カインは腕を組み、壁に掛けられたタペストリーへ目を移す。
「……最初の仕事、ね」
そこに描かれる、ありもしない理想郷の絵を眺めながら、どこか他人事のように私の言葉を繰り返した。
彼は顎へ手をやり、笑みの形に歪んだ口元を誤魔化すように、指でなぞる。
その瞳には、先ほどまでの警戒心に加え、殺伐とした何かが潜む。
「『仕事』という言葉は、本来ならもっと生産的な響きを持つはずなんだがな。あんたの口から出ると、どうにも血の匂いがする」
これまでとは打って変わって、軽快で雑な語り口。
腕を組み、気だるげな立ち姿は、奴隷にしては不遜すぎる。
だが、私は、そんなことを注意する気もない。
「あら、鼻がいいのね。さすがは爪狼族といったところかしら」
軽口で返すと、カインの視線がタペストリーから私へと戻る。
その目が、わずかに細められた。
「なぜ、あんたが獣人の種族名なんて知っている? お前ら人間からすれば、どれも変わらぬ畜生だろ」
彼を相手に綺麗ごとは無用。
私は、獣人という『駒』に対する、公爵令嬢としての考え方をありのまま語る。
「それは無能の発想ね。獣人は種族によって長所と短所が分かれるわ。わたくしは、手元に置く駒の性質を軽視しない」
「おっそろしい女だ」
それだけ言って、カインは鼻を鳴らして笑い飛ばす。
「で、殺しか? 盗みか? それとも、両方?」
カインは淡々とした口調で、物騒な言葉を並べる。
彼のメニュー表には、心温まる商品が並ぶことなどないのだろう。
「場合によっては両方になるわ。まあ、まずはわたくしの話をお聞きなさい」
カインは、やれやれと肩をすくめる。
それから、「さっさと本題に入れ」と言わんばかりに顎で話の続きを促す。
私は、書斎机の引き出しの奥、さらに隠し仕切りの中から、一枚の羊皮紙を取り出す。
そこには私がここ数年、夜な夜な書き溜めてきた、この国の貴族社会の歪な相関図がびっしりと書き込まれている。
誰が誰に金を渡し、誰が誰の弱みを握っているか。
血と欲望で塗り固められた、この国の姿だ。
私は相関図をテーブルに広げると、その端の方、太い線で多くの貴族と繋がっている一人の名前をトンと指先で突く。
「私の最初の標的は、この男。奴隷商ギルド『鉄の首輪』、王都西部支部長――ゲッベルス」
「へぇ、いきなり大物を狙うもんだ」
「彼は、一部の貴族に非合法な奴隷を融通し、莫大な賄賂を得ている。この国の腐敗を象徴する男の1人よ。なんて、こんなことは言われなくても知っていることかしら」
「……そうだな」
カインは、黙って羊皮紙に書かれた名前を指でなぞる。
その指には、心なしか力が込められているように見えた。
クライネルト家の奴隷は、その多くがゲッベルスを経由して購入されている。
カインも、その例に漏れない。
「しかし、非合法な奴隷? そんなもんは初耳だが?」
「この国の中では、本来出会うこともないはずの鳥人種。隣国、ミハエル聖公国で天人として信仰対象になっている希少な獣人よ。国家間で鳥人種の奴隷化は禁止されているの。聖公国に知れたら、間違いなく国際問題になるでしょうね」
「はーん」
自分で聞いておいて、カインは興味無さそうに返した。
「それで?」
それから、彼は反対の手で思案気に顎を撫でると、視線だけで次の話の続きを催促する。
「わたくしたちの目的は、ゲッベルスの屋敷のどこかに保管されているはずの鳥人種の『奴隷譲渡契約書』。不正取引であっても、奴隷を売買するには必ず必要になる。それさえ手に入れれば、父を含め、多くの貴族を一度にまとめて摘発できるわ」
「従属の呪いの血判状か」
「そういうこと。貴方の契約書は、わたくしが持っているわ。けれど、それも写し。原本は、ゲッベルスが持っているでしょうね」
