Bölüm 2: 初陣
Editör: Pactera-novel
外では、星屑が滝のように音もなく降り注いでいる。栄閑仙ははあわてて枕元のスマホを手探りで掴んだ。画面には4月21日、火曜、晴、23:59。
栄閑仙は一拍、意識が宙に浮き、死に物狂いで生き延びた記憶が洪水のように胸を洗う。これは夢なのか、それとも過ぎ去った前世なのか。
静かに眠る子どもたちを見下ろし、失いかけた宝を取り戻せた安堵がにじむ。神がやり直しを許したのなら、今度こそ、尊厳のある暮らしを、この小さな命たちに授けてみせる。栄閑仙はそう誓った。
呟きを飲み込み、栄閑仙は迷いなく身支度を整える。大きめのトレンチを羽織り、ベレー帽を目深にかぶり、黒い防塵マスクを引き上げた。数年前の大気汚染期に買い置きしていた物だ。
星が落ちた夜には「何か」が来る。かつて同業の先輩が語っていた体験談が、脳裡にひらりと蘇る。先輩は外で酒をあおっていた。光の塊がすぐそばに落ちた。
光の塊が地面に落ちたんで『宝物かも』って冗談半分で七、八人の仲間が近寄ったんだ。
そしたら……宝物らしきものは見当たらなかった。代わりにいたのは、牛のような姿をした怪物だ。怪物は、ぴくりとも動かない。
酔った仲間のひとりが蹴りを入れた途端、「ガウッ」と怪物が唸り、角であいつを串刺しにした。
その瞬間、誰もが凍り付き、逃げ惑った。
小さな居酒屋まで戻ったところで、誰かが言った。その怪物は追ってこなかった。もしかしたら、動けないんじゃないか。もう一度、戻って見てみないか、と。
皆が、ぶんぶんと首を横に振る中、その先輩は言った「何を見に行くんだ、早く警察に、救急車を。あいつの奥さんにも電話しろ。まだ、助かるかもしれないだろう」と。
「そう、そうだな」皆が、口々に頷いた。
ところが、全員がスマートフォンを取り出して、唖然とした。電波がない。誰の電話も、圏外表示になっている。店の固定電話は、どうだ？
あとで分かった。夜明けまで怪物は降下地点を離れず、しかも第一波の怪物は必ず希少アイテムと最上級基礎修練法を落とす。栄閑仙は、あの先輩の沈痛な顔が、闇に浮かぶ。
栄閑仙は、家にあった伸縮式の警棒をリュックに入れ、骨削り包丁を手に取った。玄関の鍵を静かに閉め、階段を下りた。
先ほど見えた光球は、裏通りに面した別棟の前庭に落ちたはず。前世で受け身を貫いたのは、寧青雲を過信したのと、幼い子を守る不安からだった。
今度は違う。光球に潜む生存の切り札を、自らの手で掴む。
前庭へ忍び込むと、空気はまだしんと冷たい。降下直後の怪物は基本的に「眠り」のはずだが、栄閑仙はつま先から呼吸まで音を殺した。しかし、見当たらない……
確かに、この辺りに落ちたはずなのに。栄閑仙は、先ほどの光景を、もう一度思い描いてみた。やがて彼女の視線は、潰れた月季の植え込みに目を止める。怪物の体は、必ずしも大きいとは限らない。体躯の小さな怪物なら、より致命的なのだ。
警棒を伸ばし、そっと花影をはらうと――街灯の薄光に、凶悪な縦長の瞳がぎらりと浮く。
栄閑仙は、足がすくむのを感じた。逃げ出したい衝動を、ぐっと堪える。怪物を注意深く観察した。猫ほどの胴体、逆立つ長耳。獣毛は針金じみて硬質。栄閑仙は記憶を探していた、前世でも、少なからぬ怪物を倒してきたが、こんな怪物は思い当たらない。
もし、栄閑仙がもっと長く生きていたなら、見覚えがあったはずだ。
この怪物は、倉狸という。疾風のように動き、奇襲を得意とし、捕獲例は終末世界5年目まで皆無。
前世には、1年も生きられなかった栄閑仙には、この怪物の恐ろしさが、まだわかっていなかった。子供たちが待っている。とにかく早く仕留め、家へ戻らなければ。
