日差しは既に容赦なく降り注いでいる。外に出て初めて、彼らは番組側が車を用意していないことに気づいた。
ここから観光スポットの中心までは、少なくとも二キロはある。
「クソッ、番組の連中は俺たちを干からびさせる気か?」井上昭彦がスマホの地図アプリを睨みつけながら罵声を上げた。「歩いたら三十分以上かかるぞ。タクシーを呼ぼうにも、別荘地だから迎車料金だけで千円近くいくし、そもそも空車がいねえ!」
小林昭夫は早々に抵抗を諦めていた。「無駄だよ。番組側は最初から、俺たちを歩かせるつもりなんだ」
「この炎天下を歩けと言うのか? 肌が焼けてしまう」坂本昭文が不満げに眉を寄せ、近くにいたスタッフを振り返った。傲慢な口調で交渉を持ちかける。「番組側がケチるなら、俺が金を出そう。車を手配しろ。ゲスト全員とスタッフ分、すべて俺が持つ」
「できません、坂本会長」スタッフは無慈悲に却下した。「ルール上、各家庭の資金は二千円のみです。もし会長が全員分の車を手配すれば、番組に対して負債を抱えることになり、今後の撮影に支障が出ます」
「なんだと!」
昭文は言葉を詰まらせた。
昨晩は豚小屋のような部屋で寝かされ、ただでさえ腹の虫が治まらないというのに。
移動の足さえ用意しないとは。
この番組は、坂本家を愚弄するつもりか!
『運営マジで鬼畜www。退路を完全に断ちやがった』
『これからもっとケチ臭い展開になるってこと? 逆に楽しみになってきた』
『坂本パパ、さすが金持ち。全員分奢ろうとする姿勢だけはイケメン。愛莉ちゃんは正真正銘の令嬢だもんね。庶民の苦労なんて知らないでしょ』
岡本凛太郎が坂本を見かねて口を開いた。「それなら、僕が配車アプリで……」
言いかけた言葉は、母親の岡本女史からの鋭い視線によって遮られた。
凛太郎は気まずそうに口を噤む。
その時。一台の年季の入ったミニバンが、土煙を上げて彼らの前に滑り込んできた。国産の大衆車だが、随分と使い込まれているようだ。
玲奈が手を上げて車に近づき、振り返って言った。「格安の配車サービスを呼んだの。一回六百円。七人乗りだから、あと三人は乗れるわよ。相乗りしたい人は?」
その言葉が出るや否や、全員が食い気味に手を挙げた。
「乗る!」と小林昭夫。
「私も! 玲奈ちゃん、私とシェアして!」と村上美咲。
「俺も俺も!」井上昭彦が一番高く手を挙げ、さらに食いついた。「マジかよ、どこのアプリだ? そんな安いの」
昭文も、仏頂面のまま無言で手を挙げる。
だが、玲奈の視線は小林昭夫に向けられた。「小林さん、一緒にどうですか? ご両親も高齢ですし、うちと小林さんちで割り勘にしましょう」
小林は破顔した。「助かるよ! お言葉に甘えさせてもらう」
「全然オッケー!」村上美咲はあっさりと現実を受け入れた。「私たちは歩くよ。でも日焼け止めもう一層塗らなきゃ……うう」
「待てよ、お前ら八人もどうやって乗るんだ? カメラマンが乗れねえだろ」井上が「論破してやった」と言わんばかりの勝ち誇った顔をする。「残念だったな、玲奈。お前も大人しく俺たちと歩けよ」
玲奈は無表情のまま彼を一瞥した。「カメラマンさんが乗れないのと、私に何の関係があるの?」
「な……」井上は絶句した。
「それは番組側の事情でしょ」玲奈はさらりと言い捨て、ふと思いついたように美咲を見た。「そうだ。番組のロケ車も七人乗りのバンよね。私と小林さんの担当カメラマンを送るために車を出すはずだから、美咲ちゃんのご両親はそれに便乗させてもらえば?」
「あ、そっか! その手があった!」美咲が目を輝かせる。「玲奈ちゃん、やっぱり天才!」
井上は口を開けたまま固まった。
『井上のあの「澄んだ馬鹿」みたいな目www』
『笑い死ぬwww 番組が鬼なら玲奈も鬼だな。正論すぎる。カメラマンのことなんか知ったこっちゃない』