私の言葉に、カインは初めて相関図から顔を上げ、私を真っ直ぐに見据える。
「血判状の原本を餌に俺を働かせるわけだ」
「そう受け取って貰って結構よ。貴方も、自分の身に直接関係する問題であれば、やりがいがあるというものでしょう?」
奴隷と、最初に従属の呪いをかける主人との間には、呪いを発動させるために血の契約が必要になる。
互いの血を契約書に垂らし、その血を持って呪いが発動する。
そして、原本を燃やせば、契約は破棄される――。
「俺は、これからゲッベルスの屋敷に忍び込めば良いわけか?」
カインの声から、先ほどまでの皮肉の色が消え、機械的な冷たさだけが宿った。
「簡単に言うわね。正面から乗り込むのは、自殺行為よ。奴ほどの男なら、屋敷の警備は並の貴族より厳重になっているはずだもの」
「なら、どうする?」
言葉で伝えるよりも先に、私は机の上に置かれていた一通の招待状を、カインの前に滑らせる。
金泥で彩られた、見るからに高級な封筒が彼の手元で止まった。
「これは?」
「数日後、ゲッベルスが自らの屋敷で開く、夜会への招待状よ」
「夜会だと?」
カインが、心底馬鹿げたことを聞いたと言わんばかりに私を見返す。
「あんたが夜会に出席するのは分かる。だが、俺がどうやってそこへ?」
「決まっているでしょう。貴方は、私の護衛として同行するのよ」
彼はニヒルに嗤う。
「正気か? 奴隷が、それも獣人が、ギルド支部長主催の夜会に? 門前払いが関の山だ」
「これが、普通の夜会ならそうね」
カインは興味深げに目を細める。
「奴隷商ギルドの夜会。参加者のステータスは、何で決まると思う?」
「……なるほど。所有する奴隷の質か」
彼の的確な答えに、私は頷く。
ゲッベルスの夜会では、権威を示すための見せ札として優秀な奴隷を同行させるのが通例。
カインの2メートルに迫る巨躯と、引き締まった肉体。
それらは、奴隷として非常に高品質であることをわかりやすく提示している。
「話はわかった。だが、1つ聞かせろ」
「なにかしら?」
獣人の鋭く開かれた瞳孔が、私の一挙手一投足まで捉えている。
嘘を見抜き、心の奥底、私の真意まで見通すように。
「あんたは、不正売買の罪を暴いて、どうするつもりだ? 父親から、公爵の座でも奪うのか?」
彼の問いは、この世界の貴族の常識に基づいた、極めて妥当な推測だ。
「わたくしの目的を果たすためには、いつかは自ずとそうなるでしょうね。けれど、わたくしの本来の目的は、そんな小さな椅子取りゲームではないわ」
「なら、何が本当の目的なんだ?」
「それは……あなたがこの仕事で、わたくしの信頼に足る力を証明した時に、教えてあげる」
私は、彼の問いを、はぐらかすように微笑んだ。
カインは、しばらく黙って私を見つめていた。
その分析的な瞳が、私の言葉の裏にある真実と嘘を、値踏みしている。
「……いいだろう。だが、協力するにあたって、1つ要求がある」
「言ってみなさい」
この話を持ち掛けた時から、予想していたことだ。
(おそらく、カインの要求は、自身の契約書の原本)
だが、そんな私の予想はあっさりと外れる。
「ゲッベルスの屋敷にある、全ての商品。奴隷たちの『売買記録』をいただく。過去数年分、全てだ」
「……売買記録? 貴方の契約書の原本ではなく?」
「ああ、そうだな。可能なら、俺の契約書を破棄できれば尚良しだ。だがそれ以上に、……俺は、ある獣人の行方を探している。そいつを見つけ出すために、流通ルートを特定できる記録が、どうしても必要なんだよ」
カインの黒曜石の瞳が、初めて感情の揺らぎを見せた。
それは、長年追い求めてきた何かへの、抑えきれない渇望の色だった。
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