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100% 薬神のレシピ 〜救済か破滅か〜 / Chapter 9: 秩序と危険の狭間

Capítulo 9: 秩序と危険の狭間

朝の薬師ギルドは、瓶と秤と紙の音で落ち着かない。

壁の魔法灯が静かに灯り、磨かれた床に薬草の匂いが薄く降りていた。

掲示板の前で足が止まる。新しい紙が一枚、まっすぐに貼られている。

「関係者呼出……あ、これ、師匠の字です」

リリィが小さく息をのむ。

「薬師長グレン・フォルセティ」

「早いな」

ルークは紙面を一瞥し、肩のバンドを軽く締め直した。

「報告書、もう通ったか」

廊下へ向かうと、若手の薬師が二、三人、声を潜めていた。

「封印、壊れてたって」

「毒霧狼まで出たらしいぞ」

「例の異端……いや、新人が対処したんだと」

リリィが歩幅を合わせる。

「……行きましょう」

「うん」

薬師長室の扉は無駄のない木目で、金具がよく磨かれていた。

返事を待って入ると、室内は整然としている。瓶は高さで揃えられ、帳簿は背表紙が手前を向いて並ぶ。窓の光で埃ひとつ目立たない。

机の向こうで、グレン・フォルセティが立ち上がった。

灰色の外套、規律の匂いをまとった視線。

「来たか。座りたまえ」

ルークが会釈し、リリィも背筋を伸ばす。

グレンはまず、封印破壊の報告書に指を置いた。

「君の行動は迅速で、記録も正確だった。被害を出さなかった点は評価する」

「ありがとうございます」

ルークが短く答える。その声が静まるのを待って、グレンは表情を変えずに続けた。

「……だが、使用した薬はいくつか、正式な認可配合ではない。応急処置で済ませるには過ぎた行為だ」

乾いた紙の音が一枚、めくられる。

「王都の森で、規格外の薬を投げる。その判断の重さを理解しているか」

ルークは視線をぶらさない。

「現場で命が削られていく時、迷う暇はありません。道具は使い方です。炎は抑え、圧で弾き、毒霧には嗅覚攪乱と麻痺で足を止めました。樹も地形も壊していません」

リリィが師匠の顔とルークの横顔を交互に見た。

「現場は、あの配合で助かりました。私がその場にいて、見て、癒やしました」

グレンは頷きをひとつだけ落とし、しかし言葉は引かない。

「命を守る手段は、制度の中にも用意されている。正規の結界補修部隊、標準配合、連絡手順。君は“枠外の成功”を、成功として誇ってはいけない」

「誇ってはいません」

ルークは淡々と返す。

「繰り返す予定もない。必要だから使っただけです」

部屋の空気が一段、張る。リリィが小さく息を吸った。

「師匠……」

グレンは二人をまっすぐ見た。

「薬師は“奇跡”を起こしてはならない。奇跡は再現できない。再現できない薬は、制度にとって脅威になる」

ルークは短く考え、それから言葉を選ぶ。

「再現の議論は、救命の後でもできます。誰かが倒れている横で、帳簿を開いている時間はありません」

一瞬、静かになった。魔法灯の芯が小さく鳴る。

リリィが控えめに口を開く。

「……師匠、現場の声も必要です。紙に描いた服用の図が、街で役に立っています。あれも最初は“規格外”でしたが、今は依頼の条件に入っています」

グレンは視線を落として帳簿の角を揃え、指先を離した。

「現場の声を拾うのは、薬師長の仕事でもある。だからこそ、私は拾う。だが——」

顔を上げる。

「“感情で動く薬師”を放置すれば、制度は崩れる。制度が崩れれば、救える命が減る」

ルークはそれ以上、反論を重ねなかった。ただ、机上の瓶を一瞥してから、言う。

「では――制度の中で通る形に、私の手順を整えます。材料、温度、投入の順、許容誤差、使用範囲、禁忌。全部記録します」

リリィの目がわずかに明るくなる。グレンもまた、感情を大きく動かさないまま、短く頷いた。

「……それができるなら、話は早い」

帳簿が閉じられる音。グレンは次の紙を手元へ引き寄せた。

