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บท 8: 容赦なきキス

บรรณาธิการ: Pactera-novel

部屋に入った彰人は、鋭い視線で四方を一巡させた。

狭くて古びたワンルーム。隅から隅まで一目で見渡せる。

そこには男性の痕跡はまったくなかった。

その瞬間、彼の目に漂っていた暗い影がわずかに薄らぐ。

だがすぐに視線を落とし、目の前で必死に彼を拒もうとする女を冷たく睨み据えた。

ずぶ濡れの身体に血の気の引いた顔。

まるで嵐の中に取り残された子猫のように哀れで――

……いや、哀れであると同時に、

憎らしい。

「立派になったな」

彰人は黒い瞳を危うげに細め、歯の隙間から低い声を搾り出す。

穂香は唇を噛み、黙って彼を見返した。

​パシンッ――!

男の手が振り上がり、分厚い封筒がテーブルに叩きつけられた。

穂香が視線を落とすと、

それは自分が家を出るときに置いていった離婚協議書と結婚指輪だった。

売ることもできない指輪など、彼女にとってはただのゴミだ。惜しむ気持ちなど微塵もない。

だがその冷めきった表情が、彰人の苛立ちをさらに煽る。

――あの夜、言い争いのまま別れた翌朝、彼は出張に出て、一週間後に戻ると家はもぬけの殻だった。

家出だけでも腹立たしいのに、こんなものを突きつけてくるとは!

「随分と欲深いじゃないか」

彰人の口元に冷たい嘲笑が浮かぶ。

彼の言わんとすることを穂香は理解していた。

凍えながらも背筋を伸ばし、必死に気丈な声を張る。

「これは私の正当な権利よ。十億円なんて、あなたにとっては取るに足らない額でしょう」

「離婚を言い出したのはお前だ。なぜ俺が金をやらなきゃならない?」

男の黒い瞳がさらに冷え込む。

「だって、婚姻中に浮気したからでしょ!」

離婚協議書に記した条件、それが二億円の慰謝料だった。

彼女は高潔ぶるつもりはない。一銭もいらない、などと言う気もなかった。

「俺のどの目が浮気しているように見える?」

「清水彰人、あなた、もうあの女を連れて堂々と歩いてるじゃない!」

「斎藤穂香、言葉を選べ!」

一喝に、穂香の心臓がきゅっと縮む。

事実を突きつけただけなのに、この慌てぶり。

――どれほど木村彩を庇いたいのか。

痛みの奥に、苦笑が滲む。

わざと無関心を装い、吐き捨てるように言った。

「そんなに大事なら離婚すれば?私と別れれば、堂々と彼女を本妻にできるわ」

「離婚だと?」

次の瞬間、鋭い指が彼女の手首を強く掴み上げた。「いいだろう……だが条件は一つ。お前は無一文で出て行け」

「なんでよ!」

堪え切れずに声を荒らげる。

「私たちは法律上の夫婦よ!今すぐ財産の半分を要求しても当然の権利じゃない!」

「本当にそう思うのか?」

彼の嘲りの眼差しに、穂香の身体がかすかに揺れる。

……無理だ。

この男なら、

どんな手を使っても一銭たりとも渡さない。

肩が落ち、目尻に涙がにじむ。

「……私はただ、二億円だけでいいのに」

「無一文だ」

「っ……!」

悔しさと憎しみで彼を睨みつけるが、どうすることもできない。

その怯んだ様子に、彰人の胸に溜まっていた鬱憤がようやく少し晴れる。

彼は乱暴に彼女を引き寄せ、強く抱き締めた。

「穂香、清水奥様という肩書きを失えば……お前は何者でもない」

「そうよ、私は何者でもない。だからこそ離婚したいの!」

必死に叫ぶが、声は掠れて蚊の羽音ほどだった。

「無一文で――」

「いいわ!無一文で出ていく!今すぐサインしてくれるなら、私は何もいらない!」

「お前の兄の命も要らないと?」

時が止まった。

穂香は唇を噛み、血がにじむほど堪える。

目は真っ赤に充血し、胸の奥に言いようのない絶望が広がる。

……彼はいつだって、一番痛いところを突いてくる。

「いい加減にしろ。大人しく『清水家の奥様』でいろ。母にも言っておく。生活費は月千万円増額してやる」

その言葉に、穂香の唇に自嘲が浮かぶ。

――これが彼にとっては「慈悲」なのだろう。

それなら今すぐ土下座でもして感謝しろとでも言いたいのか。

彼女が俯いて黙り込むと、彰人は勝手に「反省した」と解釈した。

「よし、もういい。素直になれ」

力強い腕が彼女を抱き寄せ、顎を指でつまんで顔を上げさせる。

そして――容赦なく唇を奪った。

冷たい唇が、

火照った唇に押しつけられる。

強引に流れ込む男の息遣い。

穂香の頭は真っ白になり、

わずかに抵抗しようとしたが……身体は言うことをきかなかった。

彰人は満足げに唇を深め、

彼女がこんなに従順であることを考慮して、彼は彼女の最近の一連の理不尽な振る舞いを許すことにした。

前回から半月が経ち、彰人の体には火が溜まっていた。今この柔らかい抱擁の中で、すぐに感情が湧き上がった。

ついには彼女を抱き上げる。

「っ……!」

そのまま寝室へと歩を進め、ベッドへと押し倒した。

キスは炎のように激しく、

止むことを知らない。

抗いたいのに、熱に浮かされた身体は冷たい彼の唇と手を求めてしまう。

本能だけが、

必死にその温度を欲していた。

男のキスはまた続けている。

――だが、異変に気づく。

熱い。

彼女の身体は異様に熱い。

彼女の顔は真っ赤に染まり、意識は朦朧としていた。

額に触れた瞬間、驚きに目を見開いた。

「穂香、穂香?!」

……

「どうだ?」

呼び寄せた医者に、彰人は低い声で問いかける。

「高熱です。38.7度。解熱剤を打ちましたので、じきに熱は下がるでしょう」

眉間の皺がようやく緩む。

医者は注意点を告げて退出した。

彰人はベッド脇に立ち、眠りの中でうなされる彼女を見下ろした。

「まったく……意地を張りやがって」

彼には理解できなかった。

以前の従順な彼女が、どうしてこんなにも逆らうようになったのか。

ただ素直にしていれば、こんな貧乏臭いアパートに身を落とす必要もない。

仕事を探す必要もなかった。

清水家の妻として、誰もが羨む贅沢な生活を送れていたはずなのに――

しかし彼女は?

わざとらしく!

わざわざ彼に逆らう!

わざわざ彼を不機嫌にさせる!!

本当に…

「自業自得だ」

そう……

自業自得だ!!

「寒い…」

「暑い…」

夢の中で、

彼女は冷たい地獄と灼熱の炎を行き来していた。

寒さと暑さが交互に襲い、耐え難い苦痛だった。

額にそっと冷たい掌が置かれる。

彼女は無意識のまま、その手をぎゅっと掴んだ。

――まるで溺れる者が、藁をも掴むように。

……

翌朝。

穂香は目覚めた。

身体中が重く、鈍い痛みに襲われる。

伸びをしようとした瞬間――気づいた。

自分は、男の胸にすっぽりと抱き込まれていた。

清水彰人!

反射的に飛び退こうとするが、

すぐに腕を引き戻され、再び囚われる。

「動くな……もう少し寝かせろ……」かすれた低い声が、耳元で響いた。


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