บท 2: 薬王谷
บรรณาธิการ: Pactera-novel
「姉さん、私が悪かったのです……もう二度と同じことはいたしません。どうか命だけはお助けください。これからは一生、忠誠を尽くしてお仕えします！」
雨柔は侍女や老女たちに囲まれ、守られるようにして立っていた。その頬には、まるで映雪が許されぬ罪を犯したかのように見せつける、二筋の涙の跡がくっきりと残っていた。
だが雨柔の心の中では、怒りに歯ぎしりする音が響いていた。いつもなら自分の言いなりで、どんな濡れ衣を着せられても反論すらしなかった映雪が――今日に限って、なぜあんなにも強気なのか？
よりによって――父上の目の前で、自分を水に突き落とすなんて！
考えれば考えるほど怒りが込み上げ、しかしその感情を巧みに抑え込んで、雨柔はますます弱々しく見せかけた。涙をこぼしながら、定恆の前で震える声を絞り出す。「お父様、どうか姉さんを責めないでください……姉さんは、ただお父様に見てほしかっただけなんです。一緒に過ごしたかっただけなんです。お父様と姉さんの親子の情を邪魔してしまったのは、私のせい……。だから、姉さんの怒りが収まるまで、私は――もうお父様にはお会いしません！」
「雨柔、何をそんな馬鹿なことを言うんだ！お前を大切に思わない日など、一日たりともなかったというのに……！」定恆は雨柔の手をしっかりと握りしめ、そのまま映雪に怒号を浴びせた。「映雪！すぐに妹に謝れ！それができぬというなら――湖へ飛び込み、一刻のあいだ沈んでいろ！さもなくば、この父が自らお前の足の骨を折ってやる！」
映雪は幼くして母を亡くした。祖父の深い愛情に包まれて育ったものの、彼女が本当に求めていたのは――父・定恆の愛だった。そのため、どんな理不尽な命令にも逆らったことはない。雪の降る日、半日ものあいだ庭先で正座を命じられても、彼女はただ黙って耐え、微動だにしなかった。
だが今の映雪は、静かに唇を歪めて笑った。「お父様――あなたは是非の区別もつかず、身分の尊卑すら理解していない。名もなく、血筋も怪しい野種のために、正嫡の娘である私を罰するなんて……お爺様があなたを重用なさらないのも、無理はありませんわ」
「……今、何と言った？」定恆の顔がみるみる青ざめ、怒りに歪んだ。いつもは従順に頭を垂れていた娘が反抗するだけでなく、大勢の前で――自分が父から認められていないという屈辱の事実を突きつけたのだ。それは、彼の頬を二度、激しく打ち据えたも同然だった。
彼は棒を手に取り、再び映雪を打ち据えようとした。
映雪は背筋をすっと伸ばし、冷ややかに言い放った。「お父様――耳が遠くなられたのですか？またその “私生児” のために私を打つおつもりなら、ご自由に。でも噂が広まれば、世間の人々はきっと、私よりも百倍は酷い言葉であなたを笑うでしょうね」
「お前は……っ」定恆の手が震え、握った棒が小さく軋んだ。
映雪は振り返り、雨柔と目を合わせた。彼女の美貌は高貴で冷たい気品を放っている。「雨柔、よく覚えておきなさい。次に私を冤罪で水に突き落としたなどと言うなら、そのまま溺れさせてやるわ」
雨柔は目に涙をため、困惑と狼狽の色を浮かべた。
「なんという不届きなことを言うのだ！雨柔は――お前の妹だぞ！」
定恆は心配そうに雨柔の前へと立ちふさがり、彼女を庇うように腕を広げた。その目に映る映雪への視線には、嫌悪と怒りが入り混じり、もはや父の情のかけらもなかった。
映雪は唇の端を冷たく歪め、嘲るように笑った。そしてためらいもなく雨柔の手を掴み、そのまま勢いよく湖へと突き飛ばした。
騒然とした声があがり、周囲は一気に混乱に包まれた。人々は我先にと湖へ駆け寄り、雨柔を救い上げることに必死になった。
映雪が去った後、ようやくその場の誰もが気づいた。――お嬢様は、もう以前のあの映雪ではない。その変貌ぶりに、皆の胸に警鐘が鳴り響いた。
映雪は芷蘭を伴い、自邸へと戻った。
芷蘭は歯を食いしばり、痛みに耐えながら身体を支えた。「お嬢様……どうかお部屋でお休みください。私がすぐにお医者さまをお呼びします」
映雪は芷蘭の手をそっと撫でながら、穏やかに言った。「いい子ね。あなたは戻って休んでいて。薬は――私が自分で取りに行くわ」
映雪の母・淑離（しゅくり）郡主は、大晟王朝随一の女医だった。彼女は映雪を産んですぐにこの世を去ったが、その才能は娘に受け継がれていた。映雪は幼いころから薬理に通じ、医書を少し読むだけで、多年修行を積んだ医師よりも早く要点を悟った。外傷の治療薬を調合するなど、彼女にとっては造作もないことだった。
だが今回、彼女が取りに行こうとしているのは――ただの薬ではなかった。祖父が命よりも大切に守ってきた、あの千年人参だったのだ。
