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章節 11: 11話 実戦と遭遇

 さらに半年が過ぎた。

 キィン!

 甲高い金属音を立てて、訓練用の剣が火花を散らす。

 イオが放つ、剃刀のように鋭い突き。以前のオレなら、目で追うことすらできずに懐に入られていただろう。

 だが、今のオレには見える。

「――そこだ!」

 最小限の動きで剣の軌道を逸らし、カウンター気味に彼女の胴を狙う。だが、イオはまるで予測していたかのように身を翻し、オレの剣は空を切った。

 流れるような攻防。一進一退。

 もはや、どちらが一方的に攻め、守るという展開にはならない。互いに相手の二手、三手先を読み、凌ぎを削る。

 勝負は、一瞬の隙で決まった。

 連撃の合間、ほんの僅かに生じた呼吸の乱れ。それを見逃すイオではない。

 オレの剣が、彼女の喉元でぴたりと止まる。それとほぼ同時に、彼女の剣もまた、オレの首筋に寸分の狂いもなく突きつけられていた。

「……引き分け、か」

「……いえ。私の、負けです。一瞬だけ、ギガオン様のほうが早かったです」

 イオは静かにそう言うと、悔しそうな、それでいてどこか嬉しそうな複雑な表情で、ゆっくりと剣を鞘に納めた。

 勝ったのか。

 あれほど手も足も出なかった、将来オレを殺す最強の暗殺者であるイオに、このオレが、剣で勝った。

 この数年間、来る日も来る日も、彼女の剣筋だけを見つめ、対策を練り続けた。その狂気にも似た努力が、初めて目に見える形で報われた瞬間だった。

 たった一度とはいえ、イオに剣術で勝てたというのは、オレにとって大きな進歩だ。

 イオは、剣術において紛れもない天才だ。

 ゲーム『グランドクロス』の記憶によれば、彼女は一本の短剣だけで、最強クラスの魔術師さえも容易く斬り伏せるほどの領域に到達する。

 この世界では、剣術は魔術に比べて圧倒的に弱いとされている。なのに、イオは剣術で魔術師と互角に渡り合える実力を持つのだ。

 魔力量という才能しか持たなかったオレが、多少とはいえそんな規格外の天才と互角に渡り合えるようになった。

 それは、ひとえにこの数年間、一日も休まず剣を振り続けた努力の賜物だった。

 オレは自室に戻ると、懐から『簡易魔力測定水晶』を取り出す。

 剣術の稽古と並行して、オレが一日たりとも欠かさなかった魔力の『抑制』訓練。その成果を確認するためだ。

 ぎゅっと水晶を握りしめ、意識を集中させる。体内で渦巻く大河のような魔力を、その存在ごと消し去るイメージで、極限まで抑え込む。

 …………。

 水晶は、何の反応も示さない。

 かつては『赤』にまで輝いたそれは、今やただの透明なガラス玉と化していた。

 才能のない者が発する『藍色』ですらない。

 完全な『無色』。

 これなら、どんな精密な魔力測定器でも、オレを『魔力ゼロ』の人間だと誤認するだろう。

「よし……」

 これこそが、オレの最強の切り札。

 誰もがオレを無能な貴族だと侮る。その油断こそが、最大の武器になる。

 だが、次なる課題も見えていた。対人戦だけでは、いざという時の実戦経験が圧倒的に不足している。

 翌日、オレはイオを連れて、領地の森へと来ていた。

「次の訓練だ。これからは、魔物を相手に実戦経験を積む」

「正気ですか、カイゼル様!? 魔物狩りは、騎士団や冒険者の仕事です! 貴族であるカイゼル様が、自ら危険を冒すなど……!」

 案の定、イオは血相を変えて反対する。

 もちろん、魔法を使えばこの森にいるゴブリンやオーク程度、一掃できるだろう。だが、それでは意味がない。

「剣術だけで戦う。オレの目的は、あくまで自己の鍛錬だ。それに……」

 オレはイオの緑色の瞳をまっすぐに見据える。

「お前がいれば、大丈夫だろう?」

「――っ!?」

 イオは一瞬息を呑むと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。

「……わ、私にどれだけ期待しているんですか……。もう、知りませんからね」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、彼女は剣の柄に手をかける。どうやら、付き合ってくれるらしい。

 こうして始まった魔物狩りは、想像以上に過酷だった。

 相手は人間ではない。知性もなければ、剣の型もない。ただ、獣の本能のままに、殺意をむき出しにして襲い掛かってくる。

 一匹のゴブリンを仕留めるのに、泥まみれになり、木の枝で体を擦りむいた。

「くそっ……! 対人戦とは、勝手が違いすぎる……!」

「カイゼル様! 背後からもう一体!」

 イオの鋭い声に、咄嗟に身をかがめる。頭上を、錆びた棍棒が風を切って通り過ぎた。

 振り向きざまに剣を振るい、ゴブリンの足を薙ぎ払う。体勢を崩したところを、すかさずイオが背後から回り込み、喉を掻き切った。

「はぁ……はぁ……。助かった、イオ」

「カイゼル様は、本当に変わりましたね」

 返り血を腕で拭いながら、イオがぽつりと呟いた。

「以前のカイゼル様なら、こんな泥臭いこと、絶対にしようとなさらなかったでしょうに」

 その言葉に、オレの心臓がどきりと跳ねた。

 まずい。また性格の変化を指摘された。これは、悪魔憑きを疑われている前兆か……!? 

