第6話:離婚届
[氷月刹那の視点]
「何だこれは」
俺は荷物の中身を見て、眉をひそめた。
署名済みの離婚届。雫の几帳面な字で、すべての欄が埋められている。
「子供じみた嫌がらせか」
綾辻が俺の肩越しに覗き込んできた。
「あら......本気みたいね」
「本気?馬鹿言うな」
俺は離婚届を乱暴にテーブルに放り投げた。
「どうせまた芝居だ。同情を引こうとしてるんだろう」
綾辻が申し訳なさそうに俯く。
「私のせいね......ごめんなさい」
その殊勝な態度が、かえって俺の怒りを煽った。
「謝ることはない。悪いのは雫だ」
俺は立ち上がり、窓の外を睨みつけた。
「いい加減にしろよ、雫」
綾辻が俺の腕に手を置く。
「刹那......」
「何だ」
「あの家の工事、予定より早められない?」
俺は振り返った。
「早める?」
「雫さんに見せつけてやりたいの。私たちがどれだけ幸せか」
綾辻の目に、静かな炎が宿っていた。
「そうだな」
俺は携帯を取り出し、工事業者に電話をかけた。
「もしもし、氷月です。例の件、明日から始めてください」
----
雫は別荘のソファで、静かに息を引き取った。
痛み止めの空き瓶が、床に転がっている。
彼女の手には、古い日記帳が握られていた。
最後のページに、たった一言。
『さようなら』
それが、氷月雫の最期の言葉だった。
----
[氷月刹那の視点]
雫に電話をかけたが、出ない。
「チッ」
俺は舌打ちをして、車のキーを掴んだ。
「どこへ?」
綾辻が聞いてくる。
「雫のところだ。直接文句を言ってやる」
車を飛ばして、かつての自宅へ向かった。
家に着くと、人の気配がない。
玄関の鍵は開いていた。
中に入ると、家具が明らかに減っている。
「何だこれは」
リビングを見回す。ソファがない。テレビ台もない。
まるで引っ越しの準備でもしているかのようだった。
寝室に向かう。
クローゼットを開けると、空っぽだった。
雫の服も、俺がプレゼントしたアクセサリーも、すべて消えている。
妙な冷たさが、胸の奥を這い上がってきた。
「まさか......本当に出て行くつもりか?」
ベッドサイドの引き出しを開けると、一冊の古いノートが残されていた。
雫の日記。
昔、こっそり読んだことがある。
「今さら感傷か」
俺は日記を手に取り、最後のページを乱暴にめくった。
そこには、たった一行。
『氷月、さようなら』
「ふざけるな」
俺は日記をゴミ箱に叩きつけた。
「家出の延長だろうが」
家を飛び出し、車に乗り込む。
雫の番号を着信拒否に設定しようとした、その時だった。
携帯が鳴った。
雫の番号からだった。
「おいおい、家出はどうした?もう降参か?」
俺は嘲笑を込めて電話に出た。
沈黙が続いた。
そして、かすかに震える女性の声が聞こえた。
「.....私だよ、橘(たちばな)かえで」
「.....すぐに、斎場まで来て」
「.....雫、亡くなったの」