© WebNovel
「安藤綾!(あんとう あや)そこにいるのは分かってるんだよ、このクズ女!隠れたって無駄だからね!」
外の騒がしい怒号に、安藤綾はふっと目を開けた。
次の瞬間、その瞳からは鋭い殺気がほとばしり、空気が一気に冷え込む。
ベッドの傍で彼女に近づこうとしていた小さな子どもが、びくりと動きを止めた。
唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「お前は誰だ!」
安藤綾の五指が獣の爪のように開き、一瞬で距離を詰めて少年の喉を掴む。
首を押さえられたというのに、少年は怯えるどころか、泣きそうな顔のまま彼女の胸元に手を伸ばした。もぞもぞと、まるで抱きしめてもらいたいかのように。
「……何だ、こいつ」
綾は眉をひそめる。
兄の代わりに軍へ入って以来、彼女の周囲に「女らしさ」など一片も残っていなかった。
親族の子どもたちは皆、彼女の姿を見ると泣き叫び、兄の娘などは「女修羅が帰ってきた!」と怯えて逃げ出す始末だった。
だが、この子は違った。
喉を掴まれてもなお、信頼の眼差しで彼女を見上げてくる。
黒い葡萄のような瞳に、怯えではなく――無垢な信頼が宿っていた。
「……クソ」
彼女は手を離し、立ち上がって部屋の中を見渡す。
そしてようやく気づいた。ここは軍の天幕ではない。見覚えのない室内だ。
「安藤綾!お前なんか、生きていること自体が罪なんだよ!
「女の将軍なんて出したせいで、帝国の面子は丸潰れだ!皇太后さまもとっくにお前を始末したがってるんだ!観念してその首差し出せ!」
頭の奥で、轟くような声が響いた。同時に、綾の脳裏をいくつもの映像が閃光のように駆け抜ける。
――彼女は、すでに死んでいるはずだった。
「安藤綾!死んだふりしても無駄よ!さっさと出てこい!」
外の扉を叩く音が、どんどん激しくなる。
綾は眉をひそめ、足元に寄ってきた少年を見下ろした。
ほんの一瞬の迷いのあと、彼女はその子を抱き上げ、大股で扉へ向かい――勢いよく開け放った。
「安藤綾、このアマ――」
怒鳴りかけた中年の女が、勢い余って部屋の中に転がり込んだ。
綾は鼻で笑い、全身に殺気を纏わせると、無言で一歩踏み込み――
重い一撃を、蹴り上げた。
「ぎゃああっ!
「いったぁ……!」
女は尻もちをつき、痛みに顔をしかめる。
「安藤綾!」
外にいた中年の男が怒鳴りつけ、女を慌てて支え起こした。
その女は尻の痛みも忘れ、顔を真っ赤にして綾へと詰め寄ると、手を振り上げた。
――その瞬間、綾の腕の中の子どもが、わんわんと泣き出した。
「……やかましい」
綾は軽く手を上げ、振り下ろされた腕をぴたりと掴む。
「騒ぎたいなら市場でやりな。ここはお前の見世物小屋じゃない」
女の目が驚きに見開かれる。
引き抜こうとするが、手首は鉄の鉤にでも捕まれたかのように動かない。
「安藤綾!離しなさいよ!」
必死に喚く女は、綾の表情が変わらないことに恐怖を覚え、男に向かって叫んだ。
「なに突っ立ってるのよ!?あんた、この子に殺されたいの!?」
ようやく我に返った男が駆け寄り、怒鳴る。
「安藤綾、正気か!?俺たちはお前の年長者だぞ!」
「年長者?」
扉の前にどっしりと立ちはだかり、綾は腕の中の子どもを持ち直した。
口の端に冷たい笑みを浮かべる。「さっきからずっと安藤綾って七回も怒鳴ってたけど……そんなに私の名前、気に入った?」