夜の街の向こうでネオンが光っていた。
斐閣――
A市の最高級プライベートクラブから、徹は片手をポケットに入れ、もう一方の手で書類の入った封筒をぶら下げながら歩き出した。
黒いシャツの襟は無造作に開かれ、全身から気ままな雰囲気が漂っていた。
まさに典型的なボンボンだった。
車の前で待っていた愛子はすぐに迎えに行った。
「社長」
彼女は七年、長谷川に仕えてきた。その表情を見ただけで、今夜の商談がうまくいったことを察した。
徹は書類の入った封筒を無造作に彼女に投げた。
中には、華西製薬の株式25%分が入っていた。
「今日から華西製薬は、俺の姓――『長谷川』を名乗ることになる」彼は唇の端をゆがめ、いつもの怠惰な口調ながらも、骨の髄まで傲慢さを隠せない様子で言った。「俺の――『長谷川』だ」
愛子は言った。「明日、長谷川家の長男がこのニュースを知ったら、さぞ激怒するでしょうね。半年近く狙っていた華西製薬を手に入れられなかったのですから……。でも社長、普段は国内の医薬業界には手を出さないはずですよね?どうして突然、華西製薬に興味を持たれたんですか?」
徹は彼女をじっと見つめると、上位者としての威圧感が一気に押し寄せた。
愛子は背筋が凍り、すぐに頭を下げた。「申し訳ありません、余計なことをしてしまいました」
彼女は早足で徹のために後部座席のドアを開けたあと、別のことを思い出した。
「社長、病院の方は手配済みです。松本さんの病室がある階の監視カメラとエレベーターはすべて停止済みですので、そのまま行かれても問題ありません」
徹はここ数年、海外に定住しており、帰国するたびに控えめに数日だけ滞在し、用事を済ませるとすぐに去っていた。
しかし変わらないのは、徹が帰国するたびにA市を訪れ、ある病院で一人の女性に会いに行くことだった。
正確に言えば、その女性は植物状態だった。
愛子はかつて、好奇心を抑えきれずに勇気を出して徹に尋ねた。「社長、この松本さんとは一体、何者なのですか?」
当時、徹は書類を見たまま目を上げず、軽く「バカな女だ」と答えた。
愛子は言いたかった。「バカな女なのに、なぜ毎年わざわざ帰国して、遠回りしてまでA市に来て彼女に会いに行くのですか?」
しかし、彼女にはそれを言う勇気がなかった。
だが今日、徹はいつもと違って断った。
「もう行く必要はない」
愛子は少し驚いたが、それ以上は尋ねなかった。「かしこまりました。では、直接ホテルにお送りします」
徹は何も言わず、車に身を沈め、目を閉じて少し後ろに頭を傾けた。眉間には疲れの色が浮かんでいた。
車は前に滑るように進んだ。
半分下ろした窓から街灯の光が差し込み、男の立体的な顔のシルエットを明滅させた。
「愛子」――徹は突然、低い声で口を開いた。「梧桐苑を掃除させろ。明日の夜から、そこに住む」
愛子は驚きと喜びを隠せなかった。「社長!ついに残ることをお決めになったのですね!」
徹はまぶたを上げ、窓の外を一瞥した。
黄色く薄暗い街灯は、七年前の空港の夕日にそっくりだった。
「詩織……七年か」
……
詩織はベッドに横たわり、ドアの外から近づく健人の足音を聞いていた。
病院で寝たきりの五年間、彼女はこの足音を何度も聞いてきた。
最初は期待していたが、やがて残ったのは苦痛と憎悪だけだった……
「カチャッ」――ドアが開く瞬間、詩織の憎しみに満ちた顔は、一瞬で優しさを湛えた。
「健人、仕事終わったの?」
「ああ」健人は平然と答えた。
彼はベッドのそばに歩み寄り、優しく彼女の頬を撫でた。「まだ寝てなかったのか? 起こしてしまったかな?」
詩織は、彼の白いシャツの襟に付いた鮮やかな口紅の跡を見た。彼女は、美咲との熱烈なキスを終えた後、彼が胸に寄せた彼女を子猫のように甘えさせる様子を想像した。
「さあ、目を閉じて休もう」健人は彼女を優しくあやしながら、おやすみのキスをするために身を屈めた。
詩織は、彼の体から漂う美咲の香水の匂いを嗅いだ。
彼は、たった今別の女性にキスした口で、彼女にキスしようとしている!
