赤いジュエルナイトは腹部を刺しただけで騎操師自体には何のダメージを与えられていなかったのだ。そして、あろうことか最後にかき集めた気力も枯渇し、ついに膝から崩れ落ちる。
うつ伏せで倒れなかったのは最後の意地のようなものだ。
六花の不調を察したサーニャは駆け出すや膝をついた六花の側頭部に蹴りをお見舞いする。しかし、直撃寸前に腕を上げられ防がれてしまった。
だが、六花にはもう踏ん張る余力が無いため、そのまま蹴り飛ばされ、今度こそ地面に伏してしまった。さらにその衝撃で奪い取った短剣から手を離してしまった。その短剣の行方はと言えば、流れるようにサーニャの手に納まる。
サーニャはそのまま六花に馬乗りになり、短剣を逆手に持ち、切っ先を喉元に向けて振り上がり。
これが振り下ろされた時、自分の命が終わる。
六花は目に涙を浮かべながらも、人の命を奪おうとしてでも元の世界に戻ろうとした罰だと思い、その報いを受け入れることにした。
「ごめ、ねえ……ちゃ、ん……」
最後に放った言葉は風に乗ってローゼの耳に運ばれる。
「待て、サーニャ!」
ローゼの静止に寸でのところで短剣が止められる。
サーニャは勢いよく顔を上げローゼを一瞥してからもう一度六花の顔を睨みつける。口から涎をたれ流して気絶していた。当然と言えば当然だ。ジュエルナイトでの激しい戦闘に加えて魔導結界炉のリミッターを解除したのだ。さらに暴走状態になり、酷い波動酔いに陥っていたはずだ。
そんな状態でよく投げ飛ばしたなと、サーニャは素直に六花の能力を認めてしまった。
「この男は一体……」
「おそらく……」
「異世界から召喚された……異世界人……でしょうか?」
「その可能性はある。我を殺さぬと元の世界に帰れない、と言っておったのじゃ。じゃが……」
確信を得るには本人から直接聞かなければならない。ゆえに死なせる訳にはいかない。
「あのぉローゼ様?」
落ち着きを取り戻し定常運転に戻ったサーニャは恐る恐るローゼに問う。
「まさかとは思いますが、このままコイツの身柄を――」
「そのまさかじゃ!」
ローゼはサーニャの言葉を食い気味に言った。断言した。
「数少ない男性騎操縦師を暗殺者として差し向ける輩も気になるが、今はこの男の素性が知りたい!」
「しかし、この男はローゼ様を殺そうと……」
「それもそうじゃが……我を前にした時、ナイフの切っ先が震えておった。表情も酷い波動酔いだったとは言え、何か別の……怯えていたようにも見えた。根は悪い奴ではないのかもしれんぞ」
「ですが……ッ!」
「コヤツ、サーニャに止めを刺さなかったのであろう? おそらく、やろうと思えば、あの青いジュエルナイトが来るよりも早く我の命を取れていたはずじゃ。それだけの実力をコヤツは持っておると我は思う。騎操師としてお主の見解はどうじゃ?」
「……」
言わなくても分かっているだろうに、と言いたげな表情を浮かべてサーニャは溜め息を吐いた。
「さて、それでは我も一旦気絶する。先程から頭が痛くて痛くて仕方がないのじゃ。サーニャ、コヤツを独房に。くれぐれも丁重に扱うのじゃぞ!」
そう言い残してサーニャは糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
サーニャは目を丸くする。咄嗟にローゼに飛びつくことで、主が地面に伏す前に抱き止めることができた。頭部を支えた手にはドロッとした感触と生温かい液体がこべりつく。
「ローゼ様!」
サーニャの叫びが夜の巡礼路に木霊する。
こうして六花と仮面の男による闇夜の暗殺は失敗に終わった。
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