謁見を終え、玉座の間を出る。
さっきまでの張りつめた空気が嘘のように、王城の廊下は静まり返っていた。
拳志とアリシアが並んで歩いていると、硬質な甲冑の音が近づいてくる。
黒髪を短く刈り、鋼の甲冑を纏った男が現れた。
整った顔立ちに血の気はなく、冷たい眼差しだけ帯びている。
「姫様、王妃がお目通りを──」
男が恭しく頭を下げる。
アリシアは立ち止まり、拳志の方へ振り返った。
「……紹介しておくわ。カガーノス。王城直属の近衛騎士よ」
「……よろしくな」
拳志は干し肉を噛んだまま、じろりと相手を見上げる。
「顔色悪いな。メシ食ってんのか?」
アリシアは苦笑して肩をすくめた。
「……拳志。私、お母様のところに行くから、いい子にして待ってるのよ」
「俺はペットか」
軽いやり取りを残して、アリシアは歩き去っていく。
残された廊下には、拳志とカガーノスだけ。甲冑の金属音が、静けさにやけに響いた。
カガーノスは無表情のまま、一歩だけ間合いを詰める。
「あなたが……真堂拳志か。名は聞き及んでいる」
拳志は干し肉を噛み切り、肩を回した。
「なんや俺にも用事か?」
冷たい視線がこちらを射抜く。
「……姫様と、どういう関係だ」
「ああ、偶然助けてな、そっから成り行きで一緒におるだけや」
短い沈黙のあと、カガーノスはさらに問いを重ねる。
「…王国の庇護下に入らず、どこに向かうつもりだ」
拳志はわずかに笑い、鼻で息を吐いた。
「なんも決めてへん。……まぁ、こんな国でジッとしてるつもりもないしな」
カガーノスの瞳が細まり、低い声で続く。
「……力に理由はあるのか。お前が拳を振るう、その根は」
拳志は肩を回し、笑いを含ませて答えた。
「そんなもんあるかい。ムカついたら殴る。
守りたいもんがおったら守る。
それで十分やろ」
その言葉に、カガーノスの瞳がほんのわずか揺らいだ。
だがすぐに、氷のような色へと戻る。
「……愚直か、無軌道か。いずれにせよ、この国にとっては危うい存在だ」
「……見極めさせてもらう。お前が脅威か、それとも救いか」
「勝手に悩んどけ。俺は俺のやり方で動く」
カガーノスは短く息を吐き、一歩退いた。
無言で背を向け、甲冑の音を残して去っていく。
静けさが戻った廊下で、拳志は干し肉を噛みちぎり、ぼそりと呟いた。
「……見張り犬か。気に食わんな」
その頃──。
アリシアは案内に従い、王妃の私室へと足を踏み入れていた。
部屋には香の匂いが淡く漂い、外の喧騒は遮られている。
部屋の隅では、小さな蜘蛛が静かに糸を紡いでいた。
「……随分と勝手に振る舞っているようね、アリシア」
低い声。とても静かで、温度は冷たい。
「勝手じゃありません。間違っているものを、間違っていると言っただけです」
「正義を叫ぶのは簡単よ。でも王族の言葉は法に近いの。軽々しく口にすれば、国そのものを揺らすことになるわ」
「それでも、私は……」
王妃は一度だけ目を伏せ、長い睫毛の影を落とす。
だがすぐに、感情を切り離したような瞳で娘を見返した。
「アリシア。国とは秩序そのもの。民全員を救おうとする理想は、美しくても脆い」
「……じゃあお母様は、救える命を見捨ててもいいって言うんですか?」
「私は王妃。王に並び立ち、秩序を守る立場。私情で国を揺らすことは許されない」
「国を守る?それで失われる命はどうなるんですか!」
「その痛みを抱え続けるのが、統べる者の責務よ」
短い沈黙。アリシアは唇を噛みしめ、拳を握りしめた。
「……お母様。私は、そんな王国を変えてみせます」
王妃の表情は変わらない。だが視線の奥に、わずかな揺らぎが走った。
「……ならばせめて、忘れないことね。秩序は人を守る檻であり、人を縛る鎖でもあると」
アリシアは強くうなずいた。
王妃との面会を終え、拳志と合流した頃にはもう夕方だった。
二人は城下町へ下り、馴染みのない飯屋に腰を落ち着けた。
「……なあ姫さん」
「……なによ」
「この国、うるさすぎへん?」
「……それ、私が言うはずだったのに」
拳志は丼飯をかきこみ、アリシアは静かに水を飲む。
その時だった。
路地の奥から木箱が倒れる音が響いた。
「ったく、さっさと片付けろって言ってんだろうが!!」
「……す、すみません……!」
路地裏から、怒鳴り声と、木箱が転がる音。
広場のはずれで、茶色の髪をした少年が、荷物をぶちまけていた。
槍を携えた騎士団員が、少年の胸ぐらをつかみ、怒鳴り散らしている。
「お前なぁ、何回言えば分かるんだよ!? 雑用もまともにできねぇなら、やめちまえ!!」
「……っ……」
少年は、それでも黙って荷物を拾い続けていた。
拳志は、飯を食いながら、その光景をじっと見ていた。
やがて椅子を蹴るように立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
「──見とれんわ。お前、何されても黙っとんのか」
少年が顔を上げ、振り返る。
「……え?」
拳志は、わざとらしく口角を上げてニヤついていた。
「お前……パシリの才能あるなぁ」
「は、はぁ……?」
「お前みたいに気ぃ使って一番動いて、そんで損してる奴見てると、なんかこう……感動するわ」
「何に感動してるのよ」
隣でアリシアが呆れたように突っ込む。
「……嫌なんか?その立場」
拳志は目の前の少年に、真剣な顔で問いかけた。
「……はい」
少年は、わずかに俯いて答えた。
「嫌です。でも……やめたら、僕には何も……残らないから……」
「……ははっ」
拳志が、乾いた笑いをもらした。
「お前、生きててつらそうやな」
次の瞬間。
「なにしてんだゴラァ!!」
少年を怒鳴りつけた騎士が、拳志に向かって怒鳴り返す。
拳志の拳が振り抜かれ、男の身体は壁へと叩きつけられた。
石壁が鈍くきしみ、騎士はめり込んだまま微動だにしない。
「声デカいやつほど中身スカスカなんや。どけ、ボケ」
拳志が無表情で言い捨てたあと、転がっていた木箱を拾い、足元に置く。
「お前が損しても、誰も見とらん。けど、俺は見てたで」
「ま、めげんなよ。ほら、肉まんやるわ」
「……ありがとう、ございます……」
少年は拳志の顔を見上げたまま、何かが崩れたように、少しだけ涙ぐんだ。
──その夜。
アリシアは、城壁の外の階段で、拳志に言った。
「ねぇ、拳志……やっぱり、私はこの国を変えたい」
「けど、今のままじゃ絶対ムリ。あの連中は私の声なんか聞かない。だから……私はあんたに、全部賭けるわ」
「壊して、叩いて、引っかき回して」
「どうせ誰も止められない。だったら、外から壊して、もう一度私が築く」
アリシアは拳志を見つめて、強く言った。
「それまで、私を姫って呼ばないで」
拳志は、一瞬だけ黙ったあと──笑った。
(やっぱりあいつに似てるな…)
「──決まりやな、“アリシア”」
「王国解体ツアー、開幕や」
腐った王国に、バカが殴り込みをかけるまで、あと少しだった。