秦家の長男・秦紅嶺は、父親が芸一と何を話したのか知らなかったが、自分の立場を示さなければと思い、口を開いた。「芸一、これからは一人で人生を歩むことになる。昔から言われているように、人に頼るより自分を頼ったほうがいい。そこで、君に仕事を用意しようと思ってる。少しでも補償になればと思って…どうだろう?」
芸一は彼の言葉に誠意を感じられず、首を振って答えた。「仕事は要りません。お祖父ちゃんがすでにすべて用意してくれています。」
そう言いながら、カバンから一つの**玉佩(ぎょくはい)**を取り出した。「これは、昔秦家がくれた婚約の証です。」
秦老爺が何か言おうとしたその時、呉麗娟が素早く反応し、ベルベットの布で包まれた玉のブレスレットを取り出して芸一に差し出した。「これ、ちゃんと保管しなさい。これで、うちの江輝とはもう何の関係もないわよ。」
芸一は余計な言葉には答えず、それが楚家の物であることを確認してから受け取った。
やるべきことはすべて終わった。芸一は秦老爺の食事の誘いを丁寧に断り、秦家を後にした。
これでまた一つ、心の重荷を下ろせた。
そして、次は本番だ。
彼女はすでに変装を済ませ、人目につかない場所に隠れていた。間もなくして、あのクズ男とビッチ女が前後して建物に入っていくのが見えた。
蘇愛玉を見つめながら、芸一は心の中で首をかしげる。孫瑞明は一体、あの女のどこが良かったのだろう?
確かに、容姿はそれなりに可愛い方ではあるが、元の芸一と比べたら話にならない。
それに家庭環境も微妙。父親は製鋼所の普通の労働者、母親は織物工場の食堂で臨時の仕事をしており、兄弟は5人もいて、生活はカツカツ。
まさに「カスがカスを引き寄せた」とでもいうべきか?
蘇愛玉が話し始めたのを聞いて、芸一はようやく気づいた。——あの日、霊堂でこそこそ話していた女はこの女だったのか。やっと全てが繋がった。
二人がイチャつき始めたのを確認すると、芸一はすぐにその場を離れた。
誰の手も借りる必要はない。すべては、最初から彼女自身の手で仕組まれたことだった。
芸一は急いで前の通りの委員会まで走っていった。ちょうど数人の紅衛兵が建物から出てきたところだった。
彼女は慌てた様子を装い、息を切らせながら叫んだ:「同志!前の冯家(ふうけ)路地の廃屋で、誰かがいやらしいことをしています!」
その言葉を聞いた数人は顔色を変え、「いやらしいこと」という言葉に全神経が集中し、誰が報告してきたのかなんてまったく気にしていなかった。そのうちの一人が手を振り上げて叫んだ:「行くぞ、見に行こう!」
芸一は彼らが走り去るのを確認すると、次は前方にある**派出所(交番)**へと向かった。もちろん、両面作戦で行くのだ。奴らを完全に「恥の柱」に縛り付けてやる!
警察も動いたのを確認すると、芸一は静かに笑みを浮かべてその場を離れた。手をパンパンと叩いて埃を払うと、その足で百貨店へと向かった。
あの二人の末路なんて、見なくても想像がつく。
彼女が見物に行かなかったのは、興味がなかったわけではない。ただ――彼女には時間がなかったのだ。田舎に下放される前に、まだやらなければならないことが山ほどある。
一方その頃、孫瑞明と蘇愛玉は地獄を味わっていた。
二人が情熱に任せていちゃついていたまさにその時、突然周囲を人だかりに囲まれた。その光景は…想像するだけで顔を覆いたくなるほどだ。
最初に異変に気づいた蘇愛玉は、悲鳴を上げた。その叫び声で、孫瑞明は一瞬で萎縮してしまった。
蘇愛玉の顔は恐怖で引きつり、頭の中では「終わった」の二文字がぐるぐる回る。孫瑞明も真っ青だった。
「なんでだ…今までここで何回も会ってても、こんなことなかったのに。なんで今日だけ…」
彼がまだ言い訳する前に、周囲の人たちはもう手を出していた。二人は半裸状態で、殴る蹴るの暴行を受け、飛んでくる罵声も耳を覆いたくなるほどのひどさだった。
しかも、手を出したのは委員会のメンバーだけではなかった。野次馬の中には、日頃の鬱憤を晴らすために加わった者、隙あらば漁夫の利を得ようとする者もいた。
(本章完)