「オエッ……」詩織は生理的な吐き気を抑えられず、健人を突き飛ばしてむせ返った。
「どうしたの、詩織?」健人はひどく心配そうに言った。「すぐに唐沢先生に電話するよ!」
その心配そうな表情は、まるで完璧な夫そのものだった……
ただし、これは彼女が本当に目が見えず、彼の表情に一瞬よぎる冷たさや嫌悪を感じ取れなければの話だが。
彼女は健人の演技力に、ただ感心するしかなかった。
「いいわ、健人」詩織は落ち着くと、手探りで健人の服の裾を掴み、軽く引っ張った。「ちょっと胃の調子が悪くなっただけよ。おそらくお腹が空いているのね」
健人は、詩織が自分の服の裾を握る手を見て、そのよく知った仕草に一瞬我を忘れた。
記憶の中で、以前の詩織はよくこうしていた。
彼の足が速く、彼女が追いかけて疲れると、甘えるように彼の服の裾を軽く引っ張ったのだった。
「健人、待ってよ……」
健人は記憶に浸り、珍しく心からの笑みを浮かべた。
彼は優しい声で言った。「何か温かいものを作ってあげようか?」
詩織はまさにこの言葉を待っていた。
彼女は柔らかく微笑み、甘えるような口調で言った。「あなたが作ってくれたうどんが食べたいな」
彼は以前、彼女のために二回作ったことがあった。
「わかった」
健人は承諾し、静かに寝室を出て行った。
彼の足音が遠ざかると、詩織はすぐにベッドの反対側のナイトテーブルへ這い寄り、健人が入ってきたときに何気なく置いたスマホを手に取った。
六桁のパスワード。
詩織は、健人のパスワードが彼の雲天グループ取締役就任日だと、以前から覚えていた。
しかし、彼女がそれを入力しても違っていた。
――パスワードを変えたの?
詩織は無意識に指を噛み、しばらく考えた後、二人の子供の誕生日を入力した。
――それも違った。
その時、画面の上部にLINEのメッセージが表示された。
美咲:【社長、今夜は私の人生で一番楽しい誕生日になりました。二人の子どもたちと一緒に祝ってくれて、ありがとう】
その後にハートマークが続いていた。
――だから今夜、美咲と二人の子どもたちが病院の下で彼を待っていたのか。
病院に来る前、彼は彼女の二人の子どもたちを連れて、美咲の誕生日を祝っていたのだ!
詩織はぎゅっと目を閉じた。胸が冷たく締め付けられる感覚に、自分の情けなさを痛感した。
健人との付き合いの中で、彼は一度も自分から彼女の誕生日を祝ってくれたことはなかった。唯一の例外は、彼女が厚かましくも山口家の家長に頼み込み、やっとのことで手に入れた一度きりだった!
彼女が健人から得られなかった付き添いを、別の女があっさり手に入れていた……
詩織はその六桁のパスワードをじっと見つめ、頭の中である推測が浮かんだ。
――もしかして……
彼女は躊躇いながら、美咲の誕生日を入力した。
次の瞬間、ロック画面が開いた!
詩織は呆然とし、苦い笑みを浮かべて自己嫌悪をかみしめた。
「健人……あなた、本当に彼女に心を尽くしているのね……」
彼女が健人のLINEを開くと、画面のトップに美咲が表示されていた。
そして、正式な妻である彼女は、もはや彼のチャットリストにすら存在しなかった!
五年間――この五年の間、健人は定期的に病院に彼女を見舞い、世間には良い夫を演じていた。だが実際には、彼はとっくに彼女を死んだものとして扱っていたのだ!
詩織の胸に冷たいものが広がった。彼女は連絡先の中から、自分の名前を見つけた。
予想どおり、健人が彼女に登録していた名前は、本名の【松本詩織】だった。
詩織が彼と美咲のチャットを開くと、美咲がちょうど数枚の写真を送ってきていた。
今夜の食事のときに撮った、二人一緒の写真だった。
どの写真でも、美咲は明るく笑っていた。
彼女は誕生日の冠をかぶり、清美と辰樹を抱きながら笑顔でカメラを見つめていた。その後ろには健人が立っていた。
誰が見ても「幸せな」四人家族。よく似合う、クズカップルじゃない!
詩織はさらに前のメッセージを遡ったが、他には何も残っていなかった。
健人は常に慎重で、人前では証拠を残さなかった。彼と美咲の過去のチャット履歴は、すべて消去されていた。
詩織は、美咲が送ってきたこれらの写真を自分に転送した。
まるで美咲自身が、彼女の目の前に突きつけた証拠のようだった。
その後、詩織はすべての痕跡を消し、美咲のメッセージを未読に戻した。
すべてを終えると、彼女は健人のスマホを元の場所に戻した。
詩織は再び横になり、目の端で壁の隅に捨てられた結婚写真をとらえ、しばし立ち止まった。
写真の中の彼女の顔は布で隠れていたが、詩織には、自分がどれほど甘く笑っていたかがわかっていた。
写真の中の健人は、口元では笑っていたものの、目には明らかに冷たさしか宿っていなかった。
彼は、彼女を愛してはいなかった。
むしろ、彼は実際に一度も彼女を愛したことがなかった。彼の彼女への感情は、最初から最後まで、ただ利用するだけだった。
詩織は手を上げ、目尻に滲んだ涙をそっと拭った。
「健人……」彼女は微笑み、まるで解放されたかのように言った。「私は、ついにあなたを愛さなくなったわ」