──拳が、めり込んだ。
ブンッ、と空気を裂いた一撃が放たれ、魔王の顔面を真正面からぶち抜いた。
「ぶえっ……!? な、なにっ……!? えっ、ちょ、まっ、まってって!? まだセリフの途中──!!」
間抜けな断末魔を残し、漆黒のローブをまとった大男が盛大に吹っ飛ぶ。
仰向けに倒れたまま、魔王は白目を剥いてピクピク震えている。
「──魔、魔王様?」
「い、今の見たか……?」
「魔王様……顎外れてる……?」
「こ、声……裏返ってたぞ……?」
トカゲ兵士が、ぷるぷる震えながら呟く。
その空気をぶち破るように、地面にめり込んだ魔王の顔を見下ろし──
赤髪を逆立て、学ランのボタンを外した不良の少年が仁王立ちしていた。
「知るか。先に殺す言うたん、お前やろがい」
地面にずり落ちた魔王の顔面に、もう一発、拳志の蹴りが入った。
「殺す言うてみぃ。その時点で殴られて終わりや。関西人舐めんなや」
その言葉を最後に、世界は静寂に包まれた。
けどな──こんな状況に至るまでに、ちゃんと理由がある。
……その直前まで、俺は──
「うそやろ……俺、死ぬんか?」
バイクはもう、鉄くずに潰れとった。
街路樹にぶつかった拍子に空中に放り出されて、頭からアスファルトに叩きつけられた。
視界の端には、赤信号無視のトラック。運転手が悲鳴を上げて飛び出してきとるのが見えた。
血の味が、口ん中いっぱいに広がって。
「……まだ、やっとらんこと……ようけあるのに……」
真堂拳志、十七歳。関西生まれの喧嘩屋。
筋を通すために、拳で生きてきた。
「真堂の名前知らんやつは、関西の道歩けん」
そう言われとったくらいや。
でもな、暴力だけが全てやない。
筋を通す。義理は返す。弱いもんは守る。強いだけのやつは許さん。
俺は、そんなんがカッコええって、ずっと信じとった。
(こんな形で終わるんか、俺の人生……?)
そう心の中で呟き、そして、
(美羽……すまんな……)
そう心の奥で小さく謝った瞬間、何かが弾けるように視界が白に染まった。
痛みも血の匂いも、一瞬で遠ざかる。
ただ、抗えない光が全てを呑み込み──
目の前が、真っ白になった。
「うおおおおおお!?なんや!?
ちょ、ここどこや!?なんで空中やねん!!」
気づけば、空を落ちとった。
目の前に広がるのは、見たこともない世界。
石造りの遺跡。赤黒い空。魔物みたいな兵士。
「ちょっ、ヤバいってこれ死んでまう──」
ドゴォッ!!
拳志は勢いそのままに、頭から地面へ突っ込んだ。
遺跡の床にクレーターめいたヒビが走る。
「ぐぇっ……!!……いった……死ぬか思た……!」
頭を抱えながら顔を上げた、その正面に──
「……貴様、何者だ」
──魔王がいた
でかい。魔力みたいなんも感じる。
黒いローブ。角。圧倒的な威圧感。
って、なんで俺の落下地点、コイツの目の前やねん。
「勇者か? いや、違うな……魔力の気配が歪すぎる。異端か……?」
魔王らしきその男が、冷たい目でワイを見下ろす。
「気に入らん。殺すか──」
その声と同時に、空気が凍りついた。
兵たちが一斉に膝を折る。魔王の放つ圧だけで、遺跡全体が軋む。
背筋を折られるような威圧感に、空気すら重く沈んでいく──が。
その瞬間、俺の右拳が、勝手に動いとった。
そして、今に至る。
魔王は、顔を腫らして地べたに沈んどる。
周りの兵は、誰一人として動こうとせん。
「ま、魔王様が……一撃で……?」
「な、何者だあいつ……本当に人間か……?」
動揺が、じわじわと広がっていく。
「ば、馬鹿な……我は……この世界を統べる者……混沌の王──」
「うっさい、黙っとれ」
ドゴォッ!!
拳志のかかとが、魔王の腹にめり込む。
一瞬、空気が止まった。
骸骨兵士がポツリと呟いた。
「……マジで黙った……」
魔王のローブの中から、かすかに「ヒュゴ……」という情けない呼吸音が漏れていた。
恐怖と困惑が、魔王軍全体を静かに包んでいく。
拳志は、ひとつ肩を鳴らして
「よし。俺、生きとるな。世界変わっとるけど、問題あれへん」
ゆっくりと歩き出す。
その背中を、誰も追えなかった。
こうして、異世界ヴェルザ=ルーンに転生してきた真堂拳志は、世界に喧嘩を売った。
神も魔王も知らん。
筋の通らん理不尽だけは、絶対に許さへん。
拳志がそう呟き、歩き出したその時──
その姿を、遠く離れた塔から見つめる者たちがいた。
仮面をつけた神官たちが、玉座を囲むように七人並んでいた。
白い仮面は光を反射せず、奥の瞳すら見せない。
息遣い一つ漏れず、ただ冷たい沈黙が漂う。
中央の玉座には、影の王のように鎮座する最高位。
重苦しい会議室の空気を裂くように、記録の光が映し出す。
――魔王を殴り飛ばす拳志の姿。
「予定外の因子が出現しました。転生にも加護にも該当せず……」
「魔王を一撃……?あれは人間か……?」
ざわめきが広がる会議室。
ただ一人。
その輪から少し離れた場所に立つ黒衣の青年が、映し出された拳志を鋭く見据えた。
「……来たか。拳志」
低く呟いた声が、重苦しい静寂を裂いた。
――異物はまだ知らない。
この世界の理すらも、壊す存在であることを。