夜の森に、獣と人の影がひっそりと溶け込んでいく。
焚き火の明かりはすでに遠く、足元を照らすのは月と、微かに浮かぶ魔術の光だけだった。
レインが前に出て、掌に魔力を収束させる。
「……追跡式、展開します」
指先で印を結ぶと、地面に淡い光の筋が走り出す。まるで獣の勘を可視化したかのように、布切れに残された魔力の粒子が、一本の光の道を描いていた。
「おお……なんやこれ。きれいやな」
拳志が感心したように目を細める。
「見た目は派手ですけど、ただの応用魔術です。痕跡を拾って、なんとか繋いでるだけで」
レインの説明に、アリシアが目を見張り、ガルドも素直に唸った。
「……すごいな。こんな魔術、見たことねぇ」
拳志が、にやりと笑う。
「うちのパシリ、なかなかやるやろ?」
レインがすかさず振り返る。
「パシリって言わないでください」
「でも否定はせぇへんねんな」
「否定してますよ!」
レインは苦笑しながらも、すぐに表情を引き締めた。
「この先に、魔力の空洞のような物があります。自然の流れを乱す、人工の結界です。隠し拠点の可能性が高い」
拳志が、拳を鳴らす。
「ようやった。そっから先は、俺らの出番やな」
「こっちも支援に回るから、無理はしないで」
アリシアが真剣な顔で頷いた。
「了解や。……ガルド、行くで」
「おう。背中、任せたぞ」
森の中を進む一行。レインの光糸が前へ伸びていく。
その合間、拳志が何気なく口を開いた。
「そういや、お前……魔法とか使わへんのか?」
ガルドは少し驚いたように横目で見返す。
「使えないわけじゃねえ。ただ、得意じゃねえな」
「へぇ。獣人って、魔法使えへん種族なんか思てたわ」
「そうでもねぇ。火をちょっと起こすくらいなら誰でもできる。ただ、本格的に扱える奴は少ねぇな。……俺らの種族は特にだ」
ガルドは低く言葉を継ぐ。
「大陸の南の方に、魔術を得意とする獣人の部族がいるって聞いたことはある。けど俺らみたいに腕と牙に頼る奴らとは、暮らしもまるで違うらしい」
拳志が顎をさする。
「獣人はみんな一緒におるんか思てたけど……バラバラなんやな」
「気候も食い物も違うからな。山に適した奴もいれば、海辺に根を張る奴もいる。世界中に散らばってんだ」
ガルドの声が一瞬だけ沈む。
「……人間にとっちゃ、俺たち獣人と魔物の境目なんざ曖昧なんだろうな」
その言葉に、アリシアとレインの表情がわずかに揺れる。
アリシアは唇を結び、レインは言葉を探すように視線を落とした。
すぐにガルドが首を振る。
「すまねぇ。お前らのことじゃねえ。人間全員がそうってわけじゃないのは分かってる。ただ……まだ偏見が残ってんのも事実だ」
アリシアは一歩前に出る。
その横顔は凛として、声は揺れなかった。
「……だからこそ、私が変えてみせる。王国も、人と獣人の関係も」
拳志は少しだけ目を細め、鼻を鳴らす。
「……なんや、根は深そうやな」
その空気を切り裂くように、レインの光糸が前方で揺れた。
「……見えてきました。結界の綻びです」
そこには、自然の中に不自然にぽっかりと空いた何もない空間。視認できない結界が存在していた。
レインは結界の縁に手をかざし、目を細める。
「……ほんの僅かですが、綻びがあります。ここから突破できます」
「綻びって……穴が空いとるってことか」
「正確には繋ぎ目ですね。力で壊すとバレますが、僕の魔術でそこだけをずらせば、音も気配もなく通れます」
拳志が小声で笑う。
「ようわからんが、とにかく行けるんやろ? ほな、行くだけや」
拳志が呟き、先に潜り込む。
ガルド、アリシア、レインも続いた。
木々の隙間から覗くその先に、小さな砦のような構造物が現れる。
周囲を無言で巡回する黒装束の兵士たち。
「……何やあいつら」
重い空気が、肌にまとわりつく。
兵士たちの動きは異様に整っていて、まるで感情というものが存在しないかのようだった。
ガルドが小さく舌打ちする。
「気味悪ぃな……まるで人形だ」
拳志は気配を殺しながら、一歩前に出る。
「気配も、呼吸もない。けど……力だけは、感じるな」
レインが手を掲げ、魔力の流れを読みながら呟いた。
「まずは攫われた人たちを──」
「後や後!我慢できへん!」
拳志は返事も聞かず、獣のように駆け出した。
その拳がうなる。
「ッらぁああああ!!」
黒装束の兵士が、木の幹ごと吹き飛ぶ。
ガルドもすぐさま続いた。
「まったく……無茶苦茶だな!」
疾風のように走り抜け、二体の敵を一閃で斬り伏せる。
その様子を見て、アリシアが大きく息を吐き、目を見開いて叫んだ。
「……ちょっと!2人とも作戦って言葉、知ってる!?」
レインは小さくため息をつきながら、それでも落ち着いた口調で応えた。
「大丈夫です。……あの二人が突っ込むのは最初からわかってました」
「え?」
「敵の目は、もう完全にあっちに向いてる。こっちが動くなら、今です」
レインは布切れに込めた魔力を再展開し、周囲を索敵するように地面へ手をかざす。
「攫われた獣人たち……僕たちで、解放しましょう」
アリシアが驚きの顔のまま、すぐに頷いた。
「……ったく、あなたも大変ね、レイン」
「はい……でも、急がないと」
レインは顔を引き締め、すぐに地面へと意識を向けた。
指先から放たれた魔力が、再び地を這うように走る。
けれどその奥で──
まだ別の気配が、じっと彼らを待ち構えていた。