「何かお気づきになられたのでしょうか?」
ドクンと跳ねる胸の高鳴りを抑えながら、俺はエカチェリーナを見る。
まさか、こんな……自分が書いた小説の世界に転生するなんて思ってもみなかった。
当然だけれど、主人公を自分に設定したなんてことはない。夢小説を書いていたわけじゃないのだ。
けれど、トラックで轢かれた音や一瞬の痛み、そして今、自分の足で真っ白い床に立っている感覚が、これが夢ではなく現実だと思い知らせてくる。
俺はそう認識しても、さらに頭がパニックになった。思わず蹲って頭を抱えてしまう。
別に勇者になりたくて小説を書いてたわけじゃない。そりゃ、異世界転生に憧れたことは一度や二度ではないけれど、自分で書く場合は別だ。バズって、いっぱい感想をもらって、漫画化したりアニメになったり、そうやってちやほやされたかっただけだ。
勇者なんて、俺には無理だ。自分の図体の数倍デカい化け物と殺し合いをするなんて絶対無理だ!
「あらあら……。なんと申し訳してよいのやら……」
そのとき、顔に柔らかいものが当たって、脳がとろけるような甘い香りがする。
頭をぐっと引き寄せられ、背中を優しくさすられた。
俺はエカチェリーナに優しく抱擁されていたのだ。
肌の香り。そこから伝わる熱。そして、顔いっぱいに当たる大きな胸が、俺の欲望を掻き立てる。
こんなときだというのに、体は正直だ。このままではちょっと……その、立ち上がれない。
すると、エカチェリーナは銀鈴の声で語り掛けてくる。
確か、このシーンでは……。
「大丈夫。ここには貴方様を――」
「『害するものなどおりません』」
予想した言葉を重ねると、エカチェリーナは目を丸くしたあと、再び微笑を浮かべた。
俺の書いた小説はまだ未完成だ。だが、プロットはだいたい完成している。
主人公は魔王を倒した後、このエカチェリーナ――この国の王女様と結ばれるのだ。
この美女と、王族の一人となって、幸せに余生を暮らす。
そう考えただけでも、少しだけ俺はパニックから回復した。
俺が描く理想の女性像を書いたのだから、そんな女性と結ばれる運命にあるのだから、こんな状況でも嬉しくなってしまうのは仕方がない。
しかし、はて……ここからどういう展開だっただろうか?
「タクミ様?」
「あっ、は、はい!」
呼びかけられて、俺ははっとして体を離す。
いつまでも女性の胸に顔を埋めているわけにはいかない。
周りには大人の兵士がずらっと並んでいるのだ。これから勇者としてやっていくのに、恥ずかしいところを見られたくない。
「まずは貴方様のお力を目覚めさせましょう。貴方様の中に眠る。イシの力を……」
言われて、俺は思い出す。
この世界の主な力の根源は魔石だ。
燃料のように使ったり、武具に取りつけたりして、その魔力で戦い、魔法を使う。
しかし、その中でも特に強力な力が、【輝祷】の力だ。
体に宝石を持つ人間の、その力を他者に捧げることで超人的な力を手に入れることができる。
主人公はその力を基礎に、一つのスキルを授かる。
様々な魔石を体に取り込むことで、どんどんと強くなるという、スキル【ストーンイーター】だ。
そうして主人公は成長してゆき、最後は魔王をも凌ぐ力を手に入れる。
だから、これは物語の一番最初の大事なシーン。
エカチェリーナの【輝祷】を受け入れ、勇者としての姿に変貌――変身できるようになる場面だ。
「我が力を……。我が魂を……。我が意志を汝に授けます。勇者タクミ」
「は、はい」
エカチェリーナが胸の赤い宝玉に手を当てると、その輝きが増す。
そして、目を細めるほどの強い光を発したとき、宝玉から光が分離した。
その光をエカチェリーナはゆっくりとこちらに押し出す。
俺は直立不動で、その光を胸に受け入れた。
彼女の心が、力が入ってくる。
それは一瞬で体を巡って、俺はその心を感じる。
熱く、燃え上がるような、優しさに……――いや、おかしい。
これは――違う!
「あ、アガッ……!?」
ドクン、と胸に激痛が走る。エカチェリーナの心が俺の心を侵食する。
優しさなんてものじゃない! そんなものとは真逆な、獰猛で、残虐な――!
「うぅぅぁガガアアアアァァァァァッ!」
「な、なにがっ……! タクミ様!?」
――支配欲、征服欲、怒り、憎しみ。
この世の全てを手に入れたいというあまりにも大きな野望……!
それが、俺の頭を駆け巡る。
「嫌だッ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああぁぁァァァッ!」
俺は、そんなこと望んでいない。そんな心を持ちたくない。そんな力を使いたくない!
瞬間、俺の周囲を赤い結晶のようなものが包んで、俺の体は赤い岩石のようななにかに変貌する。
そして、俺の意識は一つの感情に染まった。
「ああああァァァァァァ!」
――拒絶。
この力を今すぐ取り除いてホシイ……! この欲望をイマズグ捨てさせてホシイ……!
じゃなければ俺は、オデハ……!
「アガガァァァァァッ――!」
俺はもはや指すら一体化したこん棒のような腕を振るって――。
「姫様ッ!」
――目の前のエカチェリーナを殴り飛ばした。
「こいつッ! 魔獣化しているぞ!」
「取り押さえろ! 殺すな! エカチェリーナ様の力を奪われるわけには……!」
「ガアアアアァァァァ!」
兵士たちが俺の上にのしかかろうとする。
しかし、俺の思考はその敵意に反応して、さらなる憎悪へと変わった。
一番に飛び掛かってきた兵士の顔を殴ると、その顔はまるでブドウの粒を潰すかのようにいとも簡単に血飛沫を上げた。
さらに迫る兵士の腹を殴ると、彼はおびただしい血反吐を吐きながら壁に激突する。
「こ、殺せ! もはや獣だ!」
周囲を取り囲んだ兵士から槍が繰り出され、俺の体に鋭い切っ先が突き刺ささった。
だが、その痛みすら力の根源となり、次々に槍を持つ兵士の頭を叩き潰していく。
白い床が血の海に変わり果てていくのを見て、俺は必死に抗った。
――もう嫌だ! 人なんて殺したくない! 俺に向かってくるな! 俺に触れるな! 俺に殺させないでくれ!
「ウガアアアァァァァッ!」
俺は咆哮を上げながら、走る。
邪魔をする兵士の体を引き千切って、壁を力任せに殴りつけた。
一撃で粉砕された壁の奥に、鬱蒼とした森がはるか下に見える。
そこだけが逃げる唯一の場所だと、わずかに残った理性が訴えかけてきた。
高さなんてどうでもいい。逃げられるのなら、この苦痛から解放されるのなら、死んでもいい。
「アアアァァァァァッ!」
俺は雄叫びを上げながら、その高みから身を投げるのだった。
よろしければビューなどお待ちしております!
感想など頂けたら励みになります!
I've tagged this book, please support it with a like!
Your gifts inspire me to create. Give me more!