第02話:プールサイドの真実
夏の陽射しが容赦なく照りつける夜刀家の別荘。プールサイドに響く笑い声が、美咲の胸を締め付けた。
「美咲ちゃん、これ着て」
朱里(あかり)が差し出したのは、胸元が大きく開いた露出度の高いビキニだった。美咲の頬に血の気が引く。
「でも、これは……」
「兄さんの友達が来てるのよ。せっかくだから、みんなで楽しみましょう?」
朱里の笑顔には、底知れない悪意が潜んでいた。美咲は震える手で水着を受け取る。拒否する権利など、この家にはない。
更衣室で着替えながら、美咲は鏡に映る自分を見つめた。手術の傷跡は既に消えているが、心の傷は深く刻まれたままだった。
プールサイドに現れた美咲を見て、暁斗の友人たちがざわめいた。
「おお、これは……」
「なかなかいい体してるじゃないか」
男たちの視線が、美咲の肌を舐め回すように這い回る。美咲は引きつった笑顔を浮かべ、聞こえないふりを続けた。
「大丈夫よ」
朱里が友人たちに向かって声を上げる。
「さっき確認したけど、あの子、補聴器つけてないもの。何を言っても聞こえないから」
美咲の血が逆流した。朱里の言葉は、まるで美咲を見世物にするかのような響きを持っていた。
「マジで?じゃあ何言っても平気ってこと?」
「そういうこと。遠慮しないで、好きなだけ品定めしちゃって」
男たちの笑い声が、プールサイドに響く。美咲は唇を噛み締めながら、微笑みを保ち続けた。かつては暁斗に釣り合う何かがあると思っていた。でも今は、自分が単なる嘲笑の的でしかないことを痛いほど理解していた。
その時だった。
「お待たせ」
プールサイドに現れた女性を見て、美咲の心臓が止まりそうになった。
美影。
暁斗の書斎で見たデッサンそのままの、美しい女性だった。『ただ君と、共に白髪の生えるまで』という言葉が、美咲の脳裏に蘇る。
「美影ちゃん!」
朱里が駆け寄る。美影も美咲と同じように、肌を露わにした水着姿だった。しかし、暁斗の反応は全く違った。
「風邪をひいたらどうする」
暁斗は慌てたようにバスタオルを手に取り、美影の肩に巻きつけた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように優しかった。
美咲の胸に、鋭い痛みが走る。
そうだ。本当に愛しているのなら、その人の美しさを衆目に晒したりはしない。誰にも見せず、自分だけのものとして大切に隠すはずだ。
暁斗がこれほどまでに美影を忘れられない理由が、分かった気がした。自分の入る隙など、最初からなかったのだ。
部屋に戻った美咲は、携帯電話を手に取った。留学エージェントからの返信が届いている。ビザの手続きは順調に進んでいるようだった。
美咲は立ち上がり、クローゼットの奥から小さな宝石箱を取り出した。暁斗から贈られたネックレス、イヤリング、ブレスレット。全てが高価な品物だった。
これらを売れば、留学費用の足しになる。奪われた時間と機会に対する、正当な対価として。
「美咲ちゃん」
朱里の声が廊下から聞こえた。美咲は宝石箱を急いで隠す。
「美影ちゃんがプールで冷えちゃったの。生姜湯を作ってもらえる?」
かつて美咲は、暁斗のために毎日欠かさず生姜湯を作っていた。でも今はもう、作っていない。
「お祖父様から言われたでしょう?兄さんの世話をするのが、あなたの役目だって」
朱里の声には、美咲を所有物として扱う響きがあった。
美影も現れ、猫なで声で言った。
「暁斗から、あなたのお料理はとても上手だと聞いているわ」
女主人としての優位性を見せつけるような、その態度。美咲の中で何かが音を立てて崩れた。
「作ってあげなさい」
暁斗の声が、背後から聞こえる。いつものように、当然のことを要求する口調だった。
美咲は振り返った。暁斗、朱里、美影。三人が美咲を見下ろしている。
「お断りします」
美咲の声は、静かだが確固としていた。三人の表情が、一瞬で凍りついた。