第4話:決裂の宣言
[雪乃の視点]
玲司の表情を見た瞬間、私の心は氷のように冷えた。
困惑。戸惑い。そして、明らかな拒絶。
夫の顔に浮かんだのは、喜びではなかった。
「おめでとう、とは言わないのね」
私の声は震えていた。
玲司は答えない。ただ、私の腹部を見つめ続けている。まるで、そこに宿った命が邪魔な存在であるかのように。
病院の廊下に、重い沈黙が流れた。
「玲司」
私は夫の名前を呼んだ。
「この子を、望んでいないの?」
玲司の視線が私の顔に戻る。その目に宿っているのは、愛ではなく、明らかな困惑だった。
「雪乃……今はそんな時期じゃない」
時期?
「どんな時期なら良いの?」
私の声が高くなる。
玲司は答えない。代わりに、ポケットからタバコを取り出した。
「ここは病院よ」
私が指摘すると、玲司は舌打ちをしてタバコをしまった。でも、その仕草が全てを物語っていた。
この男は、私の妊娠を心から喜んでいない。
「玲司、正直に言って」
私は一歩近づいた。
「この子を、本当に望んでいるの?」
長い沈黙の後、玲司はゆっくりと口を開いた。
「樹が嫉妬する」
何?
「樹はまだ五歳だ。新しい兄弟ができることを理解できない。混乱するだろう」
私の耳が鳴った。
樹のことを心配している?私たちの子供よりも、沙耶の息子を?
「それが理由?」
私の声は震えていた。
「樹が嫉妬するから、私たちの子供は要らないって言うの?」
玲司は顔をそむけた。その仕草が、私の心を完全に砕いた。
「この子を……」
玲司の声が小さくなる。
「この子を……堕そう」
耳が鳴り、大脳が一瞬真っ白になった。
堕そう?
私の子供を、殺せと言うのか?
「何て言ったの?」
私の声は震えていた。
「もう一度言って」
玲司は私の目を見ることができずにいた。
「この状況では、子供を産むのは現実的じゃない」
現実的?
私の子供の命が、現実的かどうかの問題だというのか?
涙が頬を伝った。でも、それは悲しみの涙ではなかった。
怒りの涙だった。
「もし私が拒否したら?」
私は玲司を見つめた。
「もし私が、この子を産むと言ったら、どうするの?」
玲司の表情が硬くなった。
「従ってくれ」
従え?
まるで命令するように。
その瞬間、私の中で何かが完全に壊れた。
涙を拭い、私は微笑んだ。冷たく、静かな笑みを。
「わかったわ」
玲司の表情が少し和らぐ。
「ありがとう、雪乃。君なら理解してくれると――」
「あなたが私の子を殺そうとするなら」
私の声は氷のように冷たかった。
「私はあなたの樹を殺すわ」
玲司の顔が青ざめた。
「何を言っているんだ」
「同じことよ」
私は一歩前に出た。
「あなたが私の子供の命を奪うなら、私もあなたの大切な子供の命を奪う。公平でしょう?」
「雪乃!」
玲司が私の肩を掴んだ。
「お前は狂っている!」
「狂ったのは、あなたよ」
私は夫の手を振り払った。
「自分の妻の子供を殺そうとするなんて」
玲司の手が震えていた。そして、ゆっくりと手を振り上げる。
私を殴ろうとしているのか?
でも、その手は私の頬に触れる寸前で止まった。
玲司は拳を握りしめ、壁を殴った。
「どうしてお前はこんなに毒々しくなったんだ?」