章節 9: 第09話：消えた絵

第09話：消えた絵

「今日は雫の誕生日なんだ。彼女に、一緒に過ごすって約束したから」

彰は美夜の引き留める手を振り払い、タクシーに乗り込んだ。

美夜の困ったような表情が車窓に映る。だが、今は雫のことで頭がいっぱいだった。

レストランでの火災報知器の騒ぎ。あの時、俺は——

美夜を抱きかかえて逃げた。雫のことは、完全に忘れていた。

妊娠中の妻を。

胸の奥が重苦しい。タクシーの中で、彰は拳を握りしめた。

家に着くと、玄関の電気が消えている。

「雫？」

返事はない。

リビングに入った瞬間、彰は違和感を覚えた。

壁が、妙に殺風景だ。

以前は子供の絵がたくさん貼ってあったはずなのに、一枚も残っていない。

「雫！」

二階に上がって寝室を覗く。ベッドは綺麗に整えられているが、人の気配がない。

また拗ねてるのか。

彰は舌打ちした。

インターホンを押して、家政婦の相馬（そうま）さんを呼び出す。

「奥様はどちらに？」

「数日前から、お出かけになっています」

相馬さんが困ったような表情で答える。

「数日前？」

「壁の絵をすべて外されて、『数日出かける』とおっしゃって」

彰の眉間に皺が寄る。

「何も言わずに出て行ったのか？」

「はい……」

また拗ねてるのか。

彰は苛立ちながら寝室に戻った。ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

妊娠中なのに、勝手に家を出るなんて。

そんなことを考えながら、いつの間にか眠りについていた。

翌朝、階下から相馬さんの声が聞こえる。

「旦那様、お話があります」

彰は寝ぼけ眼でリビングに降りた。

相馬さんが、小さな鉄の箱を差し出している。

「奥様からです」

「雫から？」

彰は箱を受け取った。思ったより重い。

蓋を開けると——

エコー写真が数枚。妊婦検診の記録。医療費の領収書。

そして、一冊の診断書。

彰の手が震えた。

診断書を開く。

「流産」

その二文字を見た瞬間、彼の顔から血の気が引いた。

「流産？そんなはずない……」

信じられず、必死で書類をめくった。

日付は、彼らの結婚三周年記念日。

その日に、雫は流産手術を受けていたのだ。

「相馬さん」

彰の声がかすれる。

「奥様は、いつから家にいなかったんだ？」

「三日間です。旦那様が美夜様とお出かけになった日から」