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早朝。二人用のベッドに、ただ一人。林田彰人(はやしだ あきと)は目を覚ました。
無意識に隣の枕へ手を伸ばす。だが、指先に触れるのは冷えた空気と、虚ろな感触だけだった。
いつもそうだ。
彼にとってすべては夢の続きであり、枕元の人がまだ隣にいるのではないかと、つい幻想を抱いてしまう。
彰人はしばらく天井を呆然と見つめ、ゆっくりと心を鎮めてから、ベッドを離れた。
愛しい人は去った。それでも、新しい一日は、何事もなかったかのように始まってゆく。
洗顔に、髭剃り。着替えて、身だしなみを整える。その一つひとつは、変わることのない習慣だった。
部屋を出て隣に目をやると、娘の部屋のドアには「ノックしてね」と書かれた紙。それもまた、変わらないままだった。
冷蔵庫から用意しておいた即席の朝食を取り出し、温めて簡単に胃へと流し込む。おそらくまだ眠っているであろう娘のために一人分を残し、彰人は黙って家を後にした。
芳亭市の朝のラッシュはひどい。車では一歩も進めないほどだ。だから彰人は、めったに車を使わず、人々が押し合う電車へと身を委ねていた。
混雑してはいるが速い。そして何より、会社に時間通り到着できることを保証してくれる。
家から最寄り駅まで歩き、約三分ほど待つと電車がやってきた。彰人は人々に押されるまま車内に押し込まれ、窓際近くの空いたつり革を見つけると、嵐の海で浮き板を掴むように、しっかりと握った。
うつむき、携帯を開く。会社のグループチャットには、朝早くから仕事を振り回す上司の姿。思わず、ため息が零れた。
退屈そうにグループチャットの雑談から、わずかな有用情報を探す。今日の面倒な仕事をどう処理しようかと考えているうちに、彰人のやる気はますます失われた。そこで思い切って携帯を閉じ、頭を空っぽにする。混雑した電車の中での、ほんのわずかな息抜きを楽しむために。
しばらくして、車内に突然、悲鳴が響いた。
最初の叫び声が響くや否や、周囲から次々と驚きの声が湧き上がった。
その声のする方へ視線を向け、人々の目の流れを追う。車外に目をやった彰人は、すぐに焦点を捉え、皆が叫ぶ理由を理解した。
――遠くの高層ビルに、肉の塊のような巨大な怪物がぶら下がっていた。牙をむき出しにし、その姿は尋常ならぬ恐ろしさを放っていた。
残獣――それが、人々の呼ぶ名だった。
しばしば人間の都市に突然現れ、対象を問わず、目的もなく破壊と殺戮を繰り返す。今日までその正体は不明であり、社会の安全にとって、計り知れない脅威となっている。
物理的な攻撃では傷つけることができず、どんな高威力の熱兵器も有効な打撃を与えられない。そのため、対策を考える者たちは頭を抱え続けている。
ただし、ここ数年の芳亭市では、残獣の襲撃はさほど頻繁ではなかった。
時間が経つにつれ、常識的な知識は霧の中の花のようにぼんやりと曖昧になっていった。人々は平穏な日常の中で、残獣の突然の襲撃がない日々に、徐々に慣れつつあった。
だからこそ、こうした突発的な事態に直面し、今こうしてパニックに陥るのも無理はない。
この否定的な感情のざわめきは長くは続かず、強引に遮られた。
なぜなら、一筋の青い虹の光が空を裂き、ビルの間にいる残獣に直撃したからだ。
その光の挑発に応えるかのように、球形の怪物は恐ろしい口を大きく開き、轟く咆哮を響かせた。
その後、電車が徐々に遠ざかるにつれ、後ろで起こる出来事は次第に視界から消えていった。
車内には、恐怖に震える人、呪いの言葉を繰り返す人、そして歓声を上げる人が混在していた。
なぜなら、あの青い虹の光を認識したのは彼らだけだった。他の何者でもない、間違いなく――魔法少女だったのだ。
