その夜、蓮麻呂は誰もが寝静まるのを待っていた。廊下を歩く足音が消え、最後の灯火が消されるまで、じっと時を過ごす。
深夜の刻を告げる太鼓の音が響くと、蓮麻呂は静かに立ち上がった。足音を殺しながら庭に出ると、月明かりが彼の研究室を照らしてくれる。
(今夜は大胆に実験してみよう)
昼間の屈辱的な体験が、逆に蓮麻呂の研究意欲を掻き立てていた。兄たちが示した技術レベルを分析し、それを超える術式を開発する。現代科学の知識を総動員すれば、必ず可能なはずだった。
まず、火術の改良から始めた。従来の「炎弾」は、体内の陽の気を火の属性に変換して放出する単純な術式だ。しかし、燃焼の化学反応を理解していれば、もっと効率的な方法がある。
「酸素濃度を高めれば燃焼効率が上がる。空気中の酸素分子を術式で集約して...」
蓮麻呂は手のひらに意識を集中した。まず周囲の酸素を引き寄せ、それを圧縮する。次に、最小限の霊力で着火点を作る。
「炎弾・酸素燃焼式」
放たれた火球は、従来の炎弾とは比較にならない威力を示した。庭の石を溶かし、土を焼き、小さなクレーターを作る。しかも、霊力の消費は通常の半分以下。
「成功だ」
興奮を抑えながら、蓮麻呂は次の実験に移った。今度は水術への挑戦。
水術の基本は水分子の操作だが、現代科学の知識があれば分子レベルでの制御が可能になる。水分子の結合を緩めれば蒸気に、強化すれば氷になる。
「水術・分子制御式」
手のひらから放たれた水流は、空中で自在に形を変えた。液体から蒸気へ、蒸気から氷へ。まるで生き物のように動き回る水に、蓮麻呂は感動していた。
「理論通りだ。分子レベルでの制御ができれば、応用は無限大だ」
続いて土術。地面の鉱物組成を理解し、結晶構造を操作することで強度を調整する。
「土術・結晶制御式」
地面から立ち上がった土の壁は、従来のものとは全く違っていた。まるで金属のような強度と光沢を持ち、どんな攻撃にも耐えられそうだった。
金術は磁力の応用、木術は植物の成長ホルモンの操作――現代科学の知識を次々と術式に応用していく蓮麻呂。その技術は、既にこの世界の常識を遥かに超えていた。
しかし、最も驚くべき成果は式神術で現れた。
(従来の式神は、既製の物体に霊力を込めて動かしているだけ。でも、人工知能の概念を応用すれば...)
蓮麻呂は紙で複雑な立体を作り、そこに独自の術式を刻み込んだ。単純な動作指令ではなく、状況判断のアルゴリズムを魔法的に実装する。
「式神召喚・自律型」
生まれた式神は、これまでとは全く違う動きを見せた。蓮麻呂の指示を待たずに周囲を探索し、状況に応じて最適な行動を選択する。まるで本当に意思を持っているかのような精巧さだった。
「すごい...…人工知能の概念が、この世界では魔法として実現できる」
夢中になって実験を続けていると、東の空が白み始めていた。慌てて術式の痕跡を消去し、何事もなかったような顔で部屋に戻る。
布団に潜り込みながら、蓮麻呂は今夜の成果を反芻していた。
(もう兄上たちの技術は超えている。下手をすれば、陰陽寮の職業陰陽師よりも高いレベルかもしれない)
しかし、この力をどう使うべきかは慎重に考える必要があった。政治的な思惑が複雑に絡み合う都において、実力の早急な開示は危険を招く。
(当分は隠し続けよう。そして、機会が来るまで技術を磨き続ける)
閉じた瞼の裏で、蓮麻呂は新たな術式のアイデアを描いていた。現代科学と古代陰陽術の融合—この世界の誰も想像したことのない可能性が、無限に広がっていた。
小菊が朝食の準備を始める足音が聞こえてくる。新しい一日の始まり。表向きは平凡な三男として、裏では革命的な研究者として。二つの顔を使い分ける生活が、本格的に始まろうとしていた。