『玲奈の頭の回転早すぎ。てか、その格安配車どこで見つけたんだよ』
『あのボロいバン、地元の便利屋か何かか? 生活力ありすぎだろ』
玲奈はテキパキと小林の両親と阿部夫婦を車に誘導し、自分の担当カメラマンに向き直った。「カメラ貸して。向こうに着いたら返すから、あなたたちは休んでていいわよ」
手際よく機材を没収され、カメラマンは呆然と立ち尽くすしかない。
井上はなおも諦めきれず、窓枠にしがみついた。「おい、せめてどこのアプリで呼んだか教えろよ! 俺だって金くらい払えるし!」
玲奈は車内から残りの面々を見回し、少し思案してから、意地悪く口角を上げた。「六百円くれたら教えてあげる」
「……足元見やがって!」
「教えないなら結構。じゃあ、頑張って歩いてね」
玲奈は容赦なくスライドドアを閉めた。バァン! と無慈悲な音が響く。
『ハハハハハ! 他の家族が移動手段で揉めてる間に、玲奈はもう商売始めてるし』
『玲奈、性格悪くない? 同じ番組なんだから教えてあげればいいのに』
『は? 坂本家への敵対心やばすぎでしょ。井上まで巻き添え食らって可哀想』
『礼儀とか言ってる奴、昨日の配信見てないの? 井上と坂本家が玲奈に何したか忘れた? 自業自得だろ』
コメント欄では再びファンとアンチの戦争が勃発していた。
坂本昭文は、土煙を上げて去っていくミニバンをどす黒い顔で見送った。そして愛莉を一瞥し、拒絶を許さない声で命じた。「車を呼べ」
愛莉は眉をひそめた。父の機嫌は最悪だ。ここで逆らって騒ぎになれば、イメージダウンに繋がる。
しかし、ここでタクシーを呼べば資金の半分が消える。残り千円では何もできない。
まさか、このバラエティで玲奈にすべての話題をさらわれるなんて予想もしていなかった。
本来なら、自分が「唯一の愛される娘」として輝き、玲奈が惨めに足掻く姿を世間に見せつけるはずだったのに。
なぜ、何もかもが裏目に出るの!?
愛莉は父の腕に絡みつき、甘えるように上目遣いをした。「パパぁ、歩いて行きましょうよ。そんなに遠くないし、景色を見ながらお散歩するのも素敵じゃない?」
坂本父は眉間の皺を深めたまま、何も答えない。
助け舟を出したのは凛太郎だった。「僕たちで一台手配して、ご両親だけ先に行ってもらいましょう。二家族で割れば負担も少ない」
愛莉は少し考え、渋々頷いた。「そうね……それなら。私たちは歩けるし」
「うん」凛太郎は愛莉の頭を優しく撫でた。
状況から取り残された井上昭彦が、間の抜けた声を上げる。「え、俺は?」
『誰かこの馬鹿を救ってやれwww』
『世界で一人だけ「井上の悲劇」が完成してる件。親にも楽させてやれないし、目の前でカップルのイチャイチャ見せつけられるし地獄かよwww』
『井上、今からでも玲奈に土下座して追いかければ?』
十分後。玲奈と小林の二家族は、涼しい顔で観光スポットに到着していた。村上家も、番組車両の便乗に成功し、すぐに合流した。
交通費は二家族で割り勘にしたため、残金は千七百円。許容範囲だ。村上美咲は「タダ乗り」のお礼にと、全員に冷たいミネラルウォーターを振る舞った。
小林昭夫は案内所でエリアマップを入手し、金策を練ろうとした。
だが、その目はすぐに絶望に染まった。遊覧船のチケット売り場。『大人一人:二千円』
「……終わった」小林が天を仰ぐ。「番組側、正気か? このミッションだけで一家族六千円かかるぞ。支給額二千円でどうしろってんだ。最初からクリアさせる気ないだろ!」
玲奈は最初から期待していなかったため、動じることもない。「あの監督に良心を期待するだけ無駄よ」
「じゃあどうやって稼ぐんだ?」小林はすがるような目で玲奈を見た。ここまでの手際を見て、彼は完全に玲奈を頼りにし始めていた。この子についていけば間違いない、と本能が告げている。