魔法少女の出現は、まるで残獣に立ち向かうためだけに生まれてきたかのようだった。
いつ、誰が最初にそれを「魔法少女」と呼んだのかは、もはや詳らかではない。この呼称が自然発生したものなのか、それとも子供向けアニメから借りられたのかも分からない。ともかく、魔法少女は「残獣を排除する存在」の代名詞となった。
陰謀や詐欺だと見る者もいれば、現代のヒーローとして称える者もいる。だが、いずれにせよ人々は魔法少女の存在を無視できず、意識せざるを得ない。
彰人もまた、その一人だった。
「見たことのない色だな……新しい魔法少女か。やはり現れるものなんだな」
言葉には特別な感情はなく、むしろ無感情とさえ言える。しかし、しかめっ面だけが、彼の心が決して平静ではないことを物語っていた。
彼は、この日がいつか訪れることを、以前から知っていた。
ただ、残獣と魔法少女の存在は、結局のところ普通の人々の生活からは遠く離れたものだった。偶然に巻き込まれない限り、両者は永遠に平行線をたどり、交わることはない。
今の彼にとって、これらのことを気にかけ続ける理由は、もはやなかった。
電車は轟音を響かせながら、勢いよく走り続けた。
人の波に押されるように駅を出て、車と人の混雑の間をすり抜け、ようやく会社のあるオフィスビルにたどり着く。彰人はそのまま、一日の仕事を始めた。
彼の勤める企業は「高昇」というエレベーター会社で、主に商業用エレベーターの製造・販売を手掛けていた。彰人の職位は、アフターサービス部門の係長である。
そのため、毎日欠かさず顧客とやり取りを行い、少し大きな案件で何か問題が起きれば、必ず彼のもとに戻ってくる。細々とした雑事が常に彼の頭を悩ませていた。
真面目に報告会議をこなし、嫌な顔ひとつせず業務連絡を済ませる。なんとか気力を振り絞り、タスクの流れをひとつずつ終わらせ、ぼんやりとしながらも文書の整理まで終えた。
夜の七時近く、食事会の誘いを丁重に断った彰人は、会社を出る。すでに暗くなった空を見上げ、黙々と帰路についた。
黄色い街灯の光が街路に注ぐが、それでも彼の顔は照らされない。高層ビルの影の間を歩きながら、彰人は茫然とした表情を浮かべていた。
彼は、ここ最近の生活がどこか退屈に感じられていた。
固定化された会社での仕事は、次第に彼にとって厭わしいものになりつつあった。
長年変わらない人間関係は、彼の視野をますます狭めていた。
凍りつきかけた家族関係――子どもとどう接すればいいのか、彼には分からなかった。
そして、壮年とはいえ活力は徐々に失われ、小さな不調が頻発する体。肩や首の痛みは、耐え難いほどだった。
さらに思いを巡らせると、すべての転換点はあの雨の中の葬儀にあったように思えた。濡れた墓石の前で途方に暮れ、耳元には娘の沈んだ泣き声が響く――その時、彼が信じていたすべての美しいものは、まるで雨に洗い流されたかのように消え去り、残ったのは息苦しい抑圧だけだった。妻を亡くして以来、彼の生活には、いわゆる「美しさ」というものが存在しなかったのかもしれない。
道路の車のクラクションが突然鳴り響き、彰人は自分の内なる世界から現実へと引き戻された。
彼は、過去に浸りすぎていたのだろうか。
気にかかることは少なくなく、問題は多すぎて、その中から原因を突き止めることはできなかった。
ゆっくりと駅へ向かって歩いていると、突然の電話が彼の思考を遮った。
携帯を取り出し、着信表示の名前を見た彰人は、わずかに躊躇した後、ついに指を受話ボタンへと動かした。
電話に出ると、呼び出し音の後、通話の向こう側から女性の声が聞こえてきた。
「仕事、終わった?今夜、一緒に食事でもどう?」