少女はこてん、と首を傾げ、一瞬だけ不思議そうな顔をした。
その直後、ぱっと自分のささやかな胸元を両手で覆い、ちょこちょこと、慌てて二、三歩後ずさった。
その様子に、透は思わず眉間に皺を寄せる。「何考えてんだよ。服を買いに行ってやるって言ってるんだ。あんたに合うサイズの服なんて、うちにはないだろ。何、まさかその穴だらけのワンピースでずっといるつもりか?」
逃避行のせいで、白いワンピースはもはや黒いワンピースだ。
透はさらに言葉を続ける。「それに、自分の今の姿見てみろよ。薄汚れてて、ガリガリで、見た感じ私より身長10センチは低いだろ。おまけに、胸だって私より小さいじゃないか。そんなあんたに、私が何か企むとでも?」
「わ、私は……」
綾辻依は何か言いかけたが、やめた。透の、呆れを帯びた澄んだ瞳に見つめられ、ぷうっと頬を膨らませると、ぷいっと横を向いて現実逃避を始める。
地面にしゃがみ込んで、指で丸を描いている。誰を呪っているのやら。
だが、すぐにくるりと向き直った。「……私がいつも着てる服のサイズは」
恥ずかしいのか、綾辻依の声はとても小さい。透は耳をそばまで寄せ、ようやく彼女の服のサイズを聞き取ることができた。
想像してたより、ちょっと、あるな……?
透はスマホを取り出した。ちょうど、銀行口座からショートメッセージが届いている。『お客様の口座(****114514)へ、6000円のお振込みがございました』。
システムからのミッション報酬は、どうやら本物らしい。
透は再び尋ねた。「で、どうする?先にシャワー浴びるか、それとも私が帰ってくるのを待つか」
「わ、私……待ってる」
綾辻依はソファに目をやった。そこに座りたそうにしたが、何かを思い出したのか、自分の汚れたワンピースを見下ろし、結局、隅にあった硬い木の椅子を小走りで持ってきた。
そして行儀よく腰を下ろし、リビングの隅に置かれた観葉植物を眺めて、ぼーっとしている。
ソファを汚すのが嫌だったのだろうか。
透は思わず、やれやれとため息をついた。これなら、自分が留守にしている間に彼女が逃げ出す心配はなさそうだ。
だが、今の透にとって、それ以上に気がかりなのは、現実世界での自分の体だ!
体力+1!
体の回復!
完治の可能性!
透は綾辻依に「知らない人が来てもドアを開けるなよ」と念を押し、手を洗うと、慌ただしく家を飛び出した。
ドアを閉めた直後、すぐに心の中で叫んだ。「システム、ゲーム終了!」
【ゲームを終了しますか?】
「はい!」
ぐらり、と世界が揺れた。頭がくらくらする。体が入れ替わる瞬間の、あの突然襲ってくる無力感に息が詰まる。はあはあと何度も激しく息を吸い込んだ後、顔を上げ、壁の時計を見つめた。
18:47。
夕日が空の端を赤く染めている。現実世界で過ぎた時間は、ゲーム内での経過時間と全く同じだ。
「そうだ、俺の体!」
透はソファに手をついて身を起こし、急いで自分の体に触れた。
そして、何かがおかしいことに気づく。
おかしいだろ。体力+1の報酬はどうしたんだよ。なんで十数発はブッ放した後みたいに、ぐったりしてて立つのもやっとなんだ?
「もしかして、この報酬ってのは、時間をかけて徐々に俺の体を強化していくタイプなのか?」
透は再びソファを支えに立ち上がり、松葉杖を取ろうと手を伸ばした。が、足がもつれ、危うく顔面から床にダイブするところだった。
いや、違う。確かにほんの少しだけ、体力は増している気がする。以前の自分なら、松葉杖なしで立ち上がることすらできなかったはずだ。
「でも、ゲームのミッションはクリアしたんだよな?」
だとしたら、このゲーム、俺をハメやがったのか!
透はゲームを開き、右上にある日記帳のアイコンをタップした。ポップアップしたミッション欄には、「ミッションは完了しました。報酬は配布済みです」とはっきりと書かれている。
「じゃあ、なんで……」
透は自分のキャラクターアイコンをタップした。
すると、データウィンドウがポップアップする。
【名前:樋口透】
【性別:女】
【年齢:19】
【身長:166cm;体重:46kg】
【バスト:C-】
【体力:4→5(上限10)】
【現在地:買い物中】
【身体を切り替えますか:はい/いいえ】
身体を切り替えるって、なんだそりゃ?
