雨音が図書館の古い窓ガラスを叩いている。
桜庭蓮は分厚い古書から顔を上げ、外の景色を眺めた。灰色の雲が垂れ込める午後の空は、まるで彼の心境を映し出しているかのようだった。
「なぜ現代に式神は存在しないのか」
机上に広げられた陰陽道の古典――『簠簋内伝』『金烏玉兎集』『占事略決』—―それらの文字は、失われた技術への憧憬を蓮の心に呼び起こす。
大学院で民俗学を専攻する蓮にとって、陰陽道は単なる研究対象ではなかった。それは、科学万能の現代社会に欠けた何かを補ってくれる可能性を秘めた、神秘の体系だったのだ。
「式神召喚の理論は完璧だ。五行思想に基づく術式も理にかなっている。なのに、なぜ誰も再現できないんだ?」
蓮は溜息をつきながら、ペンを置いた。現代の学者たちは陰陽道を迷信として片付けてしまう。しかし、蓮には確信があった。古代の陰陽師たちが記した技術は、決して空想の産物ではない。
「もし本当に陰陽術が使えたら...」
そんな想いを胸に、蓮は図書館を後にした。外は相変わらず雨が降り続いている。傘を差しながら歩く帰り道、蓮の頭の中では古代の術式が渦巻いていた。
「理論的には可能なはずなんだが—」
その時だった。
「危ない!」
誰かの叫び声が聞こえた瞬間、蓮の視界は真っ白に染まった。激しい衝撃。体が宙に舞う感覚。そして、静寂。
(ああ、これで終わりか...)
薄れゆく意識の中で、蓮は妙に冷静だった。痛みはない。ただ、深い眠りに落ちていくような安らぎがあった。
(もし転生なんてものがあるなら...今度こそ、本当の陰陽術を使ってみたいな)
それが、桜庭蓮最後の思いだった。