第4話:孤児院の階段で
[氷月詩織の視点]
「やっほー、詩織。久しぶり」
美夜の軽やかな声が院長室に響く。まるで友人同士の再会のような口調だった。
「美夜さんは星見の揺り籠の出資者なんだ」
怜が慌てたように説明する。
「出資者?」私は眉をひそめた。「それと養子縁組に何の関係があるの?」
「詩織、お前は本当に冷血な人間だな」
怜の言葉が胸に突き刺さる。
冷血?私が?
裏切られた側の私が、なぜ加害者扱いされなければならないのか。
「キャリアが大事だから子供はまだ作れないって、五年間も私に言い続けたのは誰?」
声が震える。
「姑に『嫁のくせに子供も産めない』って嘲笑われても、一度も庇ってくれなかったのは誰?」
怜の表情が強張る。
「それは……」
「私との子どもが欲しくないの?」
最後の望みをかけて尋ねた。
「あと数年したら考えよう」
またごまかし。またはぐらかし。
彼女は言葉を遮った。心はすでに、死んでいた。どうでもよくなっていた。
「わかった」
力なく呟く。
「雫ちゃんを引き取りましょう」
「詩織!」
怜が喜びの声を上げ、私を抱きしめた。
「やっぱりお前はいい嫁だ」
怜の肩越しに、美夜の瞳が見えた。
嫉妬の炎が宿っている。
書類上の妻の地位では飽き足らない。公的な妻の座を狙っているのだ。
「じゃあ、手続きの書類を取ってくる」
怜が院長室を出て行く。
私と美夜だけが残された。
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階段の踊り場で、二人の女性が向かい合っていた。一人は疲れ切った表情の詩織、もう一人は勝ち誇ったような笑みを浮かべる美夜。
「雫って、怜にそっくりよね」
美夜がわざとらしく呟く。
「特に目元とか」
挑発的な視線を向けてくる。
美夜は髪をかき上げ、鎖骨のあたりを露わにした。そこには鮮やかな赤い痣が残っている。
「ごめんね、うちの旦那っていつもこんな感じで……」
キスマークを見せつけるように首を傾ける。
「怜もこんな感じだった?」
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[氷月詩織の視点]
美夜の挑発に、冷たい怒りが湧き上がった。
「犬がエサに飛びかかるって話、聞いたことある?」
私は静かに言った。
美夜の顔色が変わる。
「あなたみたいな」
その時、美夜の視線が階段の角に向いた。人影が見える。
「なら見てみましょうよ」
美夜が不敵に笑う。
「あの犬がエサに飛びかかるのか、人に飛びかかるのか」
次の瞬間、美夜は自らバランスを崩した。
まるで私に突き落とされたかのように、階段を転がり落ちていく。