祖父は千年人参を薬房の奥の隠し場所に保管しており、その在処を知るのは本来、映雪ただ一人だった。しかし前世の彼女は、父の機嫌を取ろうとその秘密を漏らしてしまったのだ。その結果、雨柔がほんの少し水に落ちただけで、父を通じて――あの貴重な千年人参は奪われてしまった。
今回は先手を打つ。あの者たちに――もう二度と、利益を得る隙など与えはしない。
だが、箱の蓋を開けたその瞬間――。眩い金色の光が目の前で弾け、次の刹那、映雪の身体はふっと浮き上がるようにして、見知らぬ場所へと引き込まれていった。
緑の草原が広がり、薬草の香りが漂い、遠くから滝の音が聞こえた。
「た、食べないで！薬王谷の薬草を全部あげるから、お願い、私を食べないでぇ……！」
「あなた……誰なの？」
頭の中に子どもの泣き声が響き渡り、映雪はあまりの騒がしさに思わずこめかみを押さえた。
「私は何千何万年も生きた霊参だよ……油断して人間に採られちゃったの。でも死にたくないの！私を食べないで、代わりにこの薬王谷のすべてをあなたにあげる！」その声は三歳の子どものように幼く、聞いているだけで哀れさが胸に迫った。
映雪は目の前の光景を不思議そうに見渡した。見たこともない場所――薬草畑一面に、百年に一度出会えるかどうかというほどの珍しい薬草が、整然と並んで咲き誇っていた。
映雪は畑の中に止血草を見つけ、思わず目を輝かせた。「こんなにたくさん……！信じられない！」
前世、彼女が打たれて傷だらけになったとき――兄の蘇灏（そ こう）が、一株の止血草を贈ってくれた。当時の映雪は、彼が小さくてケチだと思い、「たった一株だけ？」と不満を漏らしたものだ。だが後になって知った。その止血草こそ、傷を瞬く間に癒し、筋骨を強める極めて貴重な薬草であり、外の世界では一株に数千両の銀貨が払われるほどの代物だったのだ。
兄はかつて重傷を負っていたが、軍営から与えられたそのたった一株の止血草で奇跡的に回復し、本来なら次の軍の武芸大会に出場できるはずだった。
しかし兄は自分では使わず、その貴重な薬草を映雪に譲ってくれたのだ。それなのに彼女は、その思いも知らずに癇癪を起こし――投げ捨ててしまった。
今になって思えば――なんと愚かだったことか！
さらに辺りを見渡すと、藏紅花や蘭草など、他では滅多に見られない貴重な薬草が至るところに群生していた。まさに――医者にとっての楽園そのものだった。
「薬房にはね、獣の角や霊草もいっぱいあるんだよ！見に行ってみて！」小さな人参の声が、楽しげに映雪を誘った。
谷の奥には、まるで仙人の住処のように洗練された薬房が建っていた。そこには貴重な薬材から精巧な器具まで、すべてが揃っている。そして何より驚くべきは――この谷の水すべてに、濃い薬気が満ちていたことだった。
映雪は木の葉に残った露をそっとすくい、数滴口に含んだ。すると喉の渇きがすぐに癒えただけでなく、体内の血脈が一気に流れ始め、定恆に打たれた痛みが瞬く間に消えていった。
「ねえ、人参――ここはあなたの領域なの？」
「うーん……たぶんそう！約束だよ、私を蒸したり炒めたり煮たり揚げたり煮込んだりしないなら――この場所、ぜんぶあなたのものにしていいよ！」小さな人参は、実に気前よく言い放った。
声しか聞こえなかったが、映雪は直感した――これは、どう考えてもお得な取引だ。
映雪が瞬きをした次の瞬間、気づけばもう薬房の中に戻っていた。箱の中は空っぽになっていたが、小さな人参の声が脳内に響く。「安心して、私はもうあなたの体の中に入ったから逃げられないよ。何か必要なときは呼んでね……それじゃ、まずは美容の眠りを少し――すぅ……」
映雪は長く息を吐いた。――ようやく理解した。前世で雨柔があの人参を食べてから “神医” と呼ばれ、皆に崇められ、力を増していった理由を。
そういうことだったのか！
今世こそ――この好機を、絶対に自分の手で掴み取ってみせる！
映雪は薬王谷から止血草を数株採り、すぐに止血膏を調合して自らの傷口に塗った。たちまち薬が効きはじめ、痛みが引いていくのを感じる。続いて芷蘭を呼び、同じ薬を彼女の傷にも塗ると、芷蘭は驚いたように目を見開き――「もう痛くありません」と、震える声で告げた。
芷蘭は目を見張り、驚きの声を上げた。「お嬢様……これ、まさかお嬢様がご自分で調合なさった薬ですか？こんな高価な材料を……！どうか私なんかに使わないでください。お嬢様こそ、お怪我のために取っておいてください！」
芷蘭は薬膏の貴重さに気づいた途端、惜しさが込み上げ、自分の肌に塗られた分を少しでも掬い取って瓶に戻せないかと、真剣に考え始めた。
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