「ただし、予防措置を取る。これ以上、君が独断で薬を用いた場合は、正式に調査を行う。——今日から、監査官を同行させる」

「監視、ですか」

ルークは声色を変えない。

「監視ではない。確認だ」

グレンははっきりと言う。

「君の薬が正しければ、制度の秤にかけても正しいはずだ。現場での判断、使用範囲、結果。そのすべてを、第三者が記録する」

リリィが目を丸くする。

「今日から、ですか」

「今日からだ」

グレンは淡々としている。

「私は敵ではない。だが、“危険な正義”は、放っておけない」

ルークは目を伏せ、息を整えた。

「……了解しました」

「よろしい」

グレンは席を立ち、

「君たちの“服用紙”は続けていい。あれは安全性の向上に寄与する。街路巡回の依頼は優先的に回す。ただし——」

視線がルークへ戻る。

「結界に関わる事案は必ず報告を。独断での封印介入は、懲戒の対象だ」

「承知しました」

短い面談はそこで終わった。立ち上がって礼をすると、グレンはほんの一瞬だけ、リリィにだけ柔らかい目を向けた。

「体は、無理をするな。聖印の光は、使えば減る」

「はい、師匠」

扉を閉めると、廊下の空気が少し軽い。遠くで瓶の触れ合う音がして、朝の喧噪が戻ってくる。

リリィが肩の力を抜き、苦笑いする。

「師匠、変わってませんね……正しいけど、ちょっと怖いです」

「正しさが一番怖い」

ルークは歩き出しながら言う。

「間違っていても、止まらないことがあるから」

「でも、私たちは救いました」

リリィは前を見て言葉を続ける。

「紙も広まってます。今日も依頼、来てますよ」

「そうだな」

ルークは頷いた。

「だから次は、“証明”する。制度の中でも通る形で」

階段を下りると、受付嬢が呼び止めた。

「お二人。連絡です。午後の巡回に監査官が同行します。集合は裏口へ」

机から一枚、薄い札が差し出される。

「監査官提出用の記録紙です。服用紙の控えも別綴じに」

「了解」

ルークが受け取ると、受付嬢は小さく微笑んだ。

「それと……南市場の露店から、感謝が三件。紙が役に立ったそうです」

リリィの表情がぱっと明るくなる。

「よかった。じゃあ、図をもう一枚増やします。『やめ時』を大きく」

「字は任せる」

ルークも口の端を少し上げる。

「監査官にも渡しておこう」

一度、作業卓に寄って瓶と紙を整える。

羽根ペンの先をリリィが揃え、ルークは配合表の欄を増やした。

材料の産地、乾燥度、投入温度、時間、許容差。書きながら、手は迷わない。

「ルークさん」

「ん」

「師匠の言ってること、全部否定じゃないんですよね」

「そうだ」

「でも、現場は待ってくれない」

「だから、両方やる」

ルークは紙を重ね、革紐で束ねた。

「救って、書く。使って、示す」

裏口の扉が開く。

外気は少し冷たく、空は高い。

石畳を渡る風に、乾いた薬草の匂いが混じる。遠くで鐘が二度、短く鳴った。

「さ、行きましょう」

リリィが地図を胸に抱え、笑う。

「今日の巡回は南市場から。紙は二十枚、予備に十」

「了解」

ルークは鞄の重みを確かめ、歩き出した。

――同じ頃。

薬師長室では、グレンが机上の書類をもう一度、順に指でなぞっていた。

封印破壊の報告、毒霧狼の出現、応急対処の記録。服用紙の写し。

字は読みやすく、配合は細かく、温度と時間が書かれている。

「……逸脱者が、また現れたか」

独り言のように呟き、ふと目を細める。

「だが、彼は“壊す側”には見えない」

帳簿を閉じる音が静かに落ちた。

彼は呼び鈴に手を伸ばし、確認班の名前を書き込む。秩序は続いていく。

続けるために、見て、記す。

そして、枠外から届いた結果が本物なら——取り込む。

窓の外で魔法灯がひとつ、昼の明るさに負けずに揺れた。グレンは目を戻し、次の書類に印を置いた。


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