透は【はい】をタップした。
途端に、体中から白い光が溢れ出すような感覚に襲われ、透は股間がひやりとするのを感じた。その直後、体がこれまでとは違う軽やかさを取り戻す。
ぶかぶかのTシャツが不自然にずり落ち、片方の袖が腕に引っかかっている。そこから覗くのは、男の肌とは違う、白く滑らかな肩。視線を下ろせば、確かな存在感を主張する上乳。
だが、問題はそこじゃない。
問題は、彼がはっきりと感じていることだ。ぶかぶかのスウェットパンツが、もはや自分の腰に留まっていてくれないのを。
じりじりと、下に滑り落ちていく。
慌てて手を伸ばして引き上げようとした瞬間、その動きに引っぱられ、ズボンはまるで誰かにずり下ろされたみたいに、スッと音を立てて床に落ちた。
次の瞬間、その細い腰では、赤いトランクスを留めておくこともできず、するりと滑らかな太ももを伝って落ちていった。
胸はずっしりと重く、股間はひんやりと涼しい。けれど、もう「タマタマ」の憂鬱はどこにもなかった。
どうやら、ゲームへの転移よりも、よっぽどとんでもないことが起こってしまったらしい。
透は、完全に思考が停止した。
彼女は慌てて身をかがめ、ずり落ちた大きなパンツを引き上げる。その瞬間、ちらりと視界に入った。
かつての「相棒」が、
可憐な「妹」になっていた。
しかも!
今度ははっきりと感じられる。今のこの体も同じように衰弱してはいるが、さっきまでの男性の体と比べれば、確実に回復している。
まさか、チュートリアルミッションの「現実世界の体力+1」という報酬は、こっちの体に反映されてるってことか?
彼……いや、彼女は、ズボンを提げたまま、再びうつむき、その瞳に恐怖の色を浮かべた。
上から見下ろす視界は、なかなかに波乱万丈で、かろうじてつま先が見える程度だ。
「……柔らかい。触覚も、はっきりしてる」
って、そうじゃなくて――
待って待って待って!
「はは、きっと俺はまだゲームの中から出てないんだ」
だよな、自分で自分をビビらせてどうするよ~。
「システム、ゲーム終了!」
彼女は馬鹿みたいに何度も叫んだが、今度は目の前に仮想スクリーンは現れなかった。
透は本当は分かっている。ゲームの中の彼女は、さっき服を買いに出かけた。そして今、目が覚めた自分はソファの上にいる。
「なんで現実世界で、女性の体をオプションで追加されてんだよ!しかもゲームの報酬、全部こっちの体に上乗せされてるし!」
どう考えてもおかしいだろ。なんで現実でまで女なんだ。せめて男の体なら、まだ受け入れられたものを。
透が顔を上げると、ふと、あることを思い出した。
ゲーム開始時、システムはキャラクターの性別を選ぶように促してきた。
そして、彼女の選択は……女。
「あの性別選択って、カノジョのじゃなくて、俺自身の性別を選んでたってことか!?」
彼女はソファに落ちていたスマホをひったくり、『七日間のカノジョ』を起動する。
ゲームの中に転移している時とは違う。
ここから見えるのは、ただのゲーム画面だ。
リビングでは、綾辻依が相変わらずあの小さな椅子に座り、観葉植物に向き合っている。時折、落ち着かない様子で周りを見回していた。
それとは別に、画面の隅には、ワインレッドのポニーテールの、二次元美少女のアバターアイコンが表示され、『待機中』の文字が浮かんでいる。
どうやら、透がログアウトする直前の行動に従い、ずっとその場で動かずに待っていたらしい。
自分がゲームの中にいない間、キャラクターは放置状態になるのか?
「……ちょっと、面白いじゃん」
「いやいや、問題はそこじゃない。俺は女の子になっちまって、もう元には戻れないのか?」
幸い、透はデータ画面で、こんな一文を見つけた。
【身体切り替え中。残り時間:2:56:23】
一日三時間だけ、女の子になれるってことか?
透の心境がどれほど複雑であろうと、この事実を受け入れるしかなかった。
このゲームは一筋縄ではいかない。だが、このゲームを使えば、自分は第二の人生を生きることができるかもしれない!
あの体力+1の報酬も、おそらく0.1だけが男性の体に、残りの0.9はすべて、この新たに追加された女性の体に加算されているのだろう。
この先、自分に影響を与える他のミッションが出てこない限りは。
女の子になることについては……。
龍だったはずの俺が、鳳凰として生まれ変わっちまった、ってか。
哀れ、我が息子よ。ついぞ実戦を経験することなく、散ってしまったか。