夜が明けた。魔物襲撃、俺としては新たな人生のスタートの翌日。
現実と向き合わなきゃいけない時間が来た。
エリアナ村の領主の屋敷、その執務室にはアンスル、俺、エミリの三人が集まっていた。
応接用のテーブル上に村周辺の簡素な地図が広げられている。割と新しく、手書きだ。エミリが書いたものらしい。ファンタジーでよく聞く羊皮紙ではなく植物で作られた比較的質の良い紙だな。意外と都市部は発展しているのかもしれない。
「最初に言っておくことがあります。……ヴェル、私達はこれから、貴方をとても頼りにするしかない」
アンスルの言葉に、横に控えるエミリが静かに頷いた。
エミリは今朝にはもう歩けるようになっていた。心配だったんだけど、体力も戻っているらしく、当たり前のように料理を始めたのは驚いた。あれだけ苦しんだ後なら、しばらく体調が悪そうなのに。魔法って凄いな。
『当機の技術力ならば当然です』
インフォはそういうが、凄いものは凄い。
そんなエミリはメイド服を着て、アンスルの横について回っている。どうも、秘書も兼ねているらしい。会話の端々に学識と品も感じる。ただの侍女というわけではなさそうだ。
話を戻そう。俺を頼ると宣言したアンスルにそっと視線を向ける。一瞬、彼女の瞳の中でモノアイを点滅させる自分が見えた。意外と雄弁なんだな、モノアイ。
「このエリアナ村は実質的に開拓村です。過去に栄えたこともあったのですが、見る影もありません」
一度衰退して、領主の屋敷と周辺だけ残っていた感じか。
「私達は今年の春から入植し、なんとか生活してきました。どうにか冬を越せる目処も立ったところで、魔物の襲撃です……」
「柵の外、農地にあった倉庫は全て焼かれてしまいました……」
エミリが沈痛な顔をして言う。食料の備蓄がないってことか。深刻だ。
「エミリ、ヴェルに状況を説明して」
「承知しました。朝食の後、少々外を見回り現状を把握いたしました。ヴェル様が城壁を作ってくださったおかげで、懸念は一つ解決しております……」
それから、エミリの話が始まった。それほど長くはない。エリアナ村には報告に値すること自体が少ないからだ。
食料の備蓄はそれなりにある。しかし、冬を越せるほどじゃない。これまで収穫した野菜などを村の外に保管していたのが良くなかった。
水の問題もある。飲料水は村内の井戸だが、農耕は東の川から水を汲んでいた。魔物の襲撃もあり、城壁の外にでにくい。また、多数の男性が魔物との戦いで失われたのも大きい。
なにより、季節も悪い。今は秋の収穫を終えた辺り、これから冬越しの麦を植える時期だそうだ。慌てて何か植えても収穫より前に冬が来てしまう。失った食糧の補充は難しい。
諸々の問題を解決する方法として、お金で買うというのがある。しかし、開拓地であるエリアナ村にそんなものはない。
「加えて、農地自体の問題もあります。これは、後ほど直接見て頂きましょう」
新しく城壁を書き加えた地図を指し示して、エミリはそう結んだ。
「まずは無事に冬を越すこと。出来ればそれ以上の結果が必要だわ」
アンスルが難しい顔をして言うと、エミリも頷いた。
普通に考えれば、当面の冬越しを目標にすべきなんじゃないのか?
そんな疑問が伝わったのか、アンスルは申し訳無さそうに微笑んで言う。
「冬を越した上で、この村に価値がないと、私とエミリは最悪殺されるの」
●
アンスル・ミナティルスはロンデカイト王国の第二王女である。
上に兄が二人と姉が一人。下に弟が二人。ちょうど、真ん中の世代にいる姫君だった。
王位継承権はあるが、上には三人。ロンデカイト王国の歴史上、女王はいるが、ここ百年はなし。
順当にいけば一番上の兄が王に即位して、自分は他国か国内の有力者に嫁ぐ。
そんな立ち位置にいたのがアンスルだった。
アンスルは少し変わり者だった。魔法が大好きだったのである。
伝統的に、ロンデカイト王国の王族は高い魔力を持つ。かつては戦争で大いに活躍したものだが、近年は比較的出番が少ない。王自ら最前線で魔法を放つような場面はなかなかない。
とはいえ、王族の嗜みとして魔法の手ほどきは受ける。
アンスルはそれにハマってしまった。色々なことができる不思議な力、魔法。その魅力に取りつかれたのだ。
それが十歳の頃。それからというもの、魔法と研究に明け暮れた。
王族の中でも少しは問題になったが、第二王女ということが幸いした。魔法好きの変わり者という点を除けば、アンスルは大人しく穏やかな淑女だったのもある。
転機となったのは、一番上の兄が急逝したことだった。
これについて、アンスルはよく知らない。いつも通り、魔法の勉強をして帰ったら兄が死んでいた。
それがまずかった。十八歳になったアンスルは聡明だが、王宮内のことに無知だった。
継承権第一位の王子の逝去。
アンスルの「普通の生活」が失われるのは早かった。
継承権争いが水面下で始まった。実はもっと前から動いていて、兄の死亡はそれが表面化しただけなのかもしれない。王宮内に陰気な空気が立ち込め、怪しげで無責任な噂が蔓延した。
それからすぐ、姉が王城から消えた時、アンスルは既に逃げ切れない場所に追い詰められていることを理解した。