 一瞬、背筋に冷たい汗が流れる。だが、恐る恐るイオの顔を窺うと、彼女は疑うどころか、どこか感慨深げな、それでいて少し眩しそうな瞳でオレを見つめていた。

  ……そうか。ただ、純粋にオレの変化を口にしただけか。

「強くなるのも貴族の務めだからな」

 オレは、そっけない態度でそう口にする。

 本当は、イオのようなどんな強敵を相手にも生き残るためなんだけどな。

◆◇◆

 そんな日々を数週間ほど続けたある日のこと。

 イオが屋敷の急な呼び出しで、先に帰ることになった。

「カイゼル様、決してご無理はなさらないでくださいね。すぐに戻りますから」

「ああ、分かっている」

 彼女の心配を背に、オレは一人、森の少し奥へと足を踏み入れた。

 今日のノルマはあと二匹。それを終えたら、オレも戻るつもりだった。

 獲物を探して、慎重に歩を進めていた、その時だった。

「――きゃあああっ!」

 森の奥から、少女の悲鳴が響き渡った。

 まずい、と思った時には、オレの身体は勝手に走り出していた。

 音のした方へ駆けつけると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

 グルルルル……!

 唸り声を上げているのは、巨大な森の熊――フォレストグリズリーだ。

 その鋭い爪と牙は、並の騎士でも一撃で鎧ごと引き裂くと言われる、この森の主。

 そして、その魔物の前にへたり込み、絶望的な表情で震えている一人の少女。歳はオレと同じくらいだろうか。上等そうなドレスは泥で汚れ、恐怖で顔が引きつっている。

 まずい……! あれは、剣だけでどうにかなる相手じゃない!

 かといって、ここで魔法を使えば、オレが今まで必死に隠してきた力が露見する。

 どうする。どうすればいい……!

 オレが葛藤していると、ふと、少女の顔が目に入った。

 夕陽のような、鮮やかな赤毛。そして、恐怖に見開かれた、宝石のような翠の瞳。

 その顔に、オレは、嫌というほど見覚えがあった。

 脳裏のデータベースが、警報を鳴らしながら一つの名前を弾き出す。

 リーチェ・ヴァレンシュタイン。

 由緒正しき侯爵家の令嬢にして、ゲーム『グランドクロス』におけるメインヒロインの一人。王立魔術学院で、本来であれば三年後に出会うはずの人物。

 ――まさか。

 なんで、こいつが、こんな場所に……!?

 彼女は、持ち前の明るさと誰にでも分け隔てなく接する優しさ、そして悪を許さない強い正義感で、多くのプレイヤーを魅了したキャラクターだ。

 そして、その正義感ゆえに、悪役貴族カイゼル・フォン・リンドベルクとは最も相性が悪く、あらゆるルートで彼を断罪する筆頭格となる存在。

 だが、それだけじゃない。

 数あるカイゼルの破滅ルートの中でも、ひときわ救いのない、あるルートの記憶が鮮明に蘇る。

 そこでのカイゼルは、度重なる敗北と嫉妬の果てに禁断の闇の力に手を出し、完全に理性を失った暴君と化す。世界そのものを破滅させかねない脅威となったオレを、激戦の末、討ち果たしたのが、目の前にいるこのリーチェだった。

 あれは、誰がどう見ても彼女が悪くない。むしろ、辛い役目を一人で背負い込んだ被害者だ。あの状況では、誰だってオレを殺すしかなかった。

 つまり、彼女もまた、将来のオレの『死』に直結する、最重要人物の一人なのだ。

 ならば――。

 見捨てるか?

 ここで彼女が死ねば、未来の死亡フラグが一つ、確実に消える。

 悪魔的な考えが、頭をよぎる。

 だが、その瞬間、前世で理不尽に刺された腹の痛みが、幻のように蘇った。

 ――冗談じゃない。

 目の前で、理不尽な暴力によって命が奪われようとしている。

 それを、自分の都合で見て見ぬふりなど、できるはずがなかった。

「くそったれが……!」

 オレは悪態をつくと、腰の剣を抜き放ち、茂みから飛び出していた。


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