王国は敗戦を迎えた。
国を守る聖騎士であるトールは、祖国が強大な軍事力を誇るアダマンタ帝国との戦いに負けたという事実を受け入れなければならなかった。
すでに国土の半分は、帝国の呪術兵器によって呪われ、そこに住んでいた人々は石に変えられた。軍の大半を失ったライヴァネン王国は、帝国に屈するほかなかったのだ。
王国は帝国に支配され、傀儡政権が立てられた。王国の重鎮ながら帝国に尻尾を振った売国奴たる宰相は、トールら聖騎士たちからその力と身分を剥奪した。
「鋼のトール。国を守れなかった貴様は国外追放とする!」
売国奴は、王国のために戦った騎士らを放逐した。身分を失い、国を追われたトールは、祖国を離れた。
だが彼の王国への忠義はなくなっていなかった。
・ ・ ・
船が揺られる。ずいぶんと荒れた海だと、トールは感じた。
暗い船倉の中、幾人の男たちが同じく席に座り、じっと黙り込んでいる。彼らは戦士の格好をしている者もいれば、ローブをまとった魔術師のような者もいた。
彼らは冒険者だ。
武器を携帯し、モンスター退治や力を必要とする様々な仕事を請負い、そして時に危険地帯の探索やダンジョンへ飛び込む。そんな命知らずだ。
「鋼のトールさんですか?」
不意に、乗り合わせた冒険者の一人から声をかけられた。トールは顔を上げる。
「君は?」
「しがない冒険者でさぁ」
無精ひげの濃い戦士風の冒険者はニヤリと唇を歪めた。
「元聖騎士さんでしょ? まさか冒険者になっていたなんて」
「俺のことをよく知っているようだ」
トールは皮肉った。冒険者は隣に腰を下ろした。
「まあ、ライヴァネン王国の聖騎士と言えば、ちっとは名の知れた存在でしたからねぇ。……思ったより若いんですね」
「よく言われる」
同年代に比べると童顔などと言われることがあるトールである。しかし長身であり、体は細く見えて、装備の下はしなやかに鍛えられた筋肉があった。
「気を悪くしないでくださいよ。ライヴァネンは負けた。あなたが冒険者なのも、それが原因で?」
「追放された」
それでわかるだろう、とトールは突き放した。冒険者の男は自身の顎の無精ひげをボリボリとかいた。
「それで暗黒島送りに?」
「暗黒島に行くのは俺の意思だ」
島流しにされたわけではないとトールは首を横に振った。冒険者は肩をすくめる。
「でもあの未開の島に行くなんて、死ににいくようなものじゃないですがね?」
「それは君にも言えるんじゃないか?」
トールは隣の男を睨んだ。
「この船は、その暗黒島行きだ」
「あー、ハハッ! まあそうなんですがね」
参ったな、と冒険者の男は笑った。周りで黙っている冒険者たちが、突然の笑い声に不快そうな顔になった。
「霧の海に浮かぶ暗黒島。島なんて言われちゃいるが、本当に島なのかもわからない未知の陸地」
冒険者の男は声を落としつつ言った。
「伝説の黄金郷があるって言われてる場所。最初は男たちが黄金郷を目指して上陸したが、ほとんど帰ってこなかった。そこに棲むモンスターたちがあまりに強すぎて」
「……」
「いつしか島へ行く者は減った。犯罪者や伝説を真に受けた冒険者が、島へ渡るくらいになった……。トールさん、あんたもそんな伝説を信じているくちで?」
「君は?」
トールは聞き返した。男はまたも肩をすくめた。
「おれは……あまり大きな声では言えないですがね。大陸でヘマをして、トンズラこいたんですよ。あの島にも冒険者村があるんで、そこに移ろうって」
「前科持ちか」
「取り締まります?」
「俺の管轄じゃない」
トールはもたれた。
「今の俺は騎士じゃない。冒険者だ」
さあもういいだろう、とトールは男との会話を打ち切った。冒険者の男はため息をついた。
「そうですか。まあ、向こうについたら同じ冒険者のよしみ。助け合いと行きましょうや」
そう言ったところで、船の底から轟音がして波とは別の激しい揺れが襲ってきた。冒険者たちは顔を上げた。
「な、何だ!?」
「何かにぶつかった……?」
「冗談だろ! ここは海だぞ」
男たちは船倉から甲板へと駆け上がる。トールもまた他の冒険者たちとぶつからないよう器用に階段を登った。
「海竜だーっ!」
逞しい体躯の船員が力一杯叫んだ。荒れ狂う波間の間に、巨大な蛇のような体が見える。
「で、でけぇ……。この貨物船の数倍いや、十倍くらいあるぞ……!」
冒険者か船員か、甲板にいた誰かの声がした。強い風がトールの頬を撫で、髪を逆立てる。雨が降りそうな黒い雲が天を覆い、嵐を予感させる。男たちの言い合う声が耳に届く。
「船の速度を上げろ! やられちまうぞ!」
「無理だ! この低出力の魔石機関じゃ――」
「大砲はないのか!?」
「こいつは非武装なんだ!」
言い合ったところでどうにもならないだろうに――トールは思う。戦場では取り乱した者は味方の足を引っ張る。
「なあ、鋼の旦那」
件の冒険者がトールのそばにきた。
「あんた、元聖騎士だろ? 神聖技って、すげぇ必殺技あるんじゃないのか? それであの海竜をババっとやっつけられないかね?」
溺れる者は藁をもつかむ。頼れるものには何でも頼りたいと焦る冒険者。しかしトールは首を横に振った。
「聖騎士の力は……ない」
加護の力は敗戦のおり剥奪された。剣に神の加護をまとわせ、モンスターを一撃で葬る――その技は奪われている。
「来るぞぉぉぉっ!!!」
船員が叫び。デッキにいた者たちが逃げ出した。海竜がその巨体で船に体当たりをしてきたのだ。木造の船体はのし掛かるような一撃に容易く押しつぶされ、引き裂かれた。波が起きて、海水が甲板の男たちをさらった。
トールは……海竜の背に飛び乗っていた。船体がくの字に曲げられた時、傾く船を足場にジャンプしたのだ。
「……堅い鱗だ!」
猛烈な勢いで海面を疾走する海竜。岩のようなゴツゴツした鱗を掴み、降りかかる水飛沫に耐えてトールは足もひっかけて姿勢を安定させた。身をくねらせた海竜は反転し、再び沈みつつある船へと頭を向けた。
「取りついたはいいが……。どうしたものか」
聖騎士の力はない。この海竜を葬る威力を持つ技はない、が――
「生き物であるなら、殺せるはずだ……!」
覚悟を決めると、トールは揺れる海竜の背中の上を駆けた。