その時は、すぐに来た。よく晴れた春の午前中、武装した騎士達に囲われたのである。
「残念です。姉上」
騎士を率いているのは、第二王子カーザだった。少し思い込みが激しく、好戦的な次兄。先日、二十になったばかりの男が侮蔑を込めた視線を向けてきた。
「こ、これはどういうこと? 私は何もしていないけれど……」
「アンスル、貴方には王国に対する反逆の疑いがかかっている。そうだな、秘匿された魔法の流出……というやつでどうかな?」
その物言いを聞いて、アンスルは確信した。全て、カーザの企みだったと。
「私はそのような魔法に覚えはないのだけれど……」
「既に証拠は上がっている。お前と仲の良い王国図書館、魔法研究室の面々からね」
粘着質な笑みを浮かべ、勝ち誇るカーザ。脳裏に、親しくしてくれた人々の姿がよぎった。
「あの人達を脅迫したのね! 自分の欲望のために! 彼らは無事なの!」
「無事だとも。ま、一部強情な方々はいたがね」
「私は王位なんて興味がないのに、なんてことを……」
出来れば普通に相談して欲しかった。そうすれば、喜んで継承権を放棄したのに。
しかし、それはこの次兄には通用しないだろう。猜疑心が非常に強いのだ。それで、父も母も苦労していた。
「このような蛮行、お父様がお許しになると思っているの?」
「父上は最近、体調が悪いようでしてね。城から離れて静養しています」
「…………」
野心家だとは思っていた。幼いながらにもわかるくらい、危うい性格なのは理解していた。
しかしまさか、こんなに早く行動に出るとは思わなかった。
「私を……どうするつもり?」
震える声で聞くアンスルに満足げな笑みを浮かべながらカーザが告げる。
「王族があまりに減るのも問題がある。差し当たっては、北にある果ての村へ赴任して頂きましょう」
「…………エリアナ村ですね」
「よくご存知だ。王家の古い遺跡を持つ、歴史ある村。魔法狂いの姫君の思いつきを受け入れた、という筋書きです」
「あの村はほぼ無人だったはずですが?」
以前、資料で見たことがあった。数百年前はそれなりの人口があったが、今では住む者はいない。あの辺りは環境が変化して、暮らしにくくなっている。
「開拓者と共に入植してもらいましょう。なに、行き場の無い者同士、都合が良い」
言外に辺境で朽ち果てろと言われたが、アンスルには返す言葉が思いつかなかった。
「わかりました。そのように致しましょう」
自分の呑気さを呪いながら、アンスルは静かな絶望と共に、その案を受け入れた。
●
「そして、この地で何とか秋を迎え、冬を越す目処が立ちそうになった所で、魔物の襲撃を受けたのです」
追い詰められて、今に至るというわけか。
「カーザ兄様からすれば、私がこの地で事故死でもしてくれれば行幸という算段だったのでしょう。実際、そうなるところでした」
「あの遺跡の地下でヴェル様が目覚めなければ、私達にこれからはありませんでした」
危ない橋を渡り続けていたわけだ。理不尽な運命に巻き込まれて。
「目覚めたヴェルが不調だと教えてくれた時、私は覚悟を決めました。命と引換えにすれば、ゴブリンキングごと消し飛ばすことができると……。皆を守るなら、命を捨てても惜しくないと」
目を閉じ、静かな口調でアンスルが語る。
「でも、ヴェルはやってくれました。貴方の力を見て、考えが変わったのです」
「姫様……」
エミリが少し悲しそうな目で主人を見る。変わった、みたいなことを言っていたな。
「貴方が力を貸してくれるなら、きっと実現できる。カーサ兄様が迂闊に手出しできないくらい、強くなりたい」
それから軽く行きを吸って、はっきりとした口調でアンスルが言う。
「私は、皆と生きていきたい」
それは、一度死を覚悟した少女の、新たな決意だった。
俺は、甘く見ていた。なんとなく、強いロボになったから彼女たちを助けてやろう、くらいの気持ちだった。
でも、それじゃ駄目だ。
生きたい。その気持は、よく分かる。
俺も生きていたかった。家族がいるとか、恋人がいるとか、大層なものがあったわけじゃない。
でも、いくつも思い返すことがある。
見たい映画があった、行きたい場所があった、会いたい友人がいた。
もう、仕事終わりに軽く一杯飲むこともできない。休日に一日中ゲームをすることもできない。気まぐれにその辺の店に入って昼を食べることもできないし、何となくで遠出もできない。
日本で暮らしていたら出来たあれこれは、全て奪われた。
アンスルには、それと同じことが自分の身に起きようとしている。
とても悲しいことだ。
彼女は理不尽な境遇に晒された被害者だ。
同時に、その理不尽に抗う者でもある。
俺が覚悟を決めたのは、この時だったと思う。
軽い気持ちでなく、この子を助けたい。他人の事情で左右されない環境にしてやりたい。
目標があるのは良いことのはずだ。
「インフォ、俺達なら彼女の力になれるか?」
『ご安心を、当機の機能は開拓にも応用可能です』
鮮やかな答えを受けて、俺は笑っていたと思う。ロボだから表情はないけど。
声が出ないので、俺は静かに右手をアンスルに向けて差し出した。
「ありがとう。ヴェル」
静かに微笑む、姫君は優しくその手を握る。
こうして、本当の意味で、俺達の協力関係が始まった。