第8話:裏切りの証拠
月城家の書斎で、蓮は机の引き出しから一通の手紙を取り出した。
しわしわになった便箋。五年前、雫が残していった別れの手紙だった。
何度読み返したかわからない。文字は涙の跡で滲み、紙は握りしめられて破れかけている。
『蓮へ
月城家の跡取りとして、あなたには輝かしい未来が待っています。でも私は違う。心臓病で医療費のかかるあなたと一緒にいても、月城家から見放されるだけです。
私にはお金が必要です。あなたといても得るものは何もありません。
もう会うことはないでしょう。
雫』
蓮の拳が震えた。
「金が必要だと?」
手紙を握りつぶす。五年間、この言葉が胸に突き刺さったままだった。
携帯電話を手に取り、アシスタントに電話をかけた。
「昨夜、白雪雫に渡した小切手の件だ」蓮の声は氷のように冷たかった。「すぐにキャンセルしろ」
「申し訳ございません、月城様」電話の向こうで慌てた声が響いた。「小切手は今朝一番で現金化されております」
蓮の顔が青ざめた。
「何だと?」
「はい。開店と同時に銀行に駆け込んだようです」
電話を切った蓮の手が激しく震えていた。
やはりそうだった。雫は金のことしか頭にない。昨夜あれだけ屈辱を受けても、朝一番で金を手に入れに行く。
「雫」蓮が歯を食いしばった。「俺を捨てた結果がどうなるか、思い知らせてやる」
書斎を出ると、階下から母親と綾香の声が聞こえてきた。
リビングに降りると、綾香が真っ白なウェディングドレスを着て鏡の前に立っていた。
五ヶ月前、蓮が雫のために注文したドレスだった。
「似合うかしら?」綾香が振り返って微笑んだ。
蓮の脳裏に、雫の姿が重なった。このドレスを着た雫を想像していた日々。五年間待ち続けた末に、金のために裏切られた。
「似合うよ」
心のこもらない笑みを浮かべ、綾香の額にキスをした。
「蓮」母親が命令口調で言った。「今日は綾香と街に出なさい。結婚式の準備があるでしょう」
「うん」
感情を押し殺して答える。恋愛そのものが、もう信じられなくなっていた。
その時、携帯電話が鳴った。
「月城様」アシスタントの興奮した声が聞こえた。「白雪雫の居場所がわかりました」
蓮の目が鋭くなった。
「どこだ」
「住所をお送りします」
綾香が不安そうに蓮を見つめた。
「どうしたの?」
「少し用事ができた」蓮が立ち上がった。「先に帰っていてくれ」
綾香を置き去りにして、蓮は車に飛び乗った。
アクセルを踏み込みながら、復讐の計画を練る。雫が金で豪華な生活を送っているなら、それを全て奪ってやる。
住所に到着すると、蓮の眉がひそめられた。
「ここか?」
目の前に立っているのは、古びた単身用アパートだった。
アシスタントが駆け寄ってきた。
「間違いありません。彼女はここに住んでいます」
「二千万円を持って去ったはずなのに」アシスタントが首をかしげた。「なぜこんな場所に?」
蓮の冷徹な表情に、わずかな困惑が混じった。しかし、すぐに怒りが勝る。
「ドアを開けろ」
アシスタントが鍵を開けると、ドアがゆっくりと開いた。
その瞬間——
蓮の冷徹な顔が、驚愕に変わった。
壁の塗装が剥がれた部屋には雑多な物が積み上げられ、腐った臭いが漂っていた。唯一、隅にベッドが置かれていた。
「これは一体——」
アシスタントの声が震えていた。
蓮は言葉を失った。金持ちになったはずの雫が、なぜこんな場所にいるのか。
二千万円は、どこへ消えたのか。