この怪物が動ける範囲は、どのくらいなのだろう。栄閑仙は、1メートルほどに伸ばした警棒を、怪物の頭めがけて、力いっぱい振り下ろした。
ギャッ、と甲高い鳴き声が響く。怪物の体が、瞬時に2倍ほどに膨れ上がった。体毛が、鋼針のように逆立つ。警棒は、ガツンという音を立て、その逆立った毛に弾かれた。栄閑仙の腕に、痺れるような衝撃が走る。怪物の、青みがかった縦長の瞳に、じわりと血の色が滲んできた。その瞬間、栄閑仙の脳裏に、針で刺されるような痛みが走った。思わず頭を抱え、その場にうずくまる。無意識のうちに、前世で学んだ、霊気を取り込む修練法を巡らせていた。
前世で一か月かけてようやく霊気を感じた修練法が、たった一呼吸で流れ込む。経絡を巡った霊気が頭部へ満ち、痛みを薄めていく。しかし彼女の眉間の皺が解けるのを見て、怪物の瞳の血の色が、さらに濃くなった。怪物の瞳が濃く赤みを帯びるたび、痛覚は波となって返ってきた。「精神系攻撃か……！」栄閑仙は歯を食いしばり、必死に修練法を巡らせ、霊気をさらに押し上げる。
一方、倉狸のほうこそ追い詰められていた。防御は脆く、一撃必殺の速攻が信条の種族だ。正面からぶつかるなど、初めてのことだった。精神攻撃を使うのは、やむを得ないからだ。精神力を消費することは、すなわち、己の生命力を削ることに他ならない。
長い膠着。夜明け前の闇が薄らぎ、倉狸の瞳の血の色も、徐々に薄れ、体も、次第に縮んでいった。鋼針のように硬かった体毛が、枯れ草のように萎れていく。栄閑仙の呼吸は、どんどん深く、穏やかになっていった。
彼女は、長く息を吐き出し、瞼がふわりと開いた。沿道のマンション、12階、その窓辺に立つ中年男の輪郭まで鮮明に見える。怪物の微かな息遣いも耳へ届く。五感が冴え渡り、身体は羽根のように軽い。
体の状態は、すこぶる良い、と栄閑仙が感じる。
天地変化初期の霊気は、後年の安定期より遥かに濃密と聞いた。納得の実感だった。初期に修練法を手に入れた者たちの多くが、強大な力を持っていたのも、頷ける話だ。
栄閑仙は警棒を収め、骨削り包丁を取り出した。怪物の目に、刃を突き立てる。倉狸は、驚愕に飛び上がったが、攻撃を逃れることはできなかった。ずぶりと、刃が怪物の体に突き刺さる。
倉狸の体は数度痙攣したのち、ぐたりと力が抜けた。
と、怪物の胸から淡い光球がゆらりと離脱する。
栄閑仙は素早く掴み、光が散ったあとを確かめると──手の中には布製の香袋。
じっくり調べる余裕はない。栄閑仙は怪物の死骸を抱え、地下駐車場の入口へ向かう。夜が明けかけ、各棟から人影がちらほら窺える。帽子とマスクで顔は隠しているが、地上を歩くわけにはいかない。ちょうど地下駐車場で物資も調達しよう。
家に戻り、主寝室を覗くと子どもたちはまだ夢の中。夜明けまでまだ少し時間がある。栄閑仙は、他の寝室、リビング、ダイニング、多目的室、バスルーム、キッチン――全ての窓を開け放ち、濃密な霊気を取り込んだ。
前世は星落の光景を眺めただけで、天地の激変に気づかず朝まで眠ってしまった。
朝食の支度中、窓の外から凄まじい悲鳴が聞こえてきた。窓辺に駆け寄ると、大型犬のような獣が早朝ジョギングの人を組み伏せ、喉笛を噛み千切っていた。
慌てて携帯で通報しようとしたが、電波が届かない。
外からは悲鳴と獣の咆哮が絶え間なく響き、事態を悟った彼女は、子どもたちを抱えて立ち尽くすしかなかった。
「ママ」寝ぼけ眼の娘が、背後